インスタに投稿しない「ゲンゲの唐揚げ」と「ブリしゃぶ」の話

日本海の冬の味覚を堪能する

世は空前の肉ブームである。SNSには真っ赤な牛肉の断面の写真がこれ見よがしに貼られ、あざとく「いいね!」を要求している。

あれは何なのだろう。私はいま自分の生を生き抜いています、というアピールなのだろうか。確かにクレイジーケンバンドの横山剣は、名曲「男の滑走路」でこう歌いあげていた。

「機内食は肉か魚か/迷うことなく肉を選んだ/見知らぬ街のどこで行き倒れても/悔いのない死を迎えたいから」

「下の下」の魚がごちそうに

インスタ映えしなくてもうまい

機内食はともかく、子供のころから魚が好きだ。仲のよい友人はだいたい海沿いの出身で、焼魚の食べ方のきれいさで選んできた。仕事がうまくいったときの自分へのご褒美は、小料理屋の脂の乗った黒ムツの照り焼きである。

魚は、やっぱり寒いうちがいい――。そんなことを考えているうちに、いつの間にか鼻がむず痒くなっていた。春がすぐそこまで来ているのだ。慌ててバスと電車を乗り継ぎ、富山料理を出す上板橋の居酒屋に向かう。

ゆず大根の漬物と、ゲンゲの唐揚げ、それに砺波市の酒蔵が醸した「苗加屋(のうかや)」の純米酒を注文する。ゲンゲとは富山湾にすむグロテスクな深海魚で、漁師から食えない「下の下」の魚と蔑まれていたことからその名がついた。

これを揚げると、実にうまいのだ。生だとヌルヌルするゼラチン質がホクホクになり、サクッとした歯ごたえとともに白身の甘さが口に広がる。姿形はインスタ映えしないが、そんなことはどうでもいい。むしろ誰にも教えたくない。

北陸の日本酒は、意外と個性的だ。お隣の新潟で好まれるような米の旨味をベースにしつつ、華やかな香りをあわせ持っているものが多い。結果的に独特な味になっていて、北陸の魚と楽しむのに十分な魅力がある。

火を通せば身に潜んだ脂気が滲み出る

春と書くのに冬がおいしい鰆

次に鰆(さわら)と野菜の煮物をいただく。火の通りが絶妙で、煮魚の身がフワフワだ。日本酒といえば刺身という人が少なくないが、断然「加熱派」である。熱を加えることで身に潜んだ脂気が表に滲み出てきて、旨味がぐっと増す。

そもそも、いい生魚のネタを安定的に調達することは容易ではないし、手間が大き過ぎる。売れ行きの影響も受ける鮮度管理は難しく、食品ロスのリスクもある。お客にコスパよく楽しんでもらうために、最初から「うちは生魚やってないんスよね」と言い切る店主は、むしろ信頼できるのだ。

もちろん「今日はいいのが入ってますよ」と胸を張られたら、こちらも笑顔で応じるしかない。そして魚の種類と脂の乗り加減に合わせて、隠し包丁の入れ方を絶妙に工夫しているのを見たら、ちゃんと称賛しておいしく味わえばいいのである。

それが客の礼儀というものだ。料理人の苦労も知らずに、ただ日課のように刺盛りを頼み、一つひとつの味の違いも味わわず食い散らかしている団体の酔客を見ると、こちらの酔いが醒めてしまう。

話が脱線したが、魚偏に春と書く鰆は冬が一番おいしいと思う。出汁の利いた餡の中で、日本海の幸と、山のきのこや豆腐や菜の花が出あう。こんなぜいたくは昔なら殿様しか味わえなかった。現代に生を受けたことに心から感謝したい。

調理法に感じる人間の文化の積み重ね

生のものと火を通したもの

さて、しめは何にしようか。もうすぐ冬が終わる。あんなに辛く厳しかった寒さも、なぜか名残惜しくなってきた。富山市の「富美菊(ふみぎく)」の純米酒を追加し、奮発してブリしゃぶを頼む。この店では、鍋にしょうゆ味の出汁を入れて火にかけるようだ。

軽く出汁にくぐらせたブリをポン酢につけてほおばる。熱が通って白くなった部分と生の部分との間に、半生の部分がグラデーションになっている。食感を楽しみながら噛んでいると、身と脂のいいところが混ざって新たなハーモニーを奏でる。

そこに日本酒を流し込み、目をつぶる。冬の日本海から陸に引き上げられ、さばかれて湯にくぐらされるブリの、遠き道のりを思う。この見事な調理法に、人間の技術革新と文化の積み重ねを感じずにはいられない。

「きっと世界のどこにも/私のような男はいない/でもお前にはそれがわからない/いいさ 分かってたまるか」

ふたたび「男の滑走路」の歌詞がよぎる。いくら肉より魚がうまいと言ったって、あなたには伝わらないだろう。まあ、いいさ。分かってたまるか。俺はインスタになんか絶対に投稿しないぞ。むしろ誰にも教えたくない。

 

特集

TAGS

この記事をシェア