妻であり、母親であることの閉塞感~女性の自由と孤独

37歳のマドカ。夫と6歳の娘と暮らしている

女装小説家の筆者が、「女性の自由と孤独」をテーマに、さまざまな女性の「リアル」に迫るこの連載。第1回では古い友達のマドカを取り上げる。快く取材に応じてくれるというマドカ。遠方に住んでいるため電話で話を聞くことにした。

現在37歳で、生まれ育った九州の街で仕事をしながら6歳の娘を育てているマドカ。年に数回、娘を夫に託してひとり旅に出る。行き先は決まって東京だ。何をするわけでもなく街をぶらつき、気になっていた店や喫茶店を訪れる。なぜマドカはひとりで、それも東京に向かうのだろうか?

「それ、周りのひとからめちゃくちゃ言われるよ。なんで家族と一緒に行かないの? なんでひとりになりたがるの? 子どもを置き去りにして旅行だなんてありえんよ。男の人は、自分の彼女や奥さんならそんな自由な行動許さんってつっこんでくるし、女の人は、家のことを放り出して勝手なことしすぎやろとか言ってくる」

電話越しにマドカはうんざりしたような声をあげた。確かに結婚して、働きながら子育てをしている多くの女性にとって、行動範囲はとても限られたものとなる。家・職場・保育園(学校)・家族やママ友との付き合い。こうした狭いコミュニティの外に出ることは難しくなるのではないだろうか。そのことに満足しているかどうかは別として。

家庭での閉塞感

女装小説家として家で仕事と子育てをしている私は、そうした女性たちと似たような生活を送っている。小説を書き、たまに女性の装いをすることを楽しんでいるだけでなく、実際に母親の役割を果たしてもいるから。保育園の送り迎えに食事や入浴の世話に寝かしつけ。特に夕方から寝かしつけるまでの時間帯は息をつく暇もないほど忙しくなる。

仕事をしている女性にとっては、帰ってからまた別の仕事をしているようなものだ。そうではない女性も、終わりのない繰り返しの作業をひたすら続けなければならないのが家事や育児。もちろん子どもの成長を間近で感じられる機会は男性より多いかもしれないが、人間関係や行動範囲が極端に狭くならざるを得ないがゆえの、閉塞感に耐えている女性もいるのではないだろうか。

「結婚したら女は家事・育児を中心に生きることが美徳、っていう考え方を押しつける人はたくさんいるよ。私は結婚式にも興味がないから挙げてないし、マイホームもいらない。でも、母親でも妻でもない、肩書きも名前もない自分でいられる時間は欲しい。だから、ひとりで旅行に行く」

東京に行くのは、誰も自分のことを知らない街だからとマドカは言う。誰にも関心を持たれないことが気持ちいいのだと。なかでも新宿は特別な街。雑多なジャンルの人々がそれぞれの目的を持って歩いていて、お互いの匿名性に干渉しようとは誰もしない。新宿駅の人混みのなかを歩いているだけで、マドカは気持ちが昂(たかぶ)ってくる。誰も自分のことを知らないからこそ、自分らしくいられるのだと。

年に数回、夫と娘を残してふらっとひとり旅に出るマドカ

家族の中に性を持ち込んではいけない

ところで、年に数回も家を空けてひとり旅に出るマドカにとって、夫はどのような存在なのだろう?

マドカは夫と出会って数カ月後に妊娠して、結婚した。それ以来、一度も体の関係は持っていない。あからさまに拒絶的な態度を示して、夫もそれを受け入れた。体を触られることも、裸を見られることもいまではあり得ない。

妊娠をきっかけにホルモンバランスが変化してレスになる夫婦もいると聞くが、それだけではないような気がするとマドカは言う。夫と性的な関係を持てなくなったことには、母親との関係が大きく影響しているのかもしれないと。

マドカは3歳の頃に、母親と義父の交わりを見たことがある。そばにいたマドカは、義父に手で払われた。そのときの不快感は忘れられない。家族のなかに性を持ち込んではいけないと感じるようになったのはそのせいだ。

「両親は2歳のときに離婚して、私は姉と妹と一緒におかんに引き取られたんだけど、すぐにおかんは再婚して、再婚相手との子もできたの。新しいお父さんには、すごく違和感があったなあ。理由は言いたくないけどね。5歳のときにおかんがまた離婚して、おかん側に引き取られたんやけど、そのあとおかん蒸発したんよね。新しい彼氏を見つけたみたい。

親として生きることを放棄して、女になりたかったんやろうね。気がついたら私、親戚のうちの養女になってたの。でもその年にまた、おかんが迎えにきたから10カ月の期間限定の養女だったけどね。そのあともおかんはすぐ新しい彼氏作ってたけど」

親に謝られるのってしんどい

マドカは子どもの頃から、母親に翻弄されっぱなしだったらしい。母親はマドカが中学2年生のときにまた蒸発をした。家には食事代としてお金が置いてあったが、母親は帰ってこない。姉は結婚して家を出ていたので、その頃には妹と2人で暮らしていた。やがてガスと電気が止まったことがきっかけで祖母に知られて、再び親戚に引き取られることに。

「高校3年生のときかな。おかんがトラックにひかれたって電話があって。集中治療室に入ったの。ツタンカーメンみたいやった。もうだめなんかなって胸がざわざわした。おかんは助かって、また一緒に暮らすことになったんやけど、おかん躁うつ病になっちゃって、ずっと精神科で入退院繰り返してた。

私が20歳になって少し経った頃、奇跡的に少しだけ精神的に安定している時間があって、落ち着いた口調で、『誕生日なんもできんでごめんね』って言われたの。初めておかんからごめんねって言われた。親に謝られるのってしんどいね。でも私が返した言葉は、誕生日とかうれしくない、ただ単にあなたの死ぬ日が近づいてますよってサインなだけだから。それを聞いたおかんどう思ったんやろう」

「親に謝られるのってしんどいね」。

このひと言には、マドカの生き方が凝縮されているかのようだ。おそらく母親が謝ったのは、誕生日のことだけではないだろう。それまでの自由奔放な生き方のすべて。さらには子どもを産んだことも含まれるかもしれない。

あなたを産んでごめんね、などと母親に言われればしんどくて当然だ。でもマドカはその言葉を突き放した。そこに私は、マドカの母親への愛を感じた。謝らなくて結構です、私は私で立派に生きてきました、同じようにあなたもあなたらしく立派に生きてきたんですよ、と。

だが、これが母親とマドカの最後の会話になった。この会話の後、マドカが外出している間に、母親は自宅で自殺した。

「おかんが死んだときは、ずるいって思ったよ。最後まで自由を振りかざして欲しかった。おかんは死んだ。でも、私は生きている。明日は我が身だと思って今を生きたい。おかんは母親としての機能は果たしてなかったけど、人間として嫌いにはなれない。ある意味自由の象徴みたいに思える。堕ちた自由の女神やけど」

「自由の象徴」かつ「堕ちた自由の女神」でもある母親の生き方をなぞるかのように、マドカはひとり旅を繰り返す。でも母親がそうしたように、マドカが娘に謝ることはないだろう。自由の振りかざし方と同時に、決して越えるべきではない一線をマドカは母親から学んだ。つまり、自由でありながら、妻でもあり母親でもあるということ。

マドカは来年の春に、家族で東京に移り住む計画を立てている。

【連載】女性の自由と孤独

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