母を苦労させた父が大嫌いだったが…30代になって「本当の気持ち」に気づいた女性

沖縄の海を眺めるクミ

「女性の自由と孤独」をテーマに、女装する小説家・仙田学がさまざまな女性にインタビューするこの連載。今回は、父親と向きあうことで本当の自分を見つけることができたクミ(39)に話を聞いた。

人生を変えたワークショップ

「20代の頃は化粧品会社で働いていて、24歳で結婚しました。相手は18歳から付き合っていた彼氏で、初めて付き合った人。結婚して5年ほど経った頃に、転職して百貨店の美容部員になりました。もともと人を綺麗にすることに興味があったんですけど、化粧品って本当に人を綺麗にできるのかなって疑問が湧いてきて、それを確かめるために現場の仕事に就いたんです。百貨店のお客さんは裕福な人が多くて、2~3万円もする化粧品を毎月買っていかれるんですけど、肌が綺麗な人はひとりもいませんでした」

化粧品はあくまで肌をカバーするもので、肌を根本的に綺麗にできるわけではないと気がついたクミは、美容部員の仕事を続けることに行き詰まりを感じたのかもしれない。上下関係が厳しく、通勤時間が長かったこともあって、1年後には仕事を辞めてしまった。

「それから1年間ほど、専業主婦をしていたんですけど…ある日、夫が仕事に行けなくなったんです。朝起きられず、外出もできなくなりました。何カ月か経って、彼はカウンセラーになりたいと言って、養成学校に行きだしたんです。その学校のワークショップがすごくよくて、大泣きしたよって話を聞くようになりました」

夫とは10年以上の付き合いがあったが、それまで泣いている姿は一度も見たことがなかったという。驚いたクミはそのワークショップに興味を持ち、参加することにした。

「ひとを癒すためにまず自分を癒そうっていうテーマで、参加者がお互いに親役、子ども役に分かれて、子ども役の人が親役の人に言いたかったことや、言えなかったことを伝えるっていう内容のワークショップでした。それに参加するうちに、私は父親の存在と向きあうことになりました」

「本当は父親が恋しかった」

両親は、クミが生まれる前から別居していた。クミの出産にあたって、母親は長男を連れて、名古屋から福岡へ里帰りした。だが父親が出産費用をギャンブルで使いこんだことが原因で、名古屋へ帰らなかったのだ。そのまま別居婚生活が15年間続いた。

「父は、ギャンブルだけじゃなく、浮気も絶えないしお酒も飲むし…『なんで離婚しないの?』って母に聞いたことがあります。そしたら、『お父さんから言われたんだけど、お母さん韓国籍だから、離婚したらあなたも韓国籍になってしまう。それでいじめられたらかわいそうだから』って。母は子どもの頃にかなり差別を受けたらしいんです」

お母さんをこれ以上困らせちゃいけないーー。子どもの頃から喘息の持病があり、よく発作を起こしては救急車で運ばれていたクミは、母親のことを思って欲しい物ややりたいことを我慢し、自分を抑えてきた。高校にも進学せず、中学卒業後すぐにスーパーで働いた。その頃、突然父が戻ってきたという。

「糖尿病が悪化して働けなくなって。その頃にはギャンブルも辞めてましたけど、家族4人での同居生活は苦痛でした。どう接していいのかわからないし、母を苦労させてきた原因は父だと思ってましたから。いままでほったらかしにしてきたくせに、という怒りもありました」

やがて母親が癌になり入院する。父親は糖尿病だけでなく、認知症も発症。夜中に徘徊し、家じゅうに排せつ物を垂れ流すようになった。兄は仕事でほとんど家にいなかったため、父親の世話はクミひとりでしなければならなかった。

「辛かったです。糖尿病患者特有のべたべたするおしっこは、拭いても拭いてもなかなか落ちなくて、毎日泣きながら掃除をしていました。2年後、父は糖尿病から肺炎を併発して亡くなりました。そのときはほっとしました。『家族をずっと苦しめてきた存在がやっといなくなった』って。ちょうどその日は1月4日で、私は友達と街にセールを見に行ってました。父が危篤だって電話が母からかかってきて、行きたくないって答えたんですけど、友達に諭されて戻りました。母と兄は泣いてました」

