幻の電気炊飯器に鉄道模型…ベンチャーだったソニーが生んだ「失敗作」

1945年に試作された電気炊飯器

音楽をひとりで楽しむ娯楽に変えた「ウォークマン」。世界を驚かす商品を次々に生み出してきたソニーも、最初は「ベンチャー企業」でした。トランジスタラジオやテレビ、最近ではカメラなどの名だたる製品に隠れ、世に出なかった品、まったくヒットしなかった品も多数あります。しかし、いわば失敗作を生み出す精神こそが、ソニーをグローバル企業に押し上げた原動力でもありました。

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御殿山が生んだ世界的ヒットの数々

通称「ソニー通り」。道路左側にあった社屋跡は再開発された。現在はソニー3号館(右手奥)だけが残る

JR五反田駅から東にほぼまっすぐ伸びるバス通りは、今でも通称「ソニー通り」と呼ばれています。駅から15分ほど歩いた小高い丘陵地・御殿山地区は、かつてソニーの本社や関連企業の建物が密集していました。

ソニー通りから小道を入った住宅街に、かつてあったのが「ソニー歴史資料館」。ソニーの歴史を作った製品が展示されていました。

1958年、一世を風靡したソニーのトランジスタラジオ

1946年に井深大、盛田昭夫の技術者2人が中心となって東京・日本橋で立ち上げた「東京通信工業」は、翌47年に御殿山に移転。日本初のテープレコーダーや、世界を驚かせたトランジスタラジオなど、時代を変える製品が、この場所で次々と産声を上げました。

1950年、日本で初めて発売されたテープレコーダー(手前)

「移転当初は約40人の所帯で、雨漏りのする倉庫のような家屋で製品開発をしていました。まさに今で言うベンチャー企業だったのです」と、ソニー広報・CSR部シニアマネジャーで、資料館の責任者も務めた岸貴展さんは説明します。

「うまく炊けることの方がまれ」だった炊飯器

そんな輝かしい製品の陰に隠れた失敗作もありました。それらの品々を見ていると、やがて時代が追いついてきたことが分かります。

1945年に試作された電気炊飯器

たとえば1945年に試作されたものの発売に至らなかった「電気炊飯器」。終戦直後の食糧難の時代、「人々の生活の役に立つものを」という井深氏の思いから開発されましたが、木のおひつにアルミ電極を貼り合わせた簡単な構造で、電力供給も安定していなかった当時は、芯が残ったりおかゆ状になったり「うまく炊けることの方がまれ」だったといいます。

実用に耐える電気炊飯器が市販され、家庭に普及していくのは、その10年後の1950年代半ばのことです。

東京通信工業が名前を隠して発売した電熱マット

草創期の隠れたヒット商品が「電熱マット」。1946年、物価高騰で社員の生活が苦しくなり、現金収入を得ようと開発された苦肉の商品でした。大売れしたものの、温度調節機能もない簡単な構造の品に「東京通信工業」の名をつけるのは気が引けたといい「銀座ネッスル(熱する)商会」名義で販売されていました。

幻の鉄道模型「SONYマイクロトレーン」

実は1960年代に鉄道模型も開発していました。線路幅9ミリのNゲージという規格が登場して間もなく、ソニーも「マイクロトレーン」という関連会社から売り出そうとしましたが、コストがかかりすぎ、発売に至らなかったといいます。日本でNゲージが流行するのは1970年代後半でした。

「たわいのない夢を大切にすることから革新が生まれる」(井深)、「マーケットに合うような商品をつくっていたのでは遅れをとる」(盛田)。資料館の壁には、創業当時の精神を物語る語録も掲げられていました。

1960年に発売されたトランジスタテレビ

社内研修などで使われていた「ソニー歴史資料館」は2018年末に閉館し、二百数十点あった展示のうち約20点が、JR品川駅近くのソニー本社エントランスに展示されています。資料館時代は事前予約が必要でしたが、現在の展示はソニーの歴史をつくった製品を中心に、誰でも見ることができます。

 

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