「背黒イワシの唐揚げ」には漁師町の酒が似合う

背黒イワシに対抗できるお酒はどれか(イラスト・古本有美)

日曜の朝、目覚めて、ああもう六月かと思ったら、背黒イワシの唐揚げが食べたくなった。そろそろ旬が終わるころだ。

仰向けになったまま、二十四時間営業の居酒屋「磯丸水産」の最寄り店に電話すると、早番の店員さんから予想外の言葉が返ってきた。

「すみません。五月末にグランドメニューの変更があって、販売終了になってしまったんですよ」

二十本で三九九円というお得さ

一足遅かったか。しきりに残念がっていると、若い店員さんは「席数の多い店なら、在庫がまだ残っているかもしれません」と慰めてくれた。チェーンなのに、どの店も礼儀正しく親切だ。

次の店にかけ直すと、なんと最後の一食が残っているというではないか。名前を伝えて取り置きすると、近くのバス停から飛び乗った。店につくと用件は共有されており、店長が待つカウンターに通された。

「遠いところ、ご来店ありがとうございます。すぐにお作りしますので」

まるでVIPのような待遇だ。申し訳ないので三色炙り丼も注文し、食べながら待っていると、待望のアレがやってきた。カリッと揚げられた背黒イワシが二十本。これで三九九円は本当に安い。

一本つまんで丼のご飯とともにサクサク噛むと、香ばしさが鼻から抜けて、身の濃厚な脂がジワッと湧き出てくる。こんな美味が江戸時代には燃料に、絞りかすは肥料になっていたとは。もちろん冷蔵庫もなかった時代の話である。

どうしても持ち帰りたい理由がある

まだ午前中だが、これには日本酒を合わせねばなるまい。メニューには有名蔵のお酒が並んでいるが、むくむくと抗えない欲求が湧き上がってくる。背黒イワシの唐揚げには、どうしても荒くれ漁師町の酒を合わせたいのだ。

そこで店長に、テイクアウトができないかと尋ねると、ランチの丼しかできない決まりになっているのですが、といいながら、丼の容器の底に紙を敷いて持ち出すことを黙認してくれた。

杓子定規な対応が横行する現代社会で、客の願いをなんとかして果たしてやろうと、抜け道を探してくれる温かさ。泣けるではないか。

お礼を述べて会計を済ませるが、仕事は終わりではない。街の酒屋を三軒ばかり回ると、目的にかなう一本が見つかった。千葉県勝浦市の串浜にある東灘醸造の「鳴海(なるか)」というお酒だ。

家に帰って四合瓶の金属カバーを外すと、フタが天井までポンと飛んだ。搾りたての新酒を瓶に直詰めしたので、酵母が出すガスが残っていたのだ。

南房総のお酒は「濃い辛」が多い

外房の勝浦は、東京の疲れたサラリーマンにお勧めだ。特急列車で一時間半。国内有数のカツオの水揚げ量を誇る漁港には、金目鯛やイセエビ、アワビといった高級食材もよくあがる。

地元周辺で醸されたお酒を飲み比べたことがあるが、共通点があるように感じた。あくまでも最近の流行りとの比較による個人的な感想だが、南房総のお酒は「淡麗ではない辛口」、いわば「濃い辛」のものが多い。

辛さという味覚はなく、酒に辛口などないという指摘もある。とはいえ酸味や渋みの多さ、甘みの少なさ、アルコール分のコクなどから「辛い」としか表現できない酒はあると思う。

最近の日本酒は醸造技術が向上し、味がとても繊細になっている。それによって若い飲み手を獲得し、新しい市場を拡大できたことは、とても素晴らしい。三十年前には想像できなかったことだ。

その一方で、やはり日本酒には昔からの飲み手もいる。たとえば漁などの過酷な肉体労働で疲れた身体には、塩気の利いた味の濃いつまみと、しっかりとした味とコクのあるお酒が合うのも事実なのである。

味のボリュームが三倍増える 

話を戻そう。磯丸水産の背黒イワシは頭とワタを取り、粉をつけて丸揚げにしている。じっくり揚げているせいか、中骨までサクサクでまるごと食べられる。

それをよく噛んで味わってから、まずは最近人気のフルーティな吟醸酒を口に運んでみた。香りがよく、上品で本当にいいお酒である。お酒単独で味わうことができ、個人的にも愛飲している。

しかし、この素敵なお酒が、ワイルドな背黒イワシの唐揚げと一緒に口にすると、完全に風味で負けてしまうのだ。まったく歯が立たない。惨敗といっていい。

これが「鳴海」だと、やはり思った通りのがっぷり四つになる。背黒イワシの力強い脂との相乗効果で、味の音量が倍くらいになる。

なぜか「こまけえことはいいんだよ!」と叫びたくなった。店長ありがとう、今日はあなたのおかげでお酒を存分に味わっています。

ところで冒頭の若い店員さんによると、背黒イワシの唐揚げは、次のグランドメニューの変更で復活するかもしれないし、しないもしれないとのことだ。いまから署名活動をしたい気分である。

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