(花と暮らす、花を楽しむ)北の広大な庭園の5代目経営者・眞鍋憲太郎さん

(撮影・時津剛)

記念日や特別なシチュエーションだけでなく、気軽にセンスよく花を楽しみたい。そんな人が増えています。食卓に、玄関に、洗面台に、トイレに、さりげなく飾られているだけで、花は暮らしを明るく彩って豊かにしてくれます。ひとりの時間を満ち足りた、上質なひとときにするために、花とどう暮らしたらよいのか──。花や緑を愛するプロフェッショナルたちに、その極意を聞き、花と生きる彼らの人生にも迫ります。

昭和の初めから植木農園に

まめに花を買ったり、部屋に飾ったりということはあまりしない、という人でも、庭や戸外に植わっている様々な樹木や花々を、それぞれの季節ごとに愛でたり楽しんだり…….ということはあるのではないでしょうか。

北海道帯広市にある真鍋庭園は、そうした様々な樹木の生産で全国的に知られている植木農園です。樹木の生産、造園建設業、林業という三つの事業を主体に「緑」に関わる仕事を幅広く行っており、約2万5000坪の広大な庭園が、一般に公開されています。

代表取締役の眞鍋憲太郎さんは、開拓一世の初代から数えて5代目当主。祖先からの仕事を継承しつつ、新しい時代ならではの画期的な試みや改革を重ねて、業界の若手リーダーとして注目を集めています。
「1896(明治29)年に、私の高祖母と曽祖父母が香川県から入植したのが始まりです。 最初は畑作農家でしたが、1931(昭和6)年に山林苗の生産を始めました。当時、工材や線路の枕木用などに北海道の木がどんどん切られていたので、林業の企業から、山林苗が欲しいと言われたためです」

「さらに第2次大戦後に農地改革が行われると、残った土地で、小作だった農家と同じ作物を作っても競合してしまうということで、本格的に植木農園として再スタートしました」

「ところが、北海道は寒すぎて本州の木が育ちません。かといって自生種だけでは種類が少なすぎる。そこで、3代目である祖父の時代に、ほかの仲間や植物が好き過ぎる『植物変人』たちと(笑)欧米へ視察に出かけたんです」

3代目と仲間たちで海外で色々な種を仕入れてきたり、4代目がオランダで挿木や接木の方法を教わってきたりして、樹種をどんどん増やしていきました。以来、真鍋庭園は「会社としてはできるだけ多品種を取り扱っていこう」という方針を定め、今もそれに則って仕事をしているのです。

新樹種の個人輸入からガーデンの一般公開へ

(撮影・時津剛)

「1951(昭和26)年頃から林業用樹木や最新園芸品種の個人輸入を始めたのですが、当初は、新しい植物が売れなかったんですね。造園屋さんも、設計屋さんも、海外から入ってきた植物をどういう風に扱ってよいか分からなかったからです」

「それで、これは植え方、育て方を含めて宣伝しないといけないのではないか、ということになり、畑の一部を見本園として公開することにしたんです。つまり、商品の植栽事例と成長事例を、業界関係者に現物確認していただくためのショールームとして、庭を作ったのです」

ところが、近所の小学校から「遠足で中に入れないでしょうか」と聞かれたのをきっかけに、一般の人も入れるように改造。66(昭和41)年から観光農園として一般開放するようになりました。以来、拡張改修を重ねながら、現在に至っています。

「現在は風景式、日本式、西洋風の三つのテーマガーデンに分かれていて、趣の違いを楽しんでいただく造りになっています。草本類主体の『花』がメインではなくて、葉っぱの色が違う変わったカラリーフ・プランツなど『新樹種』を、自生種を背景にして、高さ、幅、奥行き、時間の4Dを意識して表現するように心がけているんです」

「よく『コニファー・ガーデン』と称されますが、じつは針葉樹は生産量・販売量ともに全体の30%。あとは白樺やカエデ、アジサイなどの広葉樹が多いんです」

広い庭園を歩いていると、アメリカアカナラ、スカーレット・オーク、ギンドロ、ギンカエデなどなど、葉の色も、赤、紫、銀、オレンジなど様々な植物が、目を楽しませてくれます。その品種の多さと飽きさせない見せ方に新鮮な驚きを覚えるとともに、眞鍋さん自身の植物への熱意と愛情に、改めて胸を打たれます。

【写真特集】様々な植物を楽しめる真鍋庭園の様子

朝ドラ『なつぞら』のロケ地としても有名に

(撮影・時津剛)

実はこの真鍋庭園、今年は全国から注目された年でもありました。というのも、NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』の中に登場する、主人公・なつの幼なじみ、山田天陽の家と、最期を遂げるジャガイモ畑のロケ地になったからでした。

