落語も筋トレも、マイナスからのスタートだった(談慶の筋トレ道)

(撮影・斎藤大輔)

DANROご愛読の皆様方、ご機嫌いかがでしょうか? 筋トレ歴12年の落語家、立川談慶です。1965(昭和40)年生まれの現在53歳、身長167センチ、体重71キロ、そして特筆すべきはベンチプレスMAXで120キロ! 今回は連載の第1回目ということで、「なぜ筋トレにハマったか?」などどにつきまして、落語と絡めてお話ししてみたいと思います。

バブル絶頂期、下着メーカー社員に

まずは落語家としての経歴から。

私は、1988(昭和63)年に慶応義塾大学経済学部を卒業し、女性下着のワコールに就職しました。当時はバブルの真っ盛り。新人でも5月にボーナスの真似事のようなお金までもらえるという信じられない好景気に恵まれていました。

実は大学時代は落語研究会に所属していたもので、大学4年の時に演じた改作落語を師匠・談志の事務所に送ったところ、「面白い発想だね!いつでもいいから顔を出しなさい」みたいなことを言われ、少し舞い上がり、「センスはまんざらでもないのかも」などといい気になって、「あわよくば弟子入り出来たらなあ」などと甘い考えにうつつを抜かしていたまんま、卒業の時期を迎えてしまいました。

それが契機となり「弟子入りしたいなあ」という気持ちは芽生えたのですが、やはり目の前の契機ならぬ景気のよさに押し切られてしまいました。「サラリーマンの方が楽そうだな。しかも女性の下着を扱ってお金をもらえるんだもの」などと大して深い考えもなく、ワコールに入社することになりました。

世の中が右肩上がりで儲かっている環境の時は、「青臭い夢を追いかける」などという生き方はしないものなのかもしれません。逆に、平成時代からずっと続いているこの不景気な世の中が、落語家志望者を増やしているのかもしれません。実際、いま落語家の数は東西合わせて900名を超えたとのこと。いやはや「このまま儲からない状況が続くぐらいなら、いっそ好きなことだけでご飯が食べられるか挑戦してみよう」という自暴自棄な気持ちになってしまうのでしょうか。

とまれ「落語家になりたい」という気持ちは、「3年間、この考えが変わらなかったら、入門しよう」という具合に、「夢を現状にソフトランディングさせるような格好」にしたまま入社したのであります。

まったく受けなかったピン芸人時代

無論、自分を選んでくれた会社で義理もありますし、自分も選んで入った会社です。嫌いなはずもなく、研修後の配属先となった福岡の酒も魚も気に入って充実したサラリーマン生活ではありましたが、やがて先ほどの考え方が、だんだんと変質してゆきました。つまり「3年間経って考えが変わらなかったら落語家になる」というのが、「3年辛抱すれば、落語家になれる」という具合に、要するに自分勝手に当初の予定を、いつの間にか書き替えてしまっていたのです。

さあ、もうそうなると勢いしかありません。入社後2年たつと、勝手に「1年後、談志に弟子入りする」と心に決めてしまっていました。そして「ならば手土産を持って入門した方が、師匠にも覚えがめでたくなるだろう」と甚だ浅はかではありましたが、当時開設したばかりの吉本興業福岡セクション(通称・福岡吉本)に押しかけてゆきました。ここで放送作家的なセンスを磨いて、いざ落語家になった時に役立たせようなどと、今考えてもとことん甘い考えでありました。

私と同期のメンバーには、博多華丸大吉さん、カンニング竹山さんなどの今売れっ子の皆さんがいました。彼らは今のようにブレークしていない状態ながらも、目の前のお客さんをガンガン沸かせていたものです。そして肝心の私はというと、当時はピン芸人で試行錯誤しながらも、まったくその芸が受けずに、彼らと同じ舞台に立つたび、彼我の差に苦しむばかりの日々でした。

と、ここまで「落語家になる前の歴史」、いわば私の「古事記」についてお話ししました。

「筋トレと関係ないだろ?」というツッコミが入りそうですが、まあまあお聞きくださいませ。

実はここが肝心なのです!

不器用な人ほど続けやすい

つまり私の入門28年にもなる落語家人生も、始めて12年になる筋トレも、ともに、「マイナスからのスタート」なのです。

筋トレも、実は「頸椎ヘルニアからの痛みを緩和させよう」ということで始めたのがキッカケです。名カイロプラクティックの先生の下、一発の施術でその首の痛みから解放されたのですが、「筋肉をつけないとまたこの痛みがやって来る」と脅されました。あの辛い痛みに比べたら…という負のモチベーションが、筋トレ継続の原点となったのです!

いや、筋トレの場合は私ばかりではありません。同じように続いている仲間などに聞いてみると、「健康診断の数値が悪かったから」とか「体形が気になった」あるいは「体形をディスられた」など、「プラスの状況をさらによくする」というような感覚ではなく、やはり「スタート地点がダメ地点だった」という人が大半です。

落語家人生も私の場合は、かようなサラリーマン時代の挫折状態からの入門でした。そしてさらに笑えるのが、いざ入門してみると、直門の兄弟子には、志の輔師匠が若手真打ちで伸び盛りにありました。さらに、そのあとに続けとばかりに、談春、志らく両兄弟子が「時期真打ち候補」と目され、創設8年目の立川流はまさに進境著しいといった表現がピタリとくる感じでした。

かような天才的な先輩の後を追うべく入門した私でしたが、その後、前座という修行期間を突破するのになんと9年半もかかってしまう鈍才ぶりを発揮することになります。

「マイナスな環境から始めたものは、長続きする」という「真理」は、歩みののろさが実感をともなうからかもしれません。これは最初からアクセルを吹かせて一気呵成に進んでゆく人たちには味わえない感覚のはずです。

「落語も筋トレも不器用な人ほど続けやすい」。自戒を込めてまた次回。

 

特集

TAGS

この記事をシェア