家やモノを持たずフリーに生きる落語家・立川こしら「Googleアカウントがなくなったら生活に困る」

落語家・立川こしらさん(撮影:萩原美寛)

自宅を持たず、必要最低限の持ち物だけをバッグに入れて、各地をめぐる生活を送っている落語家・立川こしらさん(43歳)。故・立川談志さんが創設した「落語立川流」の真打(しんうち)です。独身であるがゆえの身軽さもあって、現在はホテルや知人・後援者・兄弟子の家に寝泊まりしながら、活動しています。

こしらさんは、Amazonやメルカリといったサービスをはじめ、ITを積極的に利用することで、お金やモノを「所有する」ことから解き放たれた生活を送っています。その独特なライフスタイルを、『その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方』(光文社新書) として記したこしらさんに、話を聞きました。

インタビューするにあたり、こしらさんから「(スマホのゲーム)『ポケモンGO』で、欲しいポケモンを持っている人を紹介してもらえるとうれしい」というユニークな依頼がありました。その要望に応え、ポケモン好きの知人を紹介するところから取材がスタートしました。

「モノを守るためのコストがなくなったのが、すごく大きい」

ーー「家がない」というライフスタイルは、どのように確立していったのですか?

立川こしらさん(以下、こしら):3年くらい前から、徐々に移行していったっていうのがあって。シェアハウスに住むことからはじめて、「漫画喫茶で暮らしてみよう」というところを経て、「家を持たない」というところまできました。

こしらさんの基本的なスタイル(撮影:萩原美寛)

ーーなにかきっかけがあったのでしょうか。

こしら:海外で公演をやると、宿泊費がかかるじゃないですか。僕の場合、大きい主催者がいて行くわけじゃないんですよ。地元で「10人ぐらい集められるよ」っていう人がいたら、そこに行って(落語を)やる。だから「宿泊費に困ってるんですよ」と言うと、「うちに泊まる?」って、ホームステイみたいに海外で暮らす日本人の家に泊めてもらったんです。そこで、海外の人って生きる力が強い、日本は生きるために守られてるなっていうのを見聞きして。過保護に生きすぎているなと思ったのが、きっかけといえばきっかけです。

ーー「家がない」ことによって、プライバシーや周りの人の目が気になることはないですか?

こしら:たとえば電車に乗っているとき、隣の人を見ます? 歩いているとき、目の前にいる人をジロジロ見ることなんて、ほぼないじゃないですか。そう考えると、他人から見られてない状況って1日のうちにかなりあると思うんです。

僕は、コンビニの駐車場が好きなんですよ。駐車場に2時間くらい座って、スマホで仕事をしたりするんですけど、それってちょっとおかしい状況ですよね。でも「おかしい」と思っても、見られるのは一瞬なんです。「危害を及ぼす人じゃないな」ってわかったら、そこで関心が離れる。見られる一瞬さえ気にしなければ、すべてプライベートだなと。僕もそこまで人を意識して暮らしてないので、逆の立場だと考えたときに、別にいいんじゃないのかなっていうのがありますね。

立川こしらさん(提供:合同会社第プロ)

ーーストレスを感じることもない?

こしら:ないですね。これまで、どれだけのモノを守って生きてたのかっていう。そこにかかるコストがなくなったことが、自分にとってはすごく大きいです。

オンライン化が進んだ先にある「寂しさ」とは

ーーでは、いま実際に持っているモノで、大事なものはなんですか?

こしら:スマホです。スマホというか、Googleのアカウントです。ログインできれば、すべて丸く収まるので。それがなくなったら、生活が非常に困ります。スケジュールもGoogleカレンダーで管理していますし、KEEP(メモ)とかスプレッドシート(表計算)とかをひと通り使っています。基本的にデータを所有しない。全部クラウドにあげるっていうのは徹底しています。

ーー著書では、Amazonの「出品サービス」で、自分でデザインした雑貨などを販売しつつ、自分でも使うという方法が紹介されていました。ほかにも使用しているオンラインのサービスはありますか?

こしら:バーチャル(仮想)PCですね。海外にパソコンを借りて、そこにアプリをインストールしておく。宿泊先のホテルで、ノートPCを借りられたりするんですが、そこには自分の望んだ環境がない。でも、ネット越しに海外のパソコンを操作できるので、すごく便利に使っていますね。

(撮影:萩原美寛)

ーーいまの暮らしに「寂しさ」を感じることもないのでしょうか。

こしら:昔(オンラインで生活する)『セカンドライフ』っていうのがあって、そのあと映画で『アバター』っていうのも出ましたけど、これが進んだら、本当の意味で肌と肌の触れ合いっていらなくなるなって。そういう時代になったときに「寂しい」って感覚はどうなるんだろうという思いはしますね。

いろんな意味で平等になると思うんですよ。みんながオンライン上で暮らすことになったら。容姿も自分で作れますし、持っている情報だってネット上にあるから、全員同じになるじゃないですか。そのなかで、誰かを好きになるのとかって、どういうところなんだろう。(重要なのは)姿かたちではないし、資産なのかなと思うけれど、それも味気ないし。テキストとか音声かもしれないけれど、音声を変えることもできる。そうなったときに、「この人、いいな」って思うところって、どこになるんだろうなって考えたりはします。

