広島・長崎と終戦の8月に「原爆の図」丸木美術館を訪れる

大きな書棚を備えた丸木美術館のアトリエ(小高文庫)

8月のある日、丸木美術館に行った。画家の丸木位里・俊夫妻が、埼玉県東松山市の都幾川(ときがわ)に面するひなびた場所に建てた建物である。

代表作は何といっても「原爆の図」。美術の教科書にも載っている有名な屏風絵がずらりと展示されている。ここで夫妻が存命中に親しい人たちに囲まれて楽しく暮らした様子は、宇佐美承氏の『ルルの家の絵かきさん』(偕成社)に詳しい。

春には爽やかだったアトリエも真夏には

美術館前にある野木庵

前回訪れたのは若葉のころで、アトリエとして使っていた古民家の2階(小高文庫)が、自分が理想とする書斎のイメージにぴったりで忘れられなくなった。菜の花がびっしり咲いていた川べりは、いまどんなふうになっているのだろう。

森林公園駅から40分以上かけて歩いて行く予定だったが、こう暑くてはそうともいかず、タクシーに乗って10分ほどで向かった。運転手さんに小高文庫のような天井の高い建物に住みたいと打ち明けると、彼は即座にその野望を酷評した。

「みなさん古民家がいいとか言いますけどね、私は茅葺きの家で生まれ育ったから分かるんですが――私だったら絶対イヤですね。きれいな水洗トイレにエアコンの効いたマンションの方が、どれだけいいか」

これには思わず吹き出してしまったが、運転手さんはしまったという顔をして、何度も、つまんないことを言ってすみませんでしたと謝っていた。恥ずかしくて友達も呼べなかったとも言っていたので、よほどつらい記憶があるのだろう。

美術館に入り、ひと通り作品を見た後にお目当てのアトリエに上がろうとすると、2階に向かう狭い階段で不吉な予感がした。もわっとした湿気を含んだ重たい空気の気配を、頭上に感じたからである。

春先にはまばらにしか生えていなかった樹々の緑が、いまは鬱蒼としていて窓を覆い尽くすように茂っている。両の壁に大きな書棚を作り付けた21畳の部屋は蒸れ、古い家独特の匂いが鼻をついた。運転手さんの忠告は正しかったのかもしれない。

「原爆はあんなもんじゃない」と批判した妹

「原爆の図」に見入る学生たち(丸木美術館提供)

以前、自宅から少し離れた場所に事務所を借りたとき、秋晴れの日に内見して即決したのに、冬には寒すぎて使い物にならず、夏の猛暑に耐えられず1年足らずで解約した。日本の四季は厳しすぎる。

春にはこたつが備えられていたアトリエの真ん中には、素っ気ない小さなテーブルが置かれていた。そこにひじをついてあぐらをかくと、額を流れる汗が顎を伝って足に落ちた。そこでクーラーも扇風機もない時代に生きた昔の人のことを考えた。

たまらず立ち上がって窓を開けると、意外なほど冷たい風が入ってきた。オーシーツクツクという蝉の鳴き声を聴いていると、もう夏も終わりかけなのだということが理解できた。

それからエアコンが涼しい展示室に再び戻った。「原爆の図」は前回と微妙に展示場所を替えているように見えた。勘違いかもしれないが、そう思えるほど同じ絵の感じ方が変わっていた。

正直をいうと、「原爆の図」を初めて見たときには、女性の裸体の描き方があまりに美しすぎると感じた。広島の平和記念資料館に展示されていた写真と比べ、被害の生々しさがなぜここまで省かれているのかと思ったのだ。

それが様式的すぎるという感想につながり、これを見る人が被害の実態をこうだと理解すると、深刻な誤解につながるのではと恐れた。そして、画家はどこまで自分の眼でファクトを見たのだろうか、といぶかしく思った。

帰宅して過去の新聞記事を検索すると、爆心地から2.5キロで被爆した位里の妹の大道あやさんが、生前「原爆の図」に対して「原爆はあんなもんじゃない」「兄さんたちは見てないから描けるんだ」と批判を漏らしていたことが分かった(2011年2月21日付け朝日新聞夕刊)。

「普遍的な悲劇を扱った絵画作品」に感動

草いきれに満ちた美術館前の川べり

ただそれでも、あの絵はそんな感想で終わるようなものではない、という直観もあった。そこで原爆が投下され終戦を迎えた8月に、もういちど見直そうと考えた。

今回は少し作品と距離をとってみた。すると描かれた肉体の生々しさよりも、罪もない多くの市民が一発の爆弾により一瞬で殺戮された惨劇が浮かび上がった。助けられた人はほんの一部で、多くは手が付けられずに見捨てられたとも感じられた。

位里は原爆投下の4日後、俊は1週間後に広島に入った。そのことで、彼らが実際の被害をどれだけ見たのか、と批判される余地ができたのかもしれない。しかし彼らが、黒焦げになった死体に虫が湧く様子を目の当たりにしたことは間違いない。

より重要なのは、夫妻が「原爆の図」を描き始めたのは戦後4年が経ってからだった、という事実だろう。原爆と敗戦のショックから立ち直ろうとする過程で、2人は画家としてこのテーマにどう向き合うべきかを語り合ったのではないだろうか。

その結果、見たままを写実的に記録するのでなく、普遍的な悲劇を扱った絵画作品として仕上げることになったのは、むしろ自然な帰結に思える。

ところで、丸木美術館は国営でも公営でもない、入場料や寄付などで運営をまかなう私立の美術館である。「原爆の図」保存基金の応援として、美術家の会田誠氏がメッセージを寄せていた。とても的確な評価に思えたので紹介したい。

「《原爆の図》は仮にそのイデオロギーを抜きにして、純粋に絵画として見ても、戦後日本美術の代表作であるだけでなく、特異点だと思います。あの時代、あそこまではっきりと国際社会に向けてアピールしようとした絵画作品は他になかったのではないでしょうか。あのサイズの巨大さと、連作を続ける執念からは、人類的使命感と個人的野心が渾然一体となった、アーチストとしての最良のエゴを感じます。また丸木夫妻(特に位里?)が、近代に作られた『日本画』というジャンルに属しながら、その花鳥風月的枠組みから大きくはみ出して行った点も興味深いです」

次回は冬の、あえて小雪舞うころに訪れてみようかと思う。そのときはまた、絵に対する感動もアトリエへの関心も変わっているかもしれない。

 

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