五島列島の「ホンビニ」から本が消えた日(『離島の本屋』ひとり旅・2)

宇久島の高台から、海がある方を望む。

本屋がある島ばかりを1人で旅している。理由は『離島の本屋』という連載を、足掛け15年続けているからだ。

前回は取材した書店が閉店した伊豆大島を紹介したが、実はもう1軒、閉店した書店から連絡をもらっていた。

戸田屋書店の店主・戸田政文さん。2014年2月撮影(撮影・今井一詞)

2017年8月、打ち合わせのために編集者とカフェに入ろうとしたさなかに着信があった。2014年2月に取材した戸田屋書店の店主、戸田政文さんからだった。

「朴さんさー、あのねー、9月いっぱいで本を置くのを辞めることにしたんだよ。それでさー、朴さんに連絡しておこうと思って」

『ホンビニ』の棚から、本がなくなった

宇久島の宇久平港から集落に向かう道。2014年2月撮影(撮影・今井一詞)
入り口前にベンチと、ひさしに「ブックストダ」の文字がある戸田屋書店。

五島列島の宇久島にある戸田屋書店は、嘉永元年に創業した150年以上の歴史がある店だった。

先代の戸田徳重さん。2014年2月撮影(撮影・今井一詞)

スタートは酒店だった。1911(明治44)年に門司に出光商会(現在の出光興産)ができたことで石油も扱うようになり、1972(昭和47)年に先代の戸田徳重さんが書籍販売を始めた。

かつては学校帰りの子どもたちが、マンガを物色していた。2014年2月撮影(撮影・今井一詞)

とはいえ書籍を並べていたのは昭和の頃までで、平成時代は雑誌やコミック、教科書販売のみで、書籍は注文があれば仕入れる状態だった。空いた棚には食料品やアルコール、雑貨を置いていたことから、取材当時も食料品やアルコールが4割、雑誌とコミックが4割、文具や雑貨、衣料品が2割という構成だった。

政文さんは2014年の取材時、自身の店を「本があるコンビニだから『ホンビニ』」と称していた。しかしその、少ないながらも存在していた本が、なくなってしまうとは……。

佐世保港から宇久平港まで、高速船だと2時間足らずだがこの日は激しい揺れに面くらった。2014年2月撮影(撮影・今井一詞)

2018年4月、宇久島を訪ねることにした。前回は佐世保港から、高速船で向かった。大しけで席を立つと容赦なく左右に振られる船内が、否が応でも旅気分を盛り上げてくれた。

フェリー「太古」は深夜に出発するので、挨拶は「こんばんは」。船内は明るく豪華で清潔感満点。

しかしこの日は福岡港から、「太古」というフェリーに乗ることにした。出航時間は午後11時45分。宇久島には午前3時55分に到着する。当然戸田屋書店は開いていない。

歓迎ムード満点の小値賀島。道がなだらかでサイクリング向き。

そこで隣の小値賀島に立ち寄ってから、午後発の折り返しフェリーで戻ることにした。半日もあれば自転車で島巡りができると、政文さんから聞いたからだ。

小値賀島の貯水池に佇むカッパ。警告しているはずが妙にかわいい。
小値賀空港の植え込み。2006年3月で定期路線が廃止となったため、空港周辺は人の気配がほとんどない。

小値賀島への到着時間も午前4時40分。フェリーターミナル内の仮眠室でひと眠りしてから、坂道でも強制的にペダルを漕がされる電動自転車で島を回った。

かつて子どもたちがマンガを物色していた棚には、食品が並べられていた。

そして午後1時55分。定刻通りに宇久島の宇久平港にフェリーが滑り込むと、政文さんが出迎えてくれているのが目に入った。政文さんが運転する軽ワゴン車で戸田屋書店へ向かうと、看板は「戸田屋書店」のままなのに、かつて雑誌が置かれていたスペースにも食品が並べられていた。宇久島の教科書は現在、小値賀島の文具店が扱っているそうだ。

