「障害者は決して無力ではない」 やまなみ工房のアーティストが示す価値

「やまなみ工房」所属のアーティスト・田村拓也さんの作品。タイトルは「女の人(Woman)」(2014)

滋賀県の山奥に、世界的にも有名なアートの一大拠点がある。「やまなみ工房」だ。この工房に所属するアーティストの多くは重度の障害者だ。言語でのコミュニケーション以上に、彼らの作品は雄弁に彼らを語っている。彼らのアートはもしかしたら、世界中でかなり多く目にされているかもしれない。洋服のデザインソースになり、年に1度、パリの展示会に臨んでいるからだ。

【画像特集】独特の引力がある「やまなみ工房」のアート作品

キーパーソンは3人いる。ディレクションを担当する笠谷圭見さん、やまなみ工房施設長の山下完和さん、デザイナーの丸山昌彦さん――。2013年、ひっそりと始まった彼らのコラボは着実にファンを広げ、今夏は「ほぼ日」が運営するギャラリースペース「TOBICHI」での展示会も実現した。

彼らの活動はとかく「かわいそうな弱者のために良いことをしている」「障害を持っているのにすごい」で語られがちだった障害者アートシーンに、新しい風を吹き込んでいる。そう思って最初期から取材し、当時勤めていた毎日新聞で彼らの記事を書いていたが、正直、ここまで広がりを持った活動になるとは思っていなかった。今では、いち取材先というより、ファンとして年に1度の発表を心待ちにしている。

クオリティーの高い「やまなみ工房」の作品

「やまなみ工房」所属のアーティストの作品がデザインソースとなったシャツ

思い返せば、笠谷さんとの出会いは2011年12月14日だった。毎日新聞で泊まり勤務をしていた僕は、笠谷さんが参加しているイベントへ取材に行った。彼は障害者が描いた作品のディレクションを担当していた。

本業は広告なのだが、作品にすごさを感じていて、何とか広げていきたいのだと笠谷さんは静かに語っていた。福祉業界にはまずいないような佇まいの笠谷さんと僕はすっかり意気投合し、ずっと作品の話をしていた。彼らが描き出した作品はとても力強く、僕はすっかり惹きつけられていた。障害の有無はさしあたりどうでもよく、作品そのものに独特の引力がある。そんな話をしていたと思う。

ほどなく、「洋服を作る」という話が笠谷さんから届いた。最初に聞いた時に思ったのは、障害者アートと洋服を組み合わせるというアイデア自体はさほど「新しい」ものではないということだった。正直、ありふれているし、ある意味でベタな展開だと思った。

しかし、である。実物をみて驚いた。デザインのクオリティーが圧倒的に高いのだ。使っている生地も、シルエットのこだわりも全てが一級品だった。値段も当然のようにモードとしての価格設定になっている。聞けば、海外での評価も高いデザイナーの丸山昌彦さんとのコラボだった。

彼らはやがて、メーンにやまなみ工房の作品を取り上げたコレクションを展開するようになる。

やまなみ工房で見た絵画

「彼らの作品にはその人の人間性が宿っている」

施設長の山下さんも、ロックミュージシャンのようないでたちで、例によって福祉業界にはいなさそうな人だ。やまなみ工房に通う障害者は、言葉で語るのが苦手で、コミュニケーションが得意ではない人が少なくない。山下さんによると、作品は狙って描かせているのではなく、どうすれば彼らがこころ穏やかに生活できるのか、それを考えた結果として始まったのだという。

どう飾ったらいいのかもわからない絵画、言葉としての意味はないアルファベットの羅列、思いのまま作っただけの粘土作品が、アート作品として海外のコレクターやファッションシーンからも注目を集めることになった。

こんな話がある。あまりに重度の障害で、他の施設が受け入れを断った男性がいた。彼、吉川秀昭さんは「他の障害者が10できる作業を、1しか進めることができない」と言われた人だった。ところが、彼が「目、目、鼻、口」とつぶやきながら粘土に割り箸で刻み込んだ作品は、いまやコレクターが完成を待っている状況だ。吉川さん自身は周囲の喧騒を知るはずもなく、いつまでも変わらずに作り続けているだけなのだが……。

目・目・鼻・口(Eye eye nose mouth)/ 2005~ / 吉川秀昭

これに驚いたのは山下さんはじめ工房のスタッフである。山下さんはある展示会で、僕にこんなことを話してくれた。

「彼らの作品にはその人の人間性が宿っているんですよ。彼らにとってはやまなみが居場所だから、この場(展示会)に来ることは難しい。でも、作品を見てもらうことで社会とつながることができる。それでいいんですよ。彼らが作品を作り、誰かが見てくれる、洋服を着てくれる。人のつながりで、彼らをこの場に連れてくることができた。僕はこの展示自体が社会参加だと思っているんですよ」

