好きすぎるあまり…「本格和食とランニングシューズの店」を開いた料理人

(撮影:吉村智樹)

「このランニングシューズと出会って、僕の人生は変わりました。これを販売できないのなら、自分の料理の店は開かない。それくらい惚れ込んだのです」

ランニングシューズを我が子や同志のごとく溺愛する人は、少なくありません。料理人の吉川哲雄さん(38)もまた、ランニングシューズをこよなく愛したひとり。ランニングシューズに恋するあまり、なんと、おそらく前例がない「ランニングシューズと和食の店」を開いたのです。

新鮮野菜をたっぷり使った彩り豊かな和定食が人気

“ランニングシューズを販売する和食料理店”が、神戸三宮(兵庫県)にあります。異色なこの店の名は、昨2018年11月にオープンした「iro-hana(いろはな) かふぇ食堂」。

店主の吉川さんは、割烹などの修業を積んだ、和食ひと筋20年の熟練板前。

使う素材は、吉川さんの出身地である鹿児島県徳之島や、兵庫県丹波の生産者から直接仕入れるフレッシュな四季の野菜や雑穀米など。

「農家で生まれ育ちました。両親は徳之島で現在も畑と果樹園を営んでいます。なぜ和食を志したかですか? 母がつくってくれる魚や野菜の煮つけが大好物でした。それで、幼い頃から、『和食を調理できる人はカッコいい』というイメージがあったんです。家の周辺には、パスタが食べられるようなおしゃれな洋食の店もなかったですしね」

そのようにこちらのお店の定食は、吉川さんのご両親が育てたジューシーで肉厚な冬瓜(とうがん)やなすびなど、たっぷり20品目以上の食材を使います。日替わりランチメニュー「バランス定食」をはじめ、昼も夜も彩り豊かな和定食がいただけるのです。

日替わりの和定食「バランス定食」。この日のメインは、ほぐした鶏の胸肉のポン酢がけ

「食生活って大事じゃないですか。『外食だから味が濃くて当たり前』という風潮も、な~んか違うなと思って。なので、薄味で、旬の野菜をふんだんに使った、バランスと消化吸収がいい和食の店を開きたかったんです」

どの料理も、しっかりとダシを効かせた、本格和食。しかしながら、店内の様子は、それはもう型破り。先ず目につくのが、ズラリ並んだ「ランニングシューズ」! ウエアの販売もあり、まるでスポーツ用品店と和食の店が、「何らかの間違い」で合体してしまったかのようです。

和食の店でありながら、ランニングシューズとウエア販売のスペースが設けられている

扱うのは、スイスのランニングスポーツブランド「On(オン)」の商品。実はこの「On」との出会いが、比類なき「ランニングシューズ&和食の店」を生みだしたのでした。

雑誌で見たランニングシューズに『運命の出会い』を感じた

スポーツが大好きだった吉川さんは、中学校を卒業後、徳之島を離れ、鹿児島実業高等学校へ進学します。3年間、寮生活をしながら野球部に所属。高校球児時代には2度も甲子園への出場を果たしています。

「野球をしている間も、『和食の料理人になりたい』という夢が消えなかったんです。それで、高校を卒業してから18年間、大阪の居酒屋や東京の割烹料理店、ホテルの厨房などで働きました。板前修業時代は、それはそれは厳しかった。野球部時代に鍛えられていたから、乗り越えることができました。そう考えたら、人生で無駄なことって、何もないんですよね」

板場に立ち続け、料理の腕をあげてゆく吉川さん。そんな5年前のある日、衝撃の巡り合わせがありました。

「雑誌を読んでいて、Onのランニングシューズが目に飛び込んできたんです。それを見て、『このデザイン、なんてカッコイイんだ!』と強く心に響きました。それが始まりです。運命的な出会いを感じました」

吉川さんが惚れ込んだ、スイスのブランド「On」のランニングシューズ

Onのランニングシューズにひと目惚れをした吉川さん。さっそく購入し、履いてみたところ、さらなる驚きがあったと言います。

「履いた瞬間、『うわ!』っと声が出ました。『なんなんだ、これは!』って。足にやさしい。クッションが、フィット感がすごい。これまで買ったランニングシューズとは、履き心地がまるで違いました。『ちゃんと考えられたデザインだな~』と感動し、それ以来、他のメーカーの靴はいっさい履いていないんです。僕だけではなく、家族みんなで履いています」