実際の撮影は庭園ではなく、少し離れた畑(※ロケ地は非公開)で行われました。撮影に使われた家とアトリエのロケセットは、庭園入り口手前に移築され、誰もが見られるように無料エリアに設置されています。中に入ることはできませんが、アトリエの入り口からは、天陽が描いた絵の数々を見ることもでき、ドラマで天陽が亡くなったときは、全国からファンが「天陽詣で」に訪れ、献花台も用意(※NHKなど関係各所に確認し、承認を得て設置)したほどだったそうです。

「北海道ガーデン街道」の旗振り役に

いろいろな試みにも積極的に取り組む眞鍋さんですが、最近の大きな仕事の一つが、近郊の七つのガーデンと連携して「北海道ガーデン街道」の立ち上げに参加したことでした。大雪の「大雪 森のガーデン」、旭川の「上野ファーム」、富良野の「風のガーデン」、十勝の「十勝千年の森」「真鍋庭園」「十勝ヒルズ」「紫竹ガーデン」「六花の森」の8ガーデンです。

「きっかけは2007年に、ある婦人雑誌でガーデンをめぐる旅の特集が組まれたことでした。編集者に『十勝~旭川間の七つのガーデンには、連携とかないの?』と言われ『十勝千年の森』の代表・林克彦さんが7ガーデンに参集を呼びかけたんです。ちょうど、翌年にはテレビドラマ『風のガーデン』が放映されましたし、11年には、高速道路で札幌と十勝がつながる予定になっていたことも後押しになりました」

当時の十勝と言えば、通過型の観光地。札幌から入ってきた観光客が、阿寒や知床、釧路に行く途中に、豚丼を食べるためだけに少し立ち寄るところ、というイメージしかありませんでした。新たな観光施設を作るわけにはいかないけれども、今ある素材をブラッシュアップすることはできる。

「そう考えた我々は、各社の2世、3世で集まって、若者の発想で会議をしました。高野ランドスケーププランニングという会社にも意見を仰ぎながら、全長250㎞をつなぐためのルールをいくつか決めたんですね」

「まず入園料を取る、団体対応をする、若者だけで集まってほかのガーデンを否定しないで助け合う。そして、ガーデニング経験者で、60~70代をターゲットにする、などです」

イメージとしては、イギリスのコッツウォルズのようなエリアを、ドイツのロマンチック街道のようにつなげようというものでした。そして、イメージを作る「ガーデン街道協議会」と、利益追求の「株式会社ガーデン街道北海道」の二つの会社を作って運営をしています。

「共通の目標とルールを守って、一緒に連携効果を実感できればいいなということでやっていますが、観光振興が私個人の目的ではありません。ガーデンブームが去ったいま『私、昔ガーデニングやってたのよ』というおばあちゃんに、家族と一緒に来ていただき、花や緑の魅力をお子さんやお孫さんに伝えていただく。そのことによって、次のガーデニング世代を作りたいということが主たる目的です」

クリスマスツリーを家で楽しむ文化を広げたい

(撮影・時津剛)

16年には、庭園の一般公開50周年と開拓120年の節目も迎えて、これから目指すところは何なのでしょう。

「北海道ガーデンの発足当時『どこが街道なのかわからない』とよく言われたんです。そこで、大雪~富良野~十勝の全長200㎞の国道や道道、市町村道沿いに、ヤマナラシ“エレクタ”を200本超植樹しました。これが各ガーデンや展望台などの入口交差点への目印になっているのですが、将来的には世界一長い並木へと育てて後世に残したいと思っています」

そして、もう一つ。

「広尾町にある『広尾サンタランド』では、十勝の山林苗生産者と森林組合が連携して、7年かけて育てた生木のツリーを全国に発送しているんです。そしてクリスマスツリーとして楽しんだあと、『植えるスペースがない』などお困りの方々には、こちらに送り返していただき、それを植樹するという活動(※当事業のツリーのみの受け入れです)をしています。ツリーは成長過程で二酸化炭素の吸収源となるのです」

「こうした活動を通じて、クリスマスツリーを家で楽しむ文化を広げたい。それが私のもう一つの願いです。とにかく全国の人に、花や緑を気軽にもっと楽しんでもらいたい。そのための活動に、これからも意欲的に取り組んでいきたいと思っています」。

【眞鍋さんプロフィール】
1971年北海道・帯広市生まれ。90年東京農業大学第一高等学校卒業。94年東京農業大学農学部造園学科卒業。95年イギリス・ノーフォークでの語学留学終了。98年カナダ・アメリカのナーセリー研修から帰国。2005年真鍋庭園苗畑代表継承。08年㈱日本植物パテント起業。16年㈱真鍋庭園緑化代表取締役継承。一級造園施工管理技士。一級造園技能士。
趣味は釣りなどのスポーツ全般。双子の男児(8歳)の父

 

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