知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・中~沖縄・東京二拠点日記(番外)

真栄原新町で見かけた猫

1958年には米兵の夜間外出制限が正式に解禁された。それまでは建前としては午後11時以降は禁止だったのであるが、それが自由になったのである。

 知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・上
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 知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・下

琉球政府の規定ではバーの営業時間は夜11時までと決められており、米兵の門限が撤廃されれば、米兵が店に居すわるのは目に見えていた。そして「深夜に酔っぱらった米兵が、事件をさらに起こすのではないか」という懸念が出たのは当然である。

門限解禁の理由は「道徳向上」

そうでなくとも、日常的に沖縄の人々は米兵の暴力にさらされていたのだ。門限解禁になった理由は「米兵の道徳が向上したため」というものだが、あいかわらず米兵によるレイプ事件は頻発していたし、案の定、解禁になったとたん、彼らは傍若無人にふるまいだした。

門限廃止以来、深夜まで酒を飲んでぶらつき、住民はおちおち歩くこともできないとこわがっている。さる10日午前2時ごろ照屋区三班区事務所近くの道で四人の黒人兵に女給が暴行されたが救いの声にかけつけた付近の人も目撃しながらどうにもならなかったらしい。またMPの眼を盗んで酒を買い人家はなれた畑に行って夜通し飲み明かし、農作物をふみあらして農家に悲鳴を上げさせている。(『琉球新報』1958年7月18日付)

これは黒人米兵街の照屋で起きた事件を報じた記事だが、米兵らは門限が解禁されたのに閉店時間が早いということに腹を立てたらしい。彼らは営業時間に制限があることに無知だったのだ。照屋での米兵の狼藉ぶりを報じた記事をもう2つ紹介したい。

前原署管内では風俗営業の閉店時間になると各バーやキャバレーをパトロールして外人客を帰し、店を閉じさせているが、一部の兵隊達は「われわれは外出時間の制限はないのにどうして沖縄の警官は店を閉めさせるのか」とくってかかり、これを説明する警官に暴言を浴びせている。また深夜数人の外人兵グループがクギをうちつけた角材をふりまわして部落内をうろつき、「沖縄人とけんかするときに使うのだ」といきまいているという。(『沖縄タイムス』1958年7月15日)

兵隊の門限廃止で基地の街中部が荒れてきた。10日比島兵が沖縄人の耳を拳銃でうった。12日コザ市照屋で女給が、黒人兵4人に襲われた。16日宜野湾で白人兵自動車強盗。さらに18日北中城村渡口で白人兵2人の自動車強盗など、凶悪犯罪が起きている。その他、表面化しない窃盗、器物毀棄などの外人事件も少なくない。石川署では、いままで外人事件は一週間に1~2件にすぎなかったが、門限廃止で傷害、窃盗、公務執行妨害など6件の発生。ほとんど夜11時以後の事件である。街を流すタクシー運転手も、あいつぐ自動車ギャング事件にノイローゼ気味。(後略)(『沖縄タイムス』1958年7月19日付)

警察はこうした門限廃止が引き金と見られる米兵犯罪について、各警察署で万全の体制を整えるように指令をだした。コザ署では吉原や照屋地区で夜11時から朝方にかけて飲食店を見回った。

米兵たちは、Aサインを持っている店は11時以降に営業しているとAサインを取り上げられる可能性があるから11時で閉めることを知るようになり、Aサインを持たない店が集まる区域に流れるようになっていた。それが吉原や照屋といった特飲街の当時の実態だった。

沖縄の「フィリピンスカウト」たち

さきの記事にある「比島兵」とは米軍フィリピン人兵士のことである。ここで彼らについて説明を加えておきたい。

ぼくが沖縄県公文書館で見つけた、1948年に米軍あてに出された沖縄知事の「比島兵に因る沖縄住民に対する被害状況について」という文書には、フィリピン人兵士による犯罪を何とかやめさせてほしいという訴えと、沖縄住民が受けた被害状況が書かれていた。

沖縄住民も米軍当局の御趣旨に副う可く教育、文化の向上と経済の確立を目指し世界文化の水準に到達する様、沖縄の復興に一路邁進して居ります。一部米軍人(特に比島兵)の中には米軍当局の沖縄に対する真意を解せず軍規を犯し昼夜の別なく住民部落に不法侵入して(中略)無差別に沖縄住民の権益を害して迫害を加えるものが(中略)続出して住民の生活を脅かしている状況にあります。

この訴えには、フィリピン人兵士の襲撃におびえ睡眠も取れず、フィリピン人兵士の撤退県民運動を起こそうと思っている旨が続く。

そして1948年内に起きた(認知された)フィリピン人兵士が起こした、殺人・殺人未遂・強姦・強姦未遂・放火・暴行・傷害事件計68件が列挙されている。多くは強姦目的で家屋に侵入し、住民や民警察の抵抗にあい、凶器を使って相手を襲ったり、腹いせに放火をしたものだ。

法務局刑事課に勤務経験のある天願盛夫が記録した『沖縄占領米軍犯罪事件帳』には、昭和20年代に確認された、米兵が引き起こした目を覆いたくなるような凶悪犯罪が記録されているが、じつは加害者として黒人兵・白人兵と並んで、フィリピン人兵がかなりの数を占めている。とくに強姦事件が目立つ。

当時のフィリピン人部隊のことを、親の世代から聞かされたことがあるという米軍基地関係者に取材すると、彼らは「フィリピンスカウト」と呼ばれる米軍の正規軍だった。

フィリピンを侵略統治していた日本軍に対抗して、米軍とともに闘った精鋭部隊で、沖縄に1947年から駐留したのはフィリピンスカウト44歩兵部隊である。

私が取材をした基地関係者は、沖縄にやってきた「フィリピンスカウト」のことを、やはり米軍基地に勤務していた親から聞いたことがあるという。

その親によれば、沖縄にやってきた「フィリピンスカウト」は、占領軍司令官マッカーサーがとくに気性の荒い者を選抜し編成、嘉手納基地に駐留させていたそうで、基地内部でもトラブルや事件を起こすため、その名を聞くと眉をひそめる者が多かったという。

しかし「フィリピンスカウト」の「正史」は、日本軍を追い払い勝利をおさめた勇敢な英雄たちだ。「フィリピンスカウト」に所属していた兵士の子孫が書いたウェブサイトなどを読んでも、そこには「英雄」の姿しかない。

だが、沖縄では蛮行をはらいたことは事実である。ベトナム戦争に参戦した韓国の特殊部隊白虎師団や青龍師団が韓国では長らく英雄扱いされていたが、真実はベトナムで強姦や虐殺などを犯していたことが、のちに韓国メディアによってスクープ告発された事実とだぶった。

「フィリピンスカウト」はじきにフィリピンに帰されたらしいと、私が取材した基地関係者は語っていた。たしかに、さきの天願が作成した記録などで米軍兵士の犯罪記録を年代を追って見ると、昭和20年代後半期にはフィリピン人兵士によるものは皆無に近くなり、白人兵と黒人兵だけになっている。

(「知られざる沖縄特飲街「Aサイン」戦後史・下」に続く)

 

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