談志が与えた過酷な前座修行。成果は最後にやってくる(談慶の筋トレ道)

(撮影・斎藤大輔)

前座修行を振り返ると、往年のビートたけしさんのギャグで「歯の痛みも鍼(はり)で治ります。目に鍼を打ってその痛みで忘れるのです」というのをなぜかいつも思い出してしまいます。ずばり、前座修行というのはこのネタじゃないかと。

つまり、落語家で生きるにしろ、普通のサラリーマンで生きるにしろ、どのみち人生なんか辛いもの。「だとしたら、よりハードな精神的苦痛を限られた前座の間に経験しておけば、そうすることによって後が楽になるぞ」と、談志が想像したのかもしれないのではと。

いやあ、もちろん死後10年近くなって、やっとその意図がわかり始めたバカな弟子の買い被りに違いないのですが、きっと、そう見越していたのではないかとすら確信するのです。

なにしろ天才は予言するもの。談志は私のドジぶりから「こいつは相当厳しく教え込まないとダメになる」とおそらく出会った瞬間に察知し、覚悟を決めたに違いありません。

じゃなきゃ、あんな修行を9年半もさせるわけはないですもの。こんなドジな奴、そばにいたら不愉快になるだけだし「お互いが不幸だ」とまで言われたこともあるぐらいだし。だからといって、完全にクビにはしなかったのが、真の優しさだと思うほどセンチメンタルでもないし。ま、確かに大衆はそんな手垢のついた感覚をいまだに望んでいる事実はあるけど、です。

「俺を快適にしろ」

「聞きしに勝る」というのが立川流での前座修行でした。入門すると、すぐに師匠から落語を教えてもらえると思っていたら「俺を快適にしろ」という洗礼が待っていました。

立川流には当時、談志の弟子になるためのコースとして3つが用意されていました。Aコースは通常通りの徒弟制度のコース、Bコースは各界著名人で落語をやりたい人たちのコース、そしてCコースという、どちらかと言えば談志のファンの集い的なコースの3種類で、自分はサラリーマンになると同時に、Cコースに所属しました。

ここでは、談志の独演会が終わると、打ち上げで談志のそばに座らせてもらえて、直に話が出来るという「特典」があり、談志マニアからすればとても魅力的なものでした。自分も師匠からは、当時住んでいた地域である「おい、福岡!」などと呼ばれていて、気さくなその人柄に惚れ「こんな人だったら、真剣に弟子入りしたいものだ」などと、その思いを増幅させたものでした。

ですが、Aコースの弟子として一歩その領域に入ると、態度を一転させたのです。無論それは今思うと当たり前ではありましたが、当時はその豹変ぶりに驚くのみでありました。

その象徴的なセリフが「俺を快適にしろ」でありました。

そこからというものは、かつての優しさはどこへ行ってしまったかのような談志の厳しさと、間近で見る芸の凄さと、それらとは真逆のプライベートでの家族への溺愛ぶりという、あまりの振り幅に、言葉も態度も硬直してしまったのです。

耐えていたのは師匠の方?

「そりゃ言い訳だろ」と言われるに違いありませんが、世間知らずの25歳は「地獄のギャップ萌え」にやることなすこと言うこと全てがチグハグになってしまったのです。

普通の行為が、談志の目の前だと緊張のあまりめちゃくちゃになってしまうのです。地下鉄の切符を買いに行けば小銭は落とすし、切符はどこで買ったらいいのか右往左往する。いざ一緒に行動すれば、普段から足早の談志を見失ってしまい、結果として談志の方が早く楽屋入りしてしまうことになるなどなど。ほんと最悪の弟子でありました。

何が言いたいのかというと、前座修行で「耐えていたのは師匠のほうだ」ってことです。いや、耐えていたというより、待ってくれていたというべきかもしれません。

それでも、些細なことで怒鳴られるとか、毎日小言を食らうというのは、キツかったのは事実だけれども、慣れればかわし方というか、受け身も案外覚えるものです。あの史上最悪と言われる原発事故の最底部分のデブリにも微生物の影が見えたというような報道が先日ありました。そんな過酷な環境でも生き残るための術を見つけるのが生物の耐性とするのならば、怒られないような振る舞い方もだんだん芽生えてくるものです。慣れというものは怖いけど、やはりすごいものです。3年もすれば大体の談志の生理も把握したものでした。

だからこそ、振り返ってみて一番辛かったのは、談志の設定した歌の基準を突破しようとして、芸を身につけて披露している姿が、当の師匠からはもがいてる姿にしか見えなかったことでありました。「お前は俺が求めているものからどんどん逸脱してゆくな」とまで言われたことすらあります。

何もしていないと「何もしない歴史がそこに刻まれるだけ。潜伏期間が積み重なる」と脅され、じゃあ努力すればした分だけ師匠の基準と離れて行ってしまうという、こんな最悪な毎日を送り続けているのは、本当に虚しさしか残りませんでした。

まさに「生き地獄」。ふと周りを見ると、他所の協会で自分よりはるか遅くに入門した人たちがみんなどんどん二つ目に昇進してゆき、真打ちの声すらかかるようなレベルにまでなってゆきます。「俺には立川流は向いてなかったのかもなあ」と何度思ったことでしょうか。

「毒をもって毒を制す」

さあ、ここなんです。

今、思い出して振り返っても、苦痛しか蘇らない過去の出来事です。でも、そのおかげで、人生の他の局面で味わう激痛は確実に緩和されたように思うのです。少なくとも、年数だけで順繰りに昇進してゆく組織にいたら、経験できないほどの喜びを感じる事はできたし、何より何冊も本が書けていますもの。

「毒をもって毒を制す」みたいな、痛みにはその上をゆく痛みで乗り切るべきだよと、あの前座時代が今教えてくれているようにしか思えないのです。苦痛、激痛、辛い思い出のすべてを「経験」と上書きしてしまうタフさは、師匠のおかげで身についたともいえるのです。

筋トレも全くその通り。スポーツにつきものの爽快感とかは皆無なのです。あるのはキツさのみです。そして、筋トレならば手に入れるべき果実が「筋肥大」で、ゴルフのそれが「スコア改善」だとすれば、後者はいいコーチを付ければたやすく達成するのに対し、筋トレはいいコーチをたとえそばに置いたとしても、その成果は最後にやって来るのです。

前座修行と筋トレは苦痛がデフォルト。筋トレもいまや週3回以上を12年以上継続させています。いまや「こんなきつい思いをしてきたんだから、きっとこれからいいことあるだろう」という気持ちにすらなっています。苦しいのを避けるのではなく「苦しみ慣れする」。大事なことは、談志と筋トレから教わっています。

 

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