U2ファンの憧れ「ヨシュア・トゥリー」を探し求めて(エンタメひとり旅)

筆者がアントン・コービンから頂いたサイン入りの写真

U2が13年ぶりに来日。しかも名盤『ヨシュア・トゥリー』の完全再現ライブを行った。音楽ライブの最高峰といえるスペクタクルなパーフォーマンスは驚きと興奮、感動の連続だった。このライブを演出・プロデュースしたのは前回紹介した「もうひとりのU2」アントン・コービン。U2にとって彼の存在はなくてはならないものなのだ。

ロサンゼルスで再びあのホテルへ

ボノを魅了したミリオン・ダラー・ホテル ロサンゼルス(撮影:喜久知重比呂)

アントンといえば……先日、ロサンゼルスに行く機会があり、U2のボノを魅了したダウンタウンにあるミリオン・ダラー・ホテルをあらためて見てきた。最初にここを訪れたのは20年以上前。今はコーヒーショップやカフェも増え、おしゃれな書店もでき、華やかになったイメージ。

ボノを魅了したミリオン・ダラー・ホテルのネオン看板(撮影:喜久知重比呂)

少し綺麗になったミリオン・ダラー・ホテルのネオン看板を眺めていると、酔っ払っているのか? 薬をやっているのか? 後ろで目がうつろな男性が何やら叫んでいた。すぐ近くには、路上生活者、薬物中毒者が多く住み、犯罪多発地域となっているスキッド・ロウと呼ばれるエリアがあることを忘れていた……。

1987年にU2がミュージックビデオの撮影を行った建物

緊張しながら5分ほど歩くと交差点にあの建物が見えてきた。1987年にU2が「Where The Streets Have No Name」のミュージック・ビデオの撮影を行った建物。今は食堂やクリーニング店、雑貨店などが入居していた。街の人たちが集う場といった感じである。スマホでミュージック・ビデオを再生してみた。ビバリーヒルズ、サンタモニカやハリウッドといった華やかな街に比べると、大きく雰囲気が違う街。U2もアメリカを旅しながら、他とは違うこの街の違和感を感じたことだろう。

ヨシュア・トゥリー国立公園で『ヨシュア・トゥリー』を聴きたい

U2のアルバム『ヨシュア・トゥリー』のアルバム・ジャケット

エンターテイメントの聖地と言われている場所。実際に行ってみると意外なことがわかったりする。今回は、ファンの間でU2のアルバム『ヨシュア・トゥリー』のジャケットが撮影された聖地とされる場所。その意外な真実を紹介しよう。

U2を世界規模のバンドに大きく押し上げたのが、1987年のアルバム『ヨシュア・トゥリー』の爆発的大ヒットである。1984年にはアルバム『焔』が大ヒット、1985年には、故郷アイルランドのダブリンで5万5000人のライブを成功させ、「ライブエイド」に出演するなど、すでに成功を収めていたバンドをさらに昇華させた。ライブもアリーナからスタジアム規模に拡大。

このアルバムでロックバンドとして揺るぎない地位を確立した。ヒットの要因は、アルバムをプロデュースしたブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワの才能も然り。とくにブライアン・イーノは、「コールドプレイ」をアルバム『美しき生命』で同様に大きなバンドにした立役者。

楽曲の良さだけではない。このアルバムのトータル・コンセプトも成功の大きな理由。アルバム・ジャケットの写真を担当したのは「もうひとりのU2」、盟友アントン・コービン。写真と楽曲のコントラストが見事に合致していてアルバム全体のコンセンプトを際立たせた。

U2「ヨシュア・トゥリー・ツアー」のステージ

ジャケットの裏に使われた荒凉とした地に一本だけ立つ木。これこそが「ヨシュア・トゥリー」なのだ。「ジョシュア・トゥリー」と表記されることが多い。U2はそう発音するが、アントンはオランダ人なので「ヨシュア」と発音する。「ヨシュア・トゥリー」とは、キジカクシ科リュウゼツランに属する。樹齢150年以上、高さ12mにまでなることもある大きな木だ。アメリカのモハーヴェ砂漠のあたりに生息する。「ヨシュア」は旧約聖書にしばしば登場する名前。19世紀にモルモン教の開拓者がこの名前をつけたと言われている。写真の一本の木は今回のツアーを象徴するステージに大きく映し出される。グッズ、さらには専用ジェットの機体にまでこの木が描かれている。

多くのU2ファンが聖地とするのが、アルバムのタイトル通りの場所「ヨシュア・トゥリー国立公園」である。

ヨシュア・トゥリー国立公園(撮影:喜久知重比呂)

私は2度訪れたことがある。まだナビもスマホもない時代、友だちとレンタカーで目指したのが最初。アルバム『ヨシュア・トゥリー』を「ヨシュア・トゥリー国立公園」で聴くという馬鹿な目的のためだった。この時は着いたのが夕方近