ミャンマーで大人気の「ジャパン・パゴダ」 国宝級の仏像301体を救った日本人がスゴい

一般財団法人日本ミャンマー友好交流協会の代表理事を務める熊野活行さん

ミャンマー最大の都市・ヤンゴンの郊外に建つアウンザブタイヤ寺院は「ジャパン・パゴダ(日本の仏塔)」と呼ばれています。昨年12月、301体の歴史的仏像を納める大聖堂が完成し、落成式には10万人もの人々が押し寄せました。

なぜ、ミャンマーの田舎町にある寺院が「ジャパン」を冠した愛称で呼ばれているのか。なぜ、そこに安置された仏像群に人々が熱狂するのか。その鍵を握る人物であり、今、ミャンマーでもっとも有名な日本人のひとり、熊野活行さん(69)に話を聞きました。

熊野さんが寄贈した仏像の1つ。上座部仏教(小乗仏教)の流れを汲むミャンマーの仏像は、日本の仏像とは趣がだいぶ異なる

「鬼」との遭遇がすべての始まりだった

アウンザブタイヤ寺院が位置する集落は、数年前までは閑散とした地域でした。ところが2012年、世界最古級のものを含めた301体の仏像が同寺院に寄贈されると一変、休日には5万人もの人々が訪れるようになったのです。これらの仏像群を寄贈したのが熊野さんです。

熊野さんは自身が開発した「配管防錆装置」の製造・販売を行う日本システム企画(東京都渋谷区)の代表取締役。なぜ彼が301体もの仏像を寄贈することになったのでしょうか。その原点には「鬼」との遭遇がありました。

2018年12月に完成したアウンザブタイヤ寺院の大聖堂

2002年に初めてミャンマーを訪れた熊野さんは、ミャンマーの人々に言い知れない親しみを感じたそうです。以来、頻繁に訪れては教育支援などを行うようになりました。

そんなある日、乗り込んだタクシーが古都バガンで道に迷い、洞窟のような場所へとたどり着きました。何気なく暗がりの奥へ歩を進めると、突如、現れたのが「鬼」でした。「ものすごい形相で睨みつけられ、あまりの恐怖にその場から逃げ去りました」(熊野さん)

日本に戻ってからも、その「鬼」にうなされるようになります。「毎晩、夢の中に出てくるんです。そこで、あの洞窟について調べてみると、歴史あるパゴダ(仏塔)だということが分かりました」

そして、はたと気がつきます。「鬼」だと思っていたものの正体が、実は仏像だったということに。「それがわかると、あの仏像は私に何かを訴えているのではないかと思うようになりました」。

熊野さんは毎晩のように見ていたその夢について、「仏塔を修復するように」というお告げなのだと理解しました。そして、ミャンマーへ戻ると、朽ちた仏塔の修復を申し出たのでした。

資料を眺めながら当時を振り返る熊野さん

秘仏が地下マーケットに流出

2007年、長年にわたり軍事政権が続くミャンマーで大規模な反政府デモが起こりました。僧侶の団体が深く関わったデモだったため、政府は特殊部隊を国中の寺院に送り込み、弾圧しました。そうした最中、日本人ジャーナリストを含む9人の一般人が射殺される事件まで起こります。

一方、仏塔の修復を行っていた熊野さんは、仏教関係者からあることを聞かされます。それは非合法的にミャンマーの仏像が国外へと持ち出されているという話でした。

「軍政は寺院への寄進とお布施を禁止していました。そのため、困窮した僧侶たちがやむを得ず仏像を地下マーケットに手放していたのです。イギリスの植民地時代ですら隠して守ってきた秘仏が流出する。それはミャンマーにとって計り知れない損失になるのではないか。そんな思いがわいてきました」

保護した最初の仏像。「特に思い入れがあります」と熊野さん

「命がけ」の救出作戦が始まった

仏像の流出を食い止めたいーー。熊野さんは、関係者を通じて1体の仏像を購入し、保護するためにヤンゴン市内の借家に持ち帰ることにしました。しかし、当時は仏教徒に対する弾圧が激しさを増していた時期。外国人が仏像を運搬していることが当時の政府に知られれば、「射殺されてもおかしくなかった」と熊野さんは振り返ります。