やまなみ工房の様子

障害者への「固定的なイメージ」

彼らを取材しながらいつも考えていたのは「障害者のイメージ」だ。先にも書いたが、障害者アートはよく、「こんな重い障害を持つ彼らが頑張って描いた」という文脈で語られる。作品の評価は避けて、障害に負けずに頑張っているから素晴らしいという価値観が強調されている。そして、メディアが報じる多くのニュースは「障害に負けない」ことに重きを置く。

僕はこうした切り口から一度離れて、作品の強さを報道してみたいと思った。笠谷さん、山下さん、丸山さんの3人は、あくまで市場の中で流通する形を目指していた。僕がニュースだと思ったのは、この3人が、アートしても、洋服のデザインソースとしても十分に市場の中で戦える、と「やまなみ工房」の作品を位置づけたことだ。

彼らの活動を僕は経済学者の中島隆信さんのモデルを使って論じたことがある。ポイントだけ抽出しておこう。中島さんは『障害者の経済学』(東洋経済新報社)という素晴らしい本の中で、障害を売り物にすることの是非を論じている。彼は障害者プロレスを観戦し、最大のポイントは料金を取ることにあると断言する。

なぜか。料金を取ることで、興行を持続させることができ、かつ「固定的な障害者イメージを持って障害者に接してくる人々」にお金を払うなら見ないという選択肢を与えるからだ。

ここでいう固定的なイメージとは、障害者はかわいそうな存在で、純真さを持っていて、彼らと接することで癒されると思っている人たちのことである。料金をとれば、かわいそうな存在だと思う人たちは障害を売り物にしていると批判し、チケットを買ってまで近寄らない。そのかわりに、チケット制にすることで興行を楽しむファンを新たに獲得することができる。障害者の固定的なイメージを持たない柔軟な層をターゲットに市場を切り開く戦略が取れる。

そこが中島論のポイントだった。障害者に対して、「固定的なイメージ」を持っている人は決して少なくないだろう。笠谷さんたちの取り組みと障害者プロレスの興行は構造的にはよく似ている。作品をデザインに落とし込み、手間をかけてオリジナルの生地を作り、きちんとした縫製を施す。それに見合った価格を設定する。この価格設定なら「障害者を売り物にしている」といった発想を持っている人はもう近寄ってこない。

障害者は無力ではない

ピンクの玉(a ball of pink) / 2014 / 井村ももか

「固定的なイメージ」は一見すると優しい。しかし、中身を突き詰めると彼らをかわいそうだと言い、力がない人たちだと言っているだけだ。本当は力があるものでも、かわいそうだからという理由で市場に出そうとしない。

市場を獲得する「良いもの」はそもそも協調=コラボで成り立つ。このケースでいえば、まず作品を提供するやまなみ工房所属のアーティストがいる。アーティストは知的障害を抱えているので通常の意思疎通は困難であり、1人では取引ができないので、施設のバックアップを受けて、笠谷さんの手に作品が渡る。笠谷さんは1人で洋服が作れないので、丸山さんに作品を見せて、丸山さんがデザインに落とし込む。丸山さんも1人では生地を作れないので、生地屋に発注し、縫製工場に縫製を依頼する。こうして出来上がった洋服を多くの人に伝えていく役割を笠谷さんが担う。

この取引では、関わる人全員がそれぞれの得意分野を引き受けており、弱者は1人として存在しない。作品を生み出すアーティストは、社会では1人で生活できないが、それは私たちにしても同じことだ。それぞれの得意分野を担いながら、それを取引することで社会は成り立っている。

誰かを弱者だと優しく接して、市場から遠ざけること、それは彼らの力を認めず社会から遠ざけているだけではないのか。言い換えれば、社会のメンバーとして認めない、ということにならないだろうか。

障害を持ったアーティストは一見すれば、社会で生活するのが困難な存在だが、彼らは決して無力な存在ではない。適切なサポートがあれば、周囲の見る目があれば、得意な領域で力を発揮することができる。問われているのは価値を見出すことができない「私たち」の側なのだーー。

だいぶ前に書いた話を思い出させてくれたのは、先日、TOBICHIであった山下さんだった。「また、ああいう話を書いてください」と言われ、適当な返事をしてしまったのが、読み返してみると一方的なモノサシでしか測られない「生産性」ばかりが強調される時代の流れに、「やまなみ工房」は押し流されていないことがわかる。

大仰なことは言わず、ただ静かに自分たちの世界を生きている。その事実が意味することは、当時よりも今のほうがはるかに重みを持っている。

 

連載

TAGS

この記事をシェア