カオスなホームページを20年続けている~元たま・石川浩司の初めての体験

20年間、ほぼ毎日更新している(イラスト・古本有美)

僕が自分のホームページ「石川浩司のひとりでアッハッハー」を始めたのは1999年。当時はブログも一般的ではなく、ホームページ制作ソフトすらほとんどなかった。僕は、ホームページを作るための言語であるHTMLを覚えて、自分で作った。それから20年間、ほぼ毎日更新している。今回のコラムでは、ちょっと変わった僕のホームページの話をしたいと思う。

深夜ラジオのようなサイト

僕がネットを始めたころは、毎晩のようにチャットをしていた。知らない人同士が文字で会話をするのだが、自分の部屋でパンツ一丁でもできるし、用事が入ったり飽きたりしたらすぐに抜けられる気楽さが良かった。

しかし、チャット上で面白い話やためになる話が出ても、すぐに流れて消えてしまう。これはもったいないなーと思った。どこかに保存しておけば、読み返したり、他の人も読めたりするのにと思った。

そこでホームページを作ることにしたのだ。ちょっと話しづらい話題について意見を交換する「王様の耳はロボの耳」というコーナーでは、「B級映画」「妙なこだわり」「放送禁止用語」「恐いもの」などさまざまな話題についてコメントを投稿できるようにした。

しかし、ただ投稿を募集してもなかなか盛り上がらないので、投稿するとポイントが付与される仕組みにして、そのポイントを貯めるとプレゼントがもらえるようにした。通常の投稿であれば1回3~10ポイント程度なのだが、1000ポイント貯まると僕と一緒に食事ができるとか、1万ポイント貯まると「すごい物」をプレゼントするなどの特典をつけたのだ。

しだいにホームページは盛り上がり、いろいろなコーナーができた。初体験について投稿する「ドキドキドキリコ初体験」、おバカな出来事について投稿する「私のまわりのおバカさん」、僕と投稿者が交互に話を紡いでいく「へなちょこリレー物語」など、次々にコーナーが誕生した。ハガキを投稿する深夜ラジオのような場にしたいと思っていたので、これは楽しかった。

毎日来るいろいろな投稿に感想やレスをつけて更新する。これは僕のライフワークとなった。これをほぼ毎日続けているのだ。ちなみに今年休んだのは1日だけ。その日はサーバの移転作業があり、休まざるを得なかった日だ。僕から休んだ日は1日もない。外国でツアーをしたり旅行をしたりしている時でも、インフルエンザで40度の高熱を出してウンウン唸っている時でも、必ず更新しているのだ。

ホームページにはコンテンツが増え、予想以上にポイントが貯まる人が増えた。その結果、これまで数十人と食事をした。そして、出ることはないだろうと思っていた1万ポイントの達成者も現れ、「すごい物」をプレゼントした。それは、僕の名前が刻印された紅白歌合戦出場のトロフィーであった。

ホームぺージが仕事に繫がる

その後、ホームページは順調に成長して、僕のコレクションを紹介するページや雑誌に載せたエッセイが読めるページ、フリー素材の音源として僕がいろいろと話すページなどを作った。

そして絶版になった僕の著書「『たま』という船に乗っていた」(ぴあ)の全文を無料で読めるようにもした。せっかく書いたのに読まれなくなるのは寂しいし、古本屋で高値がついているらしいが、別にいくらで売れようが僕には一銭も入ってこないので、それなら自由に読んでもらおうと思って公開したのだ。

こうしていろいろなコンテンツが楽しめるようになった僕のホームページは一部で話題となり、いろいろな仕事につながるようになった。3年前にマツコデラックスさんの「アウト×デラックス」というテレビ番組に出演したときは、「すごいホームページね!」と紹介された。

つい先日は、大好きなつげ義春さんの漫画の知識を競う「つげ義春クイズ」というコーナーを出版社の人が見ていて、つげ義春さんについて語るトークショーに呼ばれた。対談相手はアニメ「攻殻機動隊」などで世界的に有名な映画監督の押井守さんという大御所であった。

また、このホームページから本も出版された。僕はなぞなぞが好きなのだが、そんな僕が作ったなぞなぞを集めた「あたまグルグルかいてん」というコーナーは、「大人のなぞなぞ」(主婦と生活社)という本になった。そのほか、自費出版だったが、「ウヒョヒョヒョお悩み相談室」は一般書店にも置かれサイン会も催した。

このように、僕のホームページはいろいろな仕事の呼び水となったのだ。好きなことはとことん継続しておくことがいいと思う。何が仕事に繋がるかが分からない時代なのだから。

 

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