トライアスロンへの初挑戦が、店を開く決意となった

足を通した日から身体の一部と化した、お気に入りのランニングシューズ。足元が軽快になると、発想までもがリフレッシュし、飛躍するのでしょう。吉川さんはランニングシューズから背中を押されるように、名だたる競技大会に挑む決意をします。それは、故郷の徳之島で開催される、トライアスロンでした。

「故郷の徳之島に貢献したい気持ちが、ずっと胸の中にあって。『自分に何ができるかな』と考えたときに、ひらめいたのがトライアスロンでした。トライアスロンなら先ず自分が実際にやってみることで、他の方にも参加を呼びかけられる。徳之島のよさを知ってもらう良い機会になるのではないか。そう考えたんです」

「故郷を応援したいという気持ちから、徳之島のトライアスロンへ挑戦した」

1988年に開幕し、以降毎年開かれる「トライアスロンIN徳之島」は、日本最大級を誇る大会。しかしながら、高校時代に野球をやっていたとはいえ、競技のブランクは長い。故郷を慕う気持ちがあるにせよ、スイム、バイク、ランをひとりでこなすトライアスロンへの突然のチャレンジは、過酷すぎるのでは。

「ちょうど、『そろそろ自分の店を持ちたい』と考えていた時期でした。『トライアスロンで完走できたら、店を開こう』。そう誓ったからやり通せたし、ゴールへ辿り着くことができました。その時に履いていたランニングシューズが、このOnだったんです。僕はこのランニングシューズが、ゴールへと導いてくれたと本気で思っています」

「和食とランニングシューズは、自分にとってはセットだった」

トライアスロンを無事完遂し、自分自身と約束した開業への決意が固まった吉川さん。そして、開きたいと考えた飲食店は、前代未聞の業態でした。それが、「和食とランニングシューズの店」。

「『なぜ和食の店でランニングシューズを売るんだ?』と不思議に思う人も多いです。でも、和食とランニングシューズは、自分のなかで切り離せないセット。食べる人の健康を考えたら、結果こうなりました。もしも、このランニングシューズの販売が許されなかったら、和食の店を開くこと自体をやめようと考えていたほどです」

Onの許可を得て、夢の開業へのゴールも切った吉川さん。トライアスロンも継続し、この5年の間に各地で10回もエントリー。「トライアスロンIN徳之島」では、2018年、2019と「リレークラス」で連覇を果たしています。

「トライアスロンIN徳之島」にて、リレークラスで2018年、2019と連覇

「とにかく楽しい。『トライアスロン、ありがとう!』という気持ちでいっぱいです。走っている最中も、『どんなポーズでゴールをしようか』とか、楽しいことばかり考えています。僕が楽しむ様子を見て、トライアスロンや徳之島に興味を持ってくださるお客さんも増えました。なので、ずっとやっていきたい。僕はトライアスロンは生涯スポーツだと考えているんです」

ランニングシューズと出会って、人生が大きく変わった

親友と呼んで大げさではないランニングシューズと出会い、ユニークな和食の店を開き、トライアスロンに幾度も挑む吉川さん。現在はポートアイランド(兵庫県神戸市)にある自宅からお店までのけっこうな距離を毎日、なんと走って通勤しているのだそう。

「汗しながら走っている姿を見て、子どもたちが応援してくれます。親父が飲み歩いて酔っぱらってる姿なんて、子どもも見たくはないでしょう」

自宅から店まで走って通勤。お気に入りのランニングシューズと、ほぼ一心同体の生活を送る

眩しいほどの笑顔で答え、夜営業の仕込みに入った吉川さん。一足の靴が、これほど人が進むべき道を拓くのか、人の心をポジティブに変えるのか。そう感心するとともに、自分に合う靴と出会うことの重要性を、改めて感じ入ったひとときでした。

 

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