大家さんから突然の「退去命令」 人生9回目の引っ越し~元たま・石川浩司の「初めての体験」

突然の引っ越しで大慌て(イラスト・古本有美)

「田舎はどちらですか?」とよく聞かれるが、僕には故郷がない。

実際に生まれたのは東京都港区の虎ノ門病院だが、家は目黒区にあったらしい。「あったらしい」というのは僕の海馬の中を隅々までキョロキョロと目を凝らして探しても、その記憶は全く見当たらないからだ。なぜなら、僕は1歳になる前に神奈川県に引っ越してしまったから。僕は天才ベイビーではなかったのだ。

関東の町を転々とする

藤沢市鵠沼(くげぬま)。湘南海岸まで歩いて10分ちょっとぐらいの距離に家はあった。

粗末な家だった。親戚の家の庭にあった、戦前はアトリエだったという小屋を改造したものだった。風呂はなく、隣の家に借りにいっていたが、まだ薪をくべて沸かすタイプの風呂だった。

藤沢が戦前の別荘地ということもあり、まわりには裕福な家庭が多く、友達はお坊ちゃんという感じの人が多かったが、夜は、波の音と暴走族のバイクの音が交互に聞こえた。

初めてのハッキリした記憶は、幼稚園のたぶん年少組の頃。通園する途中の道で犬のウンコを踏んでしまい、皆に気づかれないように、校庭の隅っこで木のヘラのようなものでこすって落としているという寂しい光景だ。そんな孤独の「ウンコ落とし」から始まった僕の人生の記憶である。

その後、小学2年生の時に群馬県の前橋市に引っ越した。この引っ越しはなかなかショッキングであった。

引っ越しにともない転校した学校は、そこの土地柄なのか、クラスの半分以上が生活保護家庭だった。この時の詳細はいつかまた別の機会に書こうと思うが、とにかく藤沢との環境の違いにカルチャーショックを覚えた。

我が家には電話があったが隣近所には電話のない家も多く、当時は「呼び出し」と言って、「〇〇さ~ん、電話ですよー!」と呼びに行ったものだ。逆に電話をかける時は、電話機の横の箱に10円を入れてもらい利用してもらうシステムだった。

小学5年生の時に同じ前橋市内の別の町に引っ越した。父親が国家公務員だったため、いわゆる官舎に住んでいた。200坪もある築100年という木造の大きな家だったが、家賃は5000円。その当時でも破格であろう。さすが今も昔も税金が投入される公務員である。

ここには高校卒業まで住んだ。もちろん「ボットン便所」で、便器の下はまるで奈落のように深くて臭い闇が広がり、楳図かずおや、つのだじろうの漫画よりも恐怖だった。

そして大学受験に失敗し浪人生活に入った時、実家が茨城県に引っ越したので、僕ものこのこついていった。今はつくば市になっているが、当時は谷田部町と言った。当時の家は、最寄り駅から遠く離れていたので、僕は原付の免許を取って日々移動していた。

この家は、父親が仕事をしていた農林省の関係で、筑波研究学園都市にあった。全国から集められた研究者のための新しい住宅だった。しかし、僕はひとり暮らしをするために、1年足らずでこの家を出ることにした。

24年間住んだ我が家

24年間住んでいた家はCDのジャケットにもした

ひとり暮らしを始めたのは、東京都杉並区の高円寺。四畳半の風呂なしトイレ共同の木造アパートだった。当時19歳の僕は、初めてのひとり暮らしにワクワクした。僕の部屋はいろんなアーティストの溜まり場となり、ここからその後メジャーデビューする「たま」も生まれた。この当時の滅茶苦茶な暮らしの実態は、また別の機会にゆっくり書こうと思う。

そして27歳の時、結婚を期に埼玉県の某市に引っ越すこととなる。最初は二軒長屋で新婚生活を始めたが、2年後に同じ市内の2階建ての借家に引っ越した。便所は汲み取り式で、大雨が降った時には逆流して家の周りにドバドバと溢れ出し、近所に「噴飯もの」ならぬ「糞パンもの」の迷惑をかけた。この家には4年住んで、また同市内で2階建ての借家に移った。同じ市内で実に3軒目の引っ越しだった。

新しい家の住環境はとても気に入った。家の門からインドカレー屋まで2秒、海鮮丼屋まで4秒、銀行まで7秒、友人も何度かコンサートを開催したクラシックホールまで10秒、コンビニまで12秒、パン屋まで15秒という超好立地の物件だったからだ。

ここも古い家でブレーカーすらなかった。エアコンと電子レンジを同時に使うとヒューズが飛ぶのである。最近の若い人は「ヒューズが飛ぶ」という言葉は聞いたことがあっても、実際にその様子を見たことがない人も多いであろう。本当に金属のヒューズが焼き切れてぶっ飛ぶのである。なのでその度にドライバーを持って、新しいヒューズを付け替えなければならなかった。21世紀になってそんなことをやっている家は、他に聞いたことがなかった。

このように不便なところもあったが、とても住み心地のいい場所だった。気がつくと、人生で最長となる24年間住んだ家になっていた。もしかしたら一生ここに住み続けるかもね、と妻とも話していた。

突然の引っ越し

ところが、去年の年末に突然、大家さんから「土地を売却するから」と退去命令が出た。慌てて物件を探して1カ月足らず、同市内にまた一軒家を借りることとなった。人生で9回目の引っ越しである。

今回の引っ越しは、これまでで最も大変だった。急に決まったことと、元の家に押入れや物置スペースが多かったこともあって、ものすごい量の物があった。今度の家は部屋数は増えたものの収納スペースが前より少ないので、多くの物を処分せねばならなかった。

雨漏りで駄目になった約5000冊の漫画本、アマチュア時代からの様々なカセットテープやビデオテープなどを、後ろ髪を引かれる思いで一気に処分した。ただ、物を捨てるのが好きではないので、まだ聴けるCDはコレクターの友人に、本はこれから古本屋を開くという知人に譲渡した。誰かがどこかで、僕と同じものを聴いたり読んだりしてくれるだけで、何だかニヤニヤ嬉しいのだ。

しかしこのコラムにも書いた3万缶のドリンクの空き缶だけは、ムガガッと抱きしめて死守した。まあ、僕の人生はゴミとともにあったから、これでいいのである。

年齢的にも、もしかしたらこれが最後の引っ越しになるかもしれない。次の引っ越しは、お墓の中なのかもしれないな。

 

連載

この記事をシェア