画鋲を背中に…悲惨ないじめを受けたときの話~元たま・石川浩司の「初めての体験」

はじめてのいじめ(イラスト・古本有美)

いじめは、意外なところからやってきた。

僕は小学校2年生の時に、神奈川県から群馬県に父親の転勤で引っ越した。元々シャイで人前ではほとんど喋れない内気な性格。それに加え、超がつくほど不器用だった。さらに転校生でもあった僕は、いじめられる三大要素をすべて満たしていた。しかし、最初に僕をいじめたのはクラスメイトではなかった。

先生公認でいじめが始まる

転校してしばらくたった頃、風邪をひいて学校を休んだ。その翌日、いつものように教室に入ると何か雰囲気が違う。昨日までは、珍しい転校生の僕におちゃらけて声をかけてきた奴も、どことなく様子がおかしい。不思議に思って何気なく聞いてみると、衝撃の答えが返ってきた。

「昨日、クラス会で担任の先生に『みなさん、他県から引っ越してきたよそ者の石川くんとは、遊んではいけません』と言われたんだよ」

担任の先生はおばあちゃん先生だったので、とにかくなまりがひどかった。先生に話しかけられた時に方言が理解できず、何を聞かれているのかほとんどわからずに答えられなかった。それを「ろくに返事もしない嫌なガキだね!」と、誤解されたのかもしれない。

とにかく、先生が率先して僕をいじめ、いじめが公認されてしまったのである。

それからはとにかく酷かった。嫌なことはすぐ忘れるように意識していたので、実際にどんないじめがあったかはほとんど覚えてない。だが、背中に画鋲(がびょう)をザザーッと入れられバンバン叩かれたり、給食のパンを足で踏んづけてから渡されたり、突然の飛び蹴りにプロレス技、ランドセル投げ、毎日恒例のビンタなど、様々ないじめをいろんな奴から日々受けていた記憶はハッキリある。

今なら登校拒否になってもおかしくない状況だが、当時「登校拒否」という言葉すらなく、学校に行かないという選択肢はなかった。

そしてその先生は僕だけではなく、言うことを聞かない児童には容赦がなかった。ある時、「もうしないか。しないと言え!」という先生の怒号で振り返ると、校舎の3階の窓から両足だけ持って、その子の体を外にブランブランと激しく逆さにして振っていた。

もちろん手が滑りでもしたらその子は即死である。その友達は半狂乱になって泣きながら謝っていた。今ならワイドショーものの騒ぎになったであろう。

開き直ったらいじめがなくなった

そのクラスは先生だけでなく、生徒もすごかった。クラスには男女1名ずつ計2名の”札付きのワル”がいた。男子の方はとにかく粗暴で、人の手の爪をギガガガッと全部剥がして血だらけにするなどの残虐行為が有名だった。女子の方は万引き。と言っても本人の意思ではない。親が毎日「何かしらかの万引きを必ずしてから帰って来い。しなければ家に入れんぞ!」という方針の家だったのだ。

クラスの半分以上は生活保護家庭で、親の離婚や再婚が多いのか、友達の苗字が変わることがしょっちゅうあった。転校する前の学校が少し裕福な家庭の子が多い学校だったので、それはそれは激しい”カルチャーショック”を受けた。凄まじい環境の変化だった。

こうした環境の中、殴られる日々が続いたが、ある日僕は気づいた。僕を殴って笑っている人たちはとても楽しそうだ。「なんだ、僕はある種の幸せを人に提供しているんじゃないか」と。

そこで、それまでいじめからコソコソ隠れるように逃げていた僕は、思い切って開き直った。積極的に馬鹿をして、ふざけて、いじられるようにした。堂々と自分の不器用さをさらけ出すようにして、笑いに変えていった。

するとどうだろう。みんな気勢を削がれたのか、いじめが徐々に減っていった。そして「石川はなんか面白ぇ奴だ」という感じになっていったのだ。いつの間にか、僕のまわりにはたくさんの友達が集まっていた。

気づいたら、いじめはほとんど無くなっていた。

担任の先生をモデルにエロ小説

中学生に上がると、逆に先生をいじめてしまった。

と言ってもいじめっ子になったわけでも、意識的にいじめたわけでもないが、結果的にいじめのようなことをしてしまったのだ。

何をしたかというと、担任の先生を主人公にしたエロ小説を書いたのである。担任の男性教師が教え子に手を出して、いろんなスケベエなことをして、ニヒヒと笑うといった内容だった。

ノートに書いて友達に見せたところ、「すげー、おもしれー!」ということで、クラス中にまわった。評判を聞いた他のクラスの生徒からも「おい、それ読ませろ」ということで、そのエロ小説はいろんな教室に旅をした。最終的にどこかの教室の後ろの棚あたりに誰かが不用意に置いて、先生に見つかったのである。

これはちょっとした事件となった。普通中学生くらいで悪いことというと喧嘩や万引きなどで、そういった行為に対しては指導マニュアルがある。しかし、エロ小説を書くことは想定していなかったらしい。不良とは違う知能犯みたいなものだからである。

結果、僕をどう指導すべきかについて緊急で職員会議が開かれたらしい。そして、僕は担任の先生に呼び出しを食らったが、先生も自分が主人公でエロいことをするという小説について、どのように指導したらいいか分からない感じで、「こっ、こういうものを書くのは良くない...」と、しどろもどろになって僕を叱っていた。

でも先生、おかげで僕は今、朝日新聞のネットメディアでコラム連載を持てるようになりました。自分の書いたものが他人に喜んでもらえる、「書く」ということの楽しみを教えてくれたあの小説は、決して無駄ではありませんでした。

あれから45年ほど経ってしまいましたが、先生の名誉のために書いておきます。先生は本当はエロくなかったです。すみません!

最後に、いじめられた僕が当時を思い出しながら作った歌を聴いてください。

いじめられたことを思い出して作った曲「ラザニア」(YouTubeより)

 

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