父親が嫌いだ、憎いという気持ちは、カウンセラー養成学校のワークショップで言葉にするうちに少しずつ変わっていった。

「本当は、もっと一緒にいてほしかった。恋しかった。30歳を過ぎて初めて後悔が生まれました。なんであのときもっと話しておかなかったんだろうって。ずいぶん自分を責めましたし、時間がかかりましたけど、最終的にはそれも含めて自分なんだと、受け入れられるようになりました」

ワークショップを通して父親という存在と向きあうことで、クミは以前より生きやすくなったという。その一方で、夫との間に溝が広がっていく。

自分らしく生きる道へ

カウンセラーの養成学校に通っていた夫は、その後会社を辞めて、再就職した。そのことがきっかけで夫との間に距離があき始めたという。

「夫が再就職したのは海外出張の多い職場で。しかも出張に行くたび1カ月は帰ってこないんです。最初は寂しかったんですけど、どこかで楽だなと感じてもいました。伸び伸びできるんですよね。そのうち夫が帰ってくると、嬉しい反面、自由じゃなくなると感じるようになりました。付き合いが長いし、気の置けない人だと思ってたんですけど…」

実家を出てすぐに、初めて付き合った相手と結婚したクミにとって、夫が海外出張に行っている間は、初めてひとり暮らしをする期間でもあった。

「離れてやっと、気を遣ってたんだなあ、と思いました。彼はすごく神経質な人で、物音がすると眠れないって言うから、私も夜更かししたくても同じ時間に寝るようにしていました。その他にもお金の使い道をいちいち報告させられたり、お風呂も一緒に入らないといけなかったり。彼は子ども好きで、私が妊娠したときすごく喜んでました。でも私はそこまで子どもが欲しいとは思えなくて。喜びよりも自由が制限される窮屈さのほうが大きかったです。結果的に流産したんですけど、そのことがあってから余計に距離を感じるようになりました。いま思うと、自分を抑えて相手に合わせる生活をしていたんですね。合わせているという意識もなかったかもしれません」

自分を抑えて生きてきたことに気がついたクミは、自分を優先する生き方へとライフスタイルを変化させた。クミの変化を夫は感じ取ったのか、2人の間でいさかいが増えた。喧嘩するたびに、夫は「離婚」という言葉を口にするようになる。その言葉にクミは傷つき、なぜそんなことを言うのだろうという疑問を抱いた。

「価値観が合わないのなら、離婚したほうがいいのかなと思うようになりました。私は、人に対してつかず離れず繋がっていたいタイプ。自分の価値観と相手の価値観が違っていても大切にしたいんです。でも彼は、自分の価値観と相手の価値観を融合させたいタイプで。だから私にとって彼と一緒にいることは窮屈で、彼にとっては私と一緒にいると寂しいんだと思います。そのことがわかったときに、離婚しようって決めました。彼も最終的には理解してくれて、お互い納得して離婚しました。だからいまも仲はいいですよ」

ヨガのインストラクターに

31歳で離婚してから、クミはヨガのインストラクターの仕事も始めた。化粧品会社や百貨店で、人を外側から美しくすることに携わり続けてきたせいか、今度は人を内側から綺麗にすることに興味が出てきたのだという。

「ヨガって心を扱うものなんですよね。何千年も前から人間には『苦しみ』というものがあって、それはどこにあるのかというと、人間の外側じゃなくて内側。たとえば同じ経験をしても、楽しいと感じる人もいれば、苦しいと感じる人もいますよね。そういう心の状態と、呼吸が関係しているらしい、と生まれたのがヨガなんです。呼吸と心の関係を知るために、ヨガのポーズが生まれました」

ヨガについて、あるいは、古来からある人間の「苦しみ」について話すクミの声は、どこまでも落ち着いていて迷いがない。これまでいろいろな「苦しみ」を経験して、考えが整理されたのだろうか。

「35歳でフリーのヨガインストラクターになって、しばらくした頃に好きな人ができました。お互いの価値観を尊重して、つかず離れず繋がっていられる距離感が心地よくて。でも彼が癌になってしまって…。暖かい環境でストレスなく暮らせるところに行こうってことで、それを機に結婚して沖縄に移住しました。気候はいいし、人も暖かいし、海も近いし。いいところです」

ヨガの仕事は沖縄にはなかなかない。それでも「悩むことはなかった」と言うクミの顔は晴れ晴れとしていた。

「まずは近所の人に広めていきたいです。ヨガマットと体ひとつで、人の心を綺麗にしていきたいですね」

【連載】女性の自由と孤独

 

連載

TAGS

この記事をシェア