仏像を買い戻し、ヤンゴン市内の借家に向かってトラックを走らせる熊野さん。途中でミャンマー軍の検問所があり、緊張が走ります。トラックの外には小銃を手にした兵士たち。荷台には仏像。熊野さんは運転手が行き先を告げるのを、助手席の足元に隠れながら聞いていました。

「当時は橋という橋に軍の検問があったため、大量の野菜でカムフラージュして輸送しました。また、そのころ現地に日本人はほとんどいませんでした。その日本人が大量の野菜を運んでいるとなれば、それだけで怪しまれるので、私も助手席に隠れて運んだんです」

その後、無事にヤンゴン市内へ戻った熊野さん。1体の仏像を保護すると、売りに出された仏像の情報が次々と舞い込んでくるようになりました。

「本当は誰かがやってくれないかと思っていました。でも、やる人がいない。できる人間が私しかいないのであれば、私がやるしかない。そんな思いで次の仏像、次の仏像と購入していきました」

こうして2年をかけて集めた仏像は、気づくと301体になっていました。

落成式の様子。世界各国の仏教指導者のほか、会場には10万人もの一般参加者が集まった

鑑定すると多くが国宝級だった

2011年、ミャンマーは民政移管が果たされ、軍事政権が終わりを告げます。熊野さんは「仏像を返すときが来た」と感じたそうです。

しかし、さまざまな僧侶に会うものの、「この人なら安心して託すことができる」と思える人物とは巡り会えませんでした。そんな折、友人から紹介されたのがアウンザブタイヤ寺院を建立したパナウンタ大僧正でした。

「出会った瞬間にゾクゾクしました。あとから聞くと、彼も同じように感じたそうです」。このとき、2人は前世で兄弟であったと互いに確信します。そして、即座に仏像の寄贈が決まりました。

落成式当日の熊野さんとパナウンタさん

実はパナウンタさんにとってもこの出会いは運命的でした。同寺院には、完成したばかりだけれど使用目的がない、大きな講堂があったのです。まるで301体の仏像を迎え入れるために建てたかのようなタイミングでした。

2012年、同寺院にすべての仏像が運び込まれました。鑑定すると、2600年前の世界最古級のものなど、その多くが国宝級であることがわかりました。翌年には一般公開され、国営放送で紹介されると、その存在は全国区へと広がりました。

「大勢の参拝者であふれ、混乱をきたすようになってしまいました。そこでこれまでの建物面積の約10倍の大聖堂を建設することにしたのです」

鑑定の結果、2600年前、釈迦がまだ生きていた紀元前5世紀ごろのものであると判明した仏像

ミャンマーで英雄となった熊野さん

落成式には世界40カ国の仏教指導者や政府の要人などが出席。特設ステージではコンサートが行われ、さながら音楽フェスのような賑わいに。

一連の行動を決断するとき、熊野さんには相談相手がいませんでした。

「夢でうなされるから仏塔を修復するだなんて、他人に相談したら『馬鹿か』と言われるに決まっています。仏像の保護にしても誰かに相談して、それが軍の耳にでも入ったら命が危ない。だから、いずれのときもすべてひとりで決断しました。今にして思えば、お釈迦様のお導きだったと感じています」

落成式当日、熊野さんが会場を訪れるとサインや写真を求める人だかりが瞬く間にできあがりました。命がけで人知れず仏像の保護を続けた熊野さんは、敬虔(けいけん)な仏教国として知られるミャンマーの人々にとって、今や英雄です。

そんな熊野さんへの敬意と感謝を込めて、ミャンマーの人々はアウンザブタイヤ寺院をいつしか「ジャパン・パゴダ(日本の仏塔)」と呼ぶようになりました。

「これからも301体の仏像がミャンマーの皆さんにとって心の支えであるように。そして、アウンザブタイヤ寺院を通じて日本とミャンマーの友好関係がさらに深まるようにと願っています」(熊野さん)

 

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