NHKラジオ講座で語学を習得 ひとりで和英辞典を作った男・頴川栄治

頴川栄治さん

会社勤めのかたわら、オリジナルの辞典づくりに没頭。約30年かけて、7万語の見出しからなる「これまでにない和英辞典」を完成させた男性がいます。頴川栄治(えがわえいじ)さん(68歳)です。

頴川さんは、小学館で辞典編集者として『ポケットプログレッシブ英和・和英辞典』などを手がける一方、休日などを利用して、たったひとりで辞典を執筆・編集。仕事でもプライベートでも辞典にのめりこんできました。2018年5月、ついにオリジナルの和英辞典を完成させた頴川さんは現在、辞典の出版に向け、準備を進めています。

辞典づくりに必要な外国語の知識は、おもにラジオ番組で習得し、今では英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語など数カ国語が使えるという頴川さんに、「辞典に魅せられた半生」について話を聞きました。

ーーオリジナルの辞典を作るために30年もかけるなんて、すごいですね。

頴川:涙ぐましい努力でした。ざっくりとした計算ですけど、ほぼ2万時間かけています。

会社員のころは土日を割いて作業。7年前に定年退職したんですが、継続雇用で月〜水と働いていたので、残りの日はほとんど辞典にかかりきり。3年前完全にフリーになって、今は1週間に1日だけ出版社にドイツ語を教えに行ってるんですが、それ以外の6日間は、土日も関係なくやりました。

一般的な辞典(左)と頴川さんが作った辞典(右)

ーー頴川さんが作った辞典は、一般的な和英辞典とどこが違うのですか?

頴川:ふつうの和英辞典では、英文の例、用例が「追い込み」(改行せず、すき間がなく並べること)で記載されています。「見出し」(調べようとする語)ひとつで、用例を2ページくらい割かなければならないこともありますが、見つけたい例がどこにあるか、延々と引かなければいけないわけです。15分くらいかけてひと通り見終わったあげく、見つからないこともあります。

私の辞典の特長は、すべての用例が改行になっている点です。また、たとえば「言葉」という見出しでは、用例を言葉「が」、言葉「で」、言葉「に」、と助詞でアイウエオ順に並べています。助詞の次にくる、「~が荒い」、「~が通じる」、これもアイウエオ順。ここがこれまでの和英辞典とは違うものです。

ーー本業で作る辞典でそれを反映させるのは難しかったのでしょうか?

頴川:小学館からは和英辞典が何種類か出ていますが、(勤めていた当時は)小改訂しかなかったんです。助詞で並べ変えたり、改行したりといった全面的な改訂をするチャンスがまったくなかったわけです。でも私は、それまでの和英辞典を覆すようなものを作りたいと思っていたんです。

ーーなるほど。ふつうの辞典では、1冊作るのにどれくらい時間がかかるんですか?

頴川:規模によって違いますけれど、高校生が使う和英辞典ですと、執筆者が10人くらいいて、5年ほどで仕上げます。編集者は、小さな文字を朝から晩まで見ているわけです。何年間も。

ーー雑誌の小説の編集者と違って、原稿のチェックがおもな仕事になるのでしょうか。

頴川:いや、やっぱり執筆する先生とのやりとりなんですよ。たとえば和英辞典を作る場合、まず、どういう「見出し」、つまり日本語の単語があって、どんな用例があるかというのをこちらから提示します。それを先生がたに英語にしてもらうのです。

ところが先生がたは、こちらの思うスピードで書いてくれない。1カ月まったく原稿をくれないとか、そういうとき叱咤激励する立場でもあるんです。「先生、原稿が滞っていますが、どうなっていますでしょうか?」って。

ーー頴川さんが自分で作った辞典では、そんな風に誰かに手伝ってもらおうとは考えなかったのですか?

頴川:その話になるだろうなと思っていました(笑)。仕事として辞典を作るとき、大学の英語の先生が10人いて、編集者が3人いたとします。すると、先生10人の日本語と英語の感覚は、やっぱり違うわけです。編集者3人の感覚も違う。つまり30通りの日本語と英語の感覚が、1冊の本に混在することになります。

それを統一するには、ひとりでやるほかなかったんです。ひとりで執筆者も編集者も兼ねるほかないという考えなんです。

ーーひとりで作業を進めるなかで「つらい」とか「やめよう」と思ったことは?

頴川:私はそういうのに鈍感なんです。つらくないことはないですよ。でも、作業中はBGMで好きなクラシック音楽を流していますから退屈しないというのと、1日に8時間くらいやりますから、「今日は他の辞典では絶対に載っていない表現を見つけたな」という快感が何度もあるんです。それが原動力でした。

ーーどういうことでしょうか?

頴川:たとえば「『warm a snake in one's bosom』という英文は『飼い犬に手を噛まれる』という日本語にぴったりだな」と、そういう言葉を見つけたときの喜びは、なにものにも代え難いわけです。「これはこの訳がぴったりだ」と思えることが、その日の最高の収穫なんです。

私はひとりで晩酌をするんですが、ほとんど収穫がなかった日は戒めとしてアルコールは禁止です。「今日はまあまあだったな」と思ったら、ビールか焼酎。「今日はすごい収穫があった」と思ったら、キープしていた白ワインを飲む。そういう変化をつけていました。

ーー「ぴったりの語」はどうやって見つけるのですか?

頴川:それは大変に重要なことです。たとえば「忖度(そんたく)する」という言葉。「忖度する」という見出しを与えられて、それに相当する英語を探すのでは、意外といいものは見つからないんです。ですから、英語を読んでいて「『surmise』は『忖度(そんたく)する』と訳すとぴったりだな」と思ったら、「忖度する」の見出しに、その単語を入れるわけです。

ーーつまり、日本語に当てはまる英単語を探すのではなく、英語によい日本語訳を当てはめていくということですね。そのためには、英語の小説を読むようなことをされるんですか?

頴川:辞典を読むんです。私は文学畑の人間ではないんですよ。英英辞典や独独辞典、私の部屋は辞典だらけです。英英辞典のような外国語の辞典だけで50冊くらいあるんじゃないでしょうか。それ以外にも英和辞典とか、和英辞典とか、独和辞典とか、そういうのもたくさんあります。

5カ国の言語はすべて「NHKラジオ講座で学んだ」

ーーそもそも、どのようにして辞典編集者になったのですか?

頴川:大学4年のとき、フランスのソルボンヌ大学で半年ほど勉強する機会があったんです。各国からの留学生と仲良くなりまして。夕方になると、一緒にパリ市内を遊びまわるわけです。

レストランに行って、誰かがフランス語で注文する。するとスペイン人の友人が「エイジ、スペイン語ではこうやって注文するんだよ」とか「イタリア語ではこう言うんだ」と。それを聞いているうちに、私は自分には外国語が向いているんじゃないかと思うようになりまして。私の専攻は物理学だったんですが、「将来は外国語を仕事にしよう」と思って帰ってきました。

ーーもともと外国語は得意だったんですか?

頴川:いえいえ。私は長崎県出身で、東京都立大学に進んだんですが、大学に入ったときは数学と物理が好きだったんです。ただ、高校までに勉強したことのない、変わったことをやろうと思って、NHKのラジオ講座で数カ国語を勉強しはじめました。

ーー大学の授業もあるなか、どうやって勉強をしていたのでしょう。

頴川:今でもよくおぼえているんですが、毎朝6時半ごろに起きて、顔を洗ったり準備をしたりします。7時からラジオ講座で勉強をはじめて、8時20分まで20分番組を4つこなします。それから大学まで歩いて行って、昼間は勉強する。夜、帰ってきたら専門の物理を勉強する。そういう生活でした。

ーーでは、ラジオだけで語学を習得したんですか?

頴川:そうです。NHKのラジオ講座です。大学1年から、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語の5カ国語でした。もっとも安上がりな勉強方法ですね。外国語学校にはほとんど行ったことないんです。

頴川さんの本棚に並ぶ辞典の数々(提供:頴川さん)

ーー大学を卒業後、出版社に就職した。

頴川:フランスから帰国したら、就職試験の時期が終わっていまして。パリで(フランス語学者の)丸山圭三郎、福井芳男といった先生と知り合っていたので、「帰ってきました」と連絡しましたら、「就職はどうするの?」と。「僕たちが紹介するから(ドイツ語の辞書などを出版する)三修社という出版社で働いてみないかね」ということで試験を受けさせてもらって。いきなり外国語の仕事に就いたわけです。

1989年には中途で小学館に入りまして。基本的に英語の仕事ばかりやりましたので、それからは英語に強くなったという感じです。

ーー個人的な興味ですが、いくつもの言語を使う頴川さんは、夢のなかで何語を話しているのでしょうか。

頴川:面白い質問ですね。夢のなかはわかりませんが、妻によると、寝言は英語やドイツ語だそうです。「あなた、昨夜はドイツ語で寝言を言ってたわよ」って(笑)。

ーー頴川さんが作った和英辞典を出版したあとは、何をされるのですか?

頴川:実は並行して、他にも作っている辞典があるんです。和英辞典を世に問うたら、それを出したい。『よく知っている英単語のよく知らない訳語』辞典というものです。

たとえば「moonlight」という意味は皆、「月光」と思っているわけです。ところが動詞に使われると、「夜逃げする」という意味になったり、昼は定職に就いていながら夜はどこかでバイトをすることを指したりする。そういうのを集めているんです。

ーーやることの尽きない「辞典人生」ですね。

頴川:私が大学受験した年は、東大が大学紛争で入試を中止した唯一の年です。周りには、本来なら東大に進んでいたはずの優秀な人がたくさんいました。彼らは卒業後も、東大に行かなかったことで、悔しい思いをしたかも知れません。そう考えると、私は東大を受験できず、自分に合った幸せな人生を送ってきたと思います。

 

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