領収書の都合で、看板を変えられない

「領収書を『戸田屋書店』で発行してるから、看板変えられないんだよね」

還暦を迎えた政文さんが言った。1928(昭和3)年生まれで、以前手描きの絵を披露してくれた父の徳重さんは、福岡県内で親族が介護しているそうだ。

戸田屋書店の「本店」。
1945(昭和20)年7月の宇久島空襲により穴が開いた、「本店」の壁。
穴のすぐ脇に飾られている、出光のロゴマークのモザイク画。

「本店」は書店から歩いてすぐの、徳重さんが住んでいた建物だった。家主のいなくなった家には以前と変わらず、宇久島空襲で受けた弾痕があり、出光アポロのモザイク画が掲げられていた。

戸田政文さんと、妻の雅子さん。
雅子さんお手製の皿うどん。写真が下手過ぎておいしさが伝わりきらないのが悔しい。

そして笑顔で迎えてくれた政文さんの妻・雅子さんによる、皿うどんをはじめとする手料理の数々は、とてもおいしかった。

雅子さんと他愛のない話をしながら棚を見渡すと、都内の高級スーパーにも置かれている食材がいくつも並んでいた。食べられれば、売れればなんでもいいわけではなく、こだわりを持って集めているのがわかる。私がこの島の住民だったら、いつでもリンツのリンドールが買える店が近くにあるのは嬉しい。でも「書店」でなくなったことを、どう思っているのだろうか。

「そりゃ泣く泣く閉めたよ。島にはなんの娯楽もないし、雑誌を買いに定期的に来てた人は、来なくなったからね。本はやっぱり、本なんだよね。だからとても寂しい」

政文さんはそう吐露した。

60年前から人口が約1万人減少

1年後の2019年4月、再び「太古」で島を訪ねた。戸田屋書店の看板も店の前にあるベンチも、以前のままだ。1年ぐらいではとくに何も変わらないのかもしれない。

引き戸を開くと、政文さんが歓迎してくれた。これも以前と変わらない。しかし今日は徳重さんの百日忌なので、雅子さんは今、準備に追われていると教えてくれた。ああ、変わらないものなどなかったのだ……。

それ自体が爆弾に見えて仕方がなく使い方もわからない、手榴弾消火器。
それ自体が爆弾に見えて仕方がなく使い方もわからない、手榴弾消火器。
なぜか銭が「SEN」と書かれている、ハイカラなデザインのレジスター。

徳重さんのお墓参りをともにさせてもらった足で「本店」に立ち寄った。随分片づけたと言いながら政文さんは「5SEN」「10SEN」などと書かれた古いレジスターや、棚にうやうやしく置かれていた手榴弾消火器など、お宝を次々と披露してくれた。

2階建ての本店は昨年訪ねた時もがらんとしていたが、人の気配がなくなると、まるで、家そのものの呼吸も止まってしまったようだ。

60年前は1万1000人以上が住んでいたこの島の人口は、2019年4月時点で2000人を割り込んでいる。九電工や京セラなどによるメガソーラーの建設計画があり、これがスタートすれば島外から大量の関係者が集まると言われている。

しかし2014年に事業計画が立ち上がったものの、2019年8月末時点でも着工されていない。どかんと人口が増える事業は、まだ先が見えない状況だ。

「朴さん福岡出張ついでに来たの? 博多で泊まるなら●●(ホテル名)がいいわよ」

デザートのいちごもついてなかなか豪華な、宇久島の仕出し弁当。

法事の仕出し弁当の昼食に呼ばれた私に、雅子さんが言った。微妙に暗い顔をしていたからかもしれない。島のことでも店のことでもない話題を振ってくれたのだ。

取材という名目で誰かと会うと、聞きたいことばかりを聞いてそれで終わりにしてしまうことがある。時間が限られているからそれはやむを得ないし、なにも私に限った話ではない。しかしこうして取材を離れて行くことができた時には、別の話をしても良いのではないか。なんとなくそんなことを思ってしまうほど、戸田夫妻とのおしゃべりは面白かったのだ。

次はいつ行けるかまだわからない。しかし会えば楽しく話せる相手がいる場所が、1000キロ以上離れたところにある。それはとても幸せなことではないだろうか。だからまた訪ねることができる日のために、2人が楽しんでくれそうな他愛のない話題を、色々仕入れておこうと思う。

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