「NOは誰もが持つ最後の武器。安易に出すのは工夫がなさすぎる」

ーー「ミニマリスト」というのとは、また違う生き方なのかもしれませんね。

こしら:どうなんでしょうね。これまで、世間のカテゴリーに入れられたことがないので。必要だったらガンガン買いますしね。先日、サブで使っているスマホが壊れたんですよ。修理が得意なので、パーツを輸入したんですけど、どうしてもはんだ付けをしなくちゃならない箇所があった。でも自分のなかで、はんだごてを買うのがちょっと嫌だなと。1回しか使わないわけですから。結局、はんだごては買ったんです。喫茶店の電源とれるところで「すみません電源を貸してください」って、はんだ付けをして。すると不要になるんですね、はんだとはんだごてが。これを『メルカリ』で500円で売ったら、即売れました。

コストパフォーマンスとしては、非常に悪いわけですよ。2000円で買ったものを500円で売ったわけですから。でも僕からすると、修理をすることに価値があったし、はんだごてを持ち歩くのは「マイナス」だった。だから、所有はしないんですけど、無駄遣いをしていないかっていったら、してますね。

(撮影:萩原美寛)

ーーこしらさんにとって「お金」とはどういうものですか?

こしら:交換するためのものですね。

ーー『ポケモンGO』のポケモンとの違いはない、ということでしょうか。

こしら:価値としては、お金のほうが劣る可能性がありますよ。お金って、全員同じ見方しかできないじゃないですか。でも『ポケモンGO』の僕のモンスターは、僕なりの見方ができるわけです。僕なりの価値をつけられる。1000円はどこに行っても1000円ですけど、僕が交換してもらったポケモンは、僕が100万円っていえば100万円なんです。

便利ではありますよ。お金って。共通語みたいなところがあるじゃないですか。でもそれ以上のものではないなっていう。「お金を儲けよう」と思うから、みんな損したとか得したって発想が出てくるんだろうなと。その「モノ自体」が欲しいのであれば、それに出したお金で損も得もないじゃないですか。

たとえば、「これが欲しい」「100万円です」「じゃ、買います」って手に入れたんだったら、それで十分じゃないですか。あとで「いや、それいま値下がりして50万円だよ」とか言われると悔しくなるっていうのは、それが目的だったら別ですけど、そうじゃない限りは、そこに損も得も存在しないと思うんですよね。

ーー自分の考え方次第というわけですね。

こしら:あとで「50万円の価値だよ」って言われたときに、自分が100万だと思ったその価値が揺らいでるんですよ。欲しいと思って買ったんだから100万円でいいじゃんよっていう。基準をお金に戻そうとしちゃうから、損とか得とかが出てきちゃうんだろうなと。自分の気持ちとかモノを基準に考えれば、お金ってそんなにいるのかなっていう気はします。

ーーそうした考え方を持つに至ったのは、なにの影響が大きいのでしょうか。

こしら:落語ですかね。江戸時代ですし、落語が描いている世界はみんな貧乏。すごくシンプルな暮らしをしてるんですよね。そのシンプルな暮らしの行き着いたところが、「江戸っ子」っていう、間違ったカッコよさになっていくんですよ。「宵越しの銭はもたない」っていう。いまの時代にそういうことを言うヤツは通用しない。でもそれをカッコいいところまで昇華させちゃう。この文化の成熟さって、すごいなっていうのがあって。

僕は「宵越しの銭はもたない」というところまでやろうとは思っていないですけど、何も持っていなくても生きていけた時代があった。落語だから、いろんな人が手を加えていて、その時代をリアルに反映しているわけじゃないでしょうが、根本的なところは変わっていないと思うんです。非常に豊かなんですよね。考え方とか発想が。

(撮影:萩原美寛)

ーーこしらさんも、現在のスタイルを楽しんでいるように見えます。

こしら:そうですね。楽しくなる方法を必ず探しています。仕事とか、やらなくちゃならないことが生まれたときに、「どうやったらこれが楽しくできるのか」と考えるんです。楽しくできないという結論に至った場合は、やらないです。断るのは簡単なんですよ。「NO」って一番強いし、誰もが持っている最後の武器。でも、その「NO」を安易に出すのは工夫がなさすぎるだろうって、いつも思うんですよ。「それはちょっとな……」と思ったとき、「NO」にしないために、どういうアプローチをしたら自分のなかで納得できるだろうっていうのは探すようにしています。

ーーそこが、こしらさんの「こだわり」なんですね。

こしら:「イヤなことはやらない」。これが自分のなかで大原則としてあります。でも、「イヤなことをやらない」を甘くしちゃうと、たぶん死ぬんですよ。すべてが「めんどくさい」になるじゃないですか。「今日、仕事に行きたくないな」とか。ちょっとしたものを「イヤなもの」のカテゴリーにいれると、最後にいきつくところはたぶん自殺です。

だから、イヤなことはやらないという大原則はあるんだけれども、「本当にイヤなのか?」、「どういう意味でイヤなんだ」と。それをやることによって、僕はどれだけの損害を被るんだっていうのを、自分のなかで何回も考えるんです。そこまでイヤじゃないんだったら、快適にやれる方法を探そうっていう。ゲームですよ。RPGだったら、「この場所で敵を倒すのが効率がいい」とか考えるじゃないですか。それとそう変わらないことをやっているんだろうなと思います。

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