ボブ・ディランと井上陽水 敬愛するアーティストが着用する水玉シャツ

水玉シャツを愛用する筆者(©︎Jun Tsuboike / HuffPost)

世界で一番かっこいい人は誰か? この問いの答えは、人それぞれにあるだろうが、僕の答えは決まっている。ファッションも含めてということならば1960年代半ばのボブ・ディランは図抜けている、と。

例えば写真集『時代が変る瞬間』には、惚れ惚れするような着こなしのディランを見ることができる。

もじゃもじゃとした髪に表情を読ませない大きなサングラス細身のダークカラーのセットアップに派手な柄のシャツ、派手なストライプのパンツにミリタリー調のジャケット……。今のファッションシーンにありそうでほとんどない、完璧に「自分」を捉えた着こなしがそこにある。

その中で登場回数が多いのが、ディランのアイコンとも言える水玉シャツだ。この時期に限らないが、ディランは水玉シャツをここぞという場面でよく着ている。不思議なことだが、時代を切り開く人の着こなしというのは、そっくりそのまま周囲に伝播し、新しいものを象徴する何かになっていく。

井上陽水と水玉シャツ

先日、NHKの音楽番組「SONGS」を見ていたときに思わず笑ってしまったのも水玉シャツが原因だった。ゲストは歌手生活50年を迎えた井上陽水で、番組では彼のリハーサル風景に密着し、ライブパフォーマンスもけっこうな分量で放送していた。ライブ時に井上陽水が着用していたのが、水玉シャツだったのだ。

かつて、井上陽水は同じように新しい時代を切り開いていたノンフィクション作家、沢木耕太郎のインタビューでこんなことを話している。

ぼくが他のミュージシャンと話していて違うなと思うのは、ポピュラリティーのあるものに対する態度なんですよね。たとえばアメリカやイギリスのアーチストに対する好みでも、他の連中は普通の人が知らないようなアーチストを崇拝していたりする。(中略)でも、ぼくは完全なミーハーだから、そういう玄人受けするようなアーチストより、みんながいいというビートルズが好きで、みんなが認めているボブ・ディランが好きなんです。沢木耕太郎『紙のライオン 路上の視野I』文春文庫より

この一文を読んでいたせいか、水玉シャツを着ながら歌う陽水の姿が面白かったのだ。スタイリストが着せたのかもしれないが「完全なミーハー」な井上陽水のそれは、明らかにボブ・ディランと重なっていた。ボブ・ディラン本人というより、世界各国にー僕も含めてー大勢いる、好きなミュージシャンが着ているものを着たくなるファンの心情と共鳴していたというほうが正確だろう。

井上陽水の魅力

思わず笑ってしまったのにはもう一つ理由があった。70歳の井上陽水が、自分の歌詞の世界について大真面目に解説を加えていたのだ。ノーベル文学賞を受賞したディランもそうだが、井上陽水の歌詞もまた高い文学性を兼ね備えている、と言われている。

詩人は自らの詩を積極的に解説することはしないもので、大真面目に語る井上陽水の姿はどこか滑稽で、だが、本人もそれを自覚しているからこそ時折、しょうもない冗談を加えて自分自身を茶化していた。その姿がなんとも愛らしかった。

世代的な感性もあって、僕は沢木やジャーナリストの筑紫哲也がどうして井上陽水に惹かれるのかがいまいち良くわかっていなかったのだが、その姿を見た時に「あっそういうことか」と感じることがあった。

沢木は陽水の代表曲「傘がない」を「気分」と「断念」というキーワードで読み解いている。

正義、社会、真理、プロテスト……確かにそれも必要かもしれない。だが、重要なのは、いま、大事なのは雨が降り「傘がない」ことだ。少なくともそう言い切ってしまおう、と言う「断念」への意志がある。沢木耕太郎『紙のライオン 路上の視野I』文春文庫より

大仰に社会を変えると息巻くわけではなく、あえて目の前にあるものを大事だと歌ってみる。それでも、社会的なものとの接続を拒むわけでもなく、私的な空間に引きこもるわけでもない。それが彼らの「気分」だったのではないか。ジャーナリズムの力、事実の持つ力を信じながらも、どこかで突き放した視点も忘れない、微細な感性がそこにある。

SNS時代にも通じる陽水の歌詞

水玉シャツを愛用する筆者

井上陽水と言えば、先日『井上陽水英訳詞集』(講談社)を刊行したばかりの国文学者、ロバート キャンベルにインタビューをする機会があった。陽水がカメラの前で自分の詞を語るようになったのは、おそらくキャンベルの影響が大きい。

英訳にあたり、彼は陽水に長いインタビューを、それもラジオ番組として収録している。キャンベルの英訳は、英語と日本語の違いを考える上でも大事なテキストなのだが、それは「ハフポスト日本版」で公開された記事を読んでいただくとして、ここで大事なのは沢木が呼ぶところの「断念」である。

キャンベルとの対話を通して、陽水の歌詞にある感性こそSNS時代に大事であると僕は思ったのだった。筑紫の番組のエンディングテーマだった「最後のニュース」の話になったときのことだ。

この曲のなかで陽水は「忘れ得ぬ人」が撃たれて悲しんだ後、人々は誰を忘れたのかと投げかける。問いは現代的だ。ニュースサイクルは飛躍的に早くなり、人々はSNSで怒り、悲しみ、共感を調達する。

それがポジティブな行動につながるときもあれば、次から次に流れてくるニュースに反応するだけになってしまうときもある。

歌詞に含意される明日への希望

さらに「最後のニュース」には次のような一節がある。

「今 あなたにGood-Night ただ あなたにGood-bye」。

問題は、どんなシチュエーションでの言葉かだ。僕はてっきり多くの人がいる中で、大切な「あなたに」だけつぶやく言葉だと思って読んでいた。ところが、それとは違う姿がキャンベルの英訳を読むと見えてくる。

キャンベルは陽水の言葉を「Simply, for you goodbye」と訳している。陽水から「ただ あなたにGood-bye」とは、いろいろ言いたいことはあるけれど、とりあえず今は「ただ あなたにGood-bye」なのだと聞かされたからだ。

そこから「ただ あなたにGood-bye」を読んでみる。good byeは絶望的な世界の中で、もう会えないかもしれないと思ってつぶやかれるものではない。

見えてくるのは、明日があるということを含意し、いろいろ言いたいことはあるけれど、すべて言うことを「断念」して、1日の最後の言葉にgood byeを選んで、大切な誰かにつぶやく語り手の姿である。実はそこに少しばかりの希望も込められている。語り手が、明日が来ることを信じているからだ。

日々流れるニュースへの怒り、悲しみ、嘆きといった感情がSNSには溢れている。ニュースにいろいろと言いたくなる人が溢れている。その中には、自分はここまで「背景を知っている」と優越性を誇示するようなツイートも少なくない。

しかし、あえて言いたいことを「断念」し、もう一度、自分の足元を見つめてみるとどうだろうかーー。陽水の「気分」は現代への批評として、読み解くことができる。

さて。僕がキャンベルのインタビューに喜び勇んで着て行ったのは、もちろん愛用している水玉シャツだった。

 

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