タクシー運転手との偶然の出会いから生まれたノンフィクション~沖縄・東京二拠点日記19

沖縄の街を走るタクシー

10数年前から続けている沖縄と東京の二拠点生活。1月中旬は、沖縄のヒップホップグループのラッパーにインタビューしたり、新たに建てられた沖縄県立図書館に行ったりした。そんな中、偶然出会って仲良くなったタクシードライバーとの縁が『沖縄アンダーグラウンド』を書くきっかけになったことを思い出した。

那覇は毎日、街歩きしても飽きない

【1月13日】 夕方、名古屋から那覇に移動。仕事場に荷物を置いて、「すみれ茶屋」に晩飯を食べにいく。定休日なのだけど、特別に開けてもらった。主の玉城丈二さんにはいつも感謝。

冷蔵庫にあった地魚のシチューマチ(青鯛)を島豆腐とアオサといっしょにマース(塩)煮にしてもらう。魚まるまる一尾なので、これで腹一杯。泡盛「萬座」をちびちびやりながら、あれやこれや世間話をする。

【1月14日】 昼すぎまで仕事をしてから、ぶらぶらと散歩してジュンク堂書店へ。曇天だが、長袖シャツ1枚でじゅうぶんの暖かさ。大型書店に歩いて15分ぐらいで行けるのはほんとうにうれしい。東京では電車に乗って都心に出なければ大型書店はない。

ジュンク堂那覇店は1階にカフェもあって、買った本をすぐに読めるし、このうえない贅沢。ぼくにとって楽しい「沖縄」はやっぱり那覇のこのあたりなのだ。

沖縄で自然を堪能するのもいいけれど、那覇は毎日、街歩きをしても飽きない。散歩のために沖縄に来る人がもっと増えてもいいんじゃないかなと思う。

この日、ジュンク堂では、いくつかの地元の古書店が売り場の一角で棚を作り、販売するイベントを開催していた。

この日はオークションもあった。宜野湾市の「ブックス じのん」の天久斉さんがおすすめの本を手にとって、まわりを取り囲んでいる本好きたちに、各店舗の商品(古本)の説明をしていく。人気のある本はどんどん値が釣り上がる。

ジュンク堂那覇店の「古書の市」

天久さんの「じのん」は、沖縄を書こうとする者にとっては聖地みたいなところで、ほんとうになんでもそろっていて、かつ、天久さんに相談すると、関連の古本を紹介してもらえる。彼の博識には多くの書き手が助けられていると思う。『沖縄アンダーグラウンド』の取材中もずいぶん助けてもらった。

ふだんは物静かな彼が、フーテンの寅さんのようにしゃべり倒しているのにびっくりしたが、あらかじめ目をつけておいた『坂本万七遺作写真集 沖縄・昭和10年代』と『坂本万七遺篇』、それに『島尾敏雄全集』と『南風のさそい』など島尾氏の本を数冊まとめて落札できて満足。けっこう競ったけど。

この「古書の市」では、沖縄怪談ものの一連の著作で知られる作家の小原猛さん(古書店を経営している)や、同じく古書店「ちはや書房」の櫻井伸浩さん、『沖縄を変えた男 栽弘義――高校野球に捧げた生涯』を著したノンフィクション作家の松永多佳倫さんとも会った。

夕刻になってハラもすいたので、ジュンク堂で会った「おとん」の池田哲也さんといっしょにいつもの「串豚」へ。いまの季節はおでんがある。豚の気管部分を丸ごと煮たのが、じつにおいしい。こんなのを出すホルモン焼きの店はほかにあるのかな。栄町へ寄って、「ソリアーノ」でヒューガルデンの生を飲んで帰宅した。

「串豚」店内。主人の喜屋武満さん

ヒップホップと沖縄の共通性

【1月15日 】「琉球新報」で始めた「藤井誠二の沖縄ひと物語」の取材で波の上にある「波の上ミュージック」に。早めに着いたので近くの喫茶店でコーヒーを飲んでから向かうと、店の前で写真家のジャン松元さんがすでに待っていた。同ショップは沖縄のヒップホップグループ「赤土」が経営しているショップだ(当時)。

「赤土」のラッパーのRITTO(リット)さんと合流し、RITTOさんが小学生のときに石垣島から引っ越してきて住んだ曙という街を歩いて、撮影。曙には「赤土」のライブのときに使用するスピーカーなどを置いた倉庫兼事務所があって、そこでインタビューをおこなった。

曙の小学校に転校してきたとき、いきなりリンチされた話や、シングルマザーの家庭で、母親が昼も夜も働いて苦労した話。アメリカでヒップホップミュージックに出会い、ヒップホップの歴史をすごく勉強したこと、沖縄とヒップホップカルチャーの親和性などを話してくれた。

終わったあとは、久茂地にあるビル1階のガレージのような場所で、RITTOさんの先輩が営業している「ガラム」という飲み屋に行って、ジャンさんと3人で飲む。RITTOさんの友人の音楽関係の人たちが続々とやってくる。

目の前は久茂地川。吹き抜ける風が気持ちよくて、つい酒がすすむ。

左から、筆者、RITTOさん、ジャン松元さん

RITTOさんはかなり酔っていたが、急に「これからレコーディングします」と言って帰っていった。何かイマジネーションがわいたようで、その瞬間のラップがいちばんいいと言っていた。

そのあとはジャンさんとしばらく飲む。ジャンさんは元米兵の父親と奄美出身の母親がルーツのダブルだ。ぼくより2~3歳先輩。子どものころ、ダブルということでひどくいじめられたことや、父親との関係について教えてくれた。

ジャンさんとは「琉球新報」の連載のほとんどの回でチームを組むことになる。物静かで誠実な人柄。彼の被写体の切り取り方がすごく好きだ。

ジャンさんと別れたあと、やはり久茂地川沿いにある「アジール」というバーへ久々に顔を出した。照明はついているのにドアが閉まっているので、中を覗いたらマスターの児島康弘さんがソファで寝ていた。

児島さんが、ぼくの読者だという弁護士さんを呼び出してくれて、拙著『黙秘の壁 名古屋・漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか』について、あれやこれや意見をもらった。

タクシードライバーは「激動の沖縄」の目撃者

【1月某日】 以前バスセンターがあった場所に新たに建てられた沖縄県立図書館に行って、副館長さん(当時)に館内を案内してもらう。

沖縄の県産本を含め、行政機関が出している冊子など、思わず息を飲んでしまうほどの蔵書量。そして贅沢な空間。ここに何日かいるだけで本が書けてしまうかのような錯覚に襲われるほど。

沖縄県立図書館の郷土資料室

一緒に行ったカメラマンの深谷慎平君とたこ焼き屋に出かけて飲むが、ぜんぜんおいしく感じられないので、河岸を変えて台湾料理の小皿料理をつまみにしてビールを飲む。その後、スーパーで食材をどっさり買い込んで、タクシーを呼び止めて帰った。

思えば、『沖縄アンダーグラウンド』はこうして乗り込んだタクシーのドライバーさんと仲よくなったことが始まりだった。まったくの偶然だ。

彼が、酔っぱらったぼくを、宜野湾市の売買春街「真栄原新町」に連れて行ってくれたのだ。妖しい光を放った町は、ごく普通の住宅街のなかで絶海の孤島のように存在していた。

ノンフィクションの着想は誰かとの偶然の邂逅から生まれることが多い。運といってもいいかもしれない。最近、ノンフィクションライターの石戸論さんのインタビューに答えて、沢木耕太郎さんがそうおっしゃていたことを思い出した。

ぼくもタクシー運転手との偶然の邂逅から1つのノンフィクション作品を生み出したわけだが、じつは戦後の沖縄で、タクシードライバーは激動する時代の「主役」の1つだったのではないかと思っている。

光州事変を描いた韓国映画で、ソン・ガンホ主演の傑作『タクシー運転手』ではないけれどではないけれど、タクシードライバーは時代を最前線で目撃した人たちなのだ。ぼくは仕事場に戻ると、沖縄のタクシー関連の古い新聞記事を集めたノートを開いてみた。

たとえば、1958年7月21日深夜、吉原(沖縄市)でタクシーを略奪して逃げた米兵を、十数台のタクシー運転手らが追跡するという事件が起きている。

那覇市内の風景

泥酔した白人兵5人が飲み屋のコップを割ったり、自警団にけんかをふっかけたりした末、自警団詰所の前に停まっていたタクシーを奪った。ドライバーは車外に放り出された。付近に停まっていたタクシーが防犯灯を点滅させながら追跡すると、追跡劇に気付いた付近を走っていたタクシーが次々に加わり、50台以上が追いかける展開となった。

具志川村平良川あたりで米兵とタクシードライバーたちは格闘となった。格闘の間に米兵2人は盗んだタクシーで再び逃走したが、金武町で警察に捕まった。平良川に残された3人の米兵のうち、1人は重傷、2人は軽傷を負った。

この事件が引き金になり吉原一帯はオフリミッツ(米兵の立入禁止区域)を発令され、米兵は姿を消すことになった。同時に、たしかに米兵の引き起こす事件は減りはしたが、Aサインのあるなしにかかわらず、米兵相手の商売を営む店の売上は急下降した。

Aサインバーというのは、アメリカの衛生基準を満たした飲食店などでないと営業できないという「許可証」である。性病などの蔓延を防ぐ施策だが、Aサイン制度の成り立ちについてはまた機会をあらためて書こうと思う。

タクシードライバーたちによる不良米兵捕り物劇があった背景には、1958年8月、B円(1945年から1958年9月まで、米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍票のこと)からドルへの通貨切り換えがおこなわれたことがあった。

ドル交換所を介した経済活動が合理化されたわけだが、米軍基地内との「免税差額」の問題が生じるようになった。通貨切り換え前は、ビール1本は100B円だったが、1本1ドルで販売するようになった。琉球政府によって課税されるので、その分と利益を乗せた額が1ドルだったのである。しかし、基地内では免税価格の35セントで飲めた。

結果的に、街で飲む酒は米兵にとって高い買い物になり、支払いのときにトラブルになったりもした。また基地内のバーで飲んでから町へ出てくるようになったため、米兵が街で飲む量は減り、売り上げも落ちた。この時期、米軍演習の影響もあり、基地の外へ出る米兵が減ったのだ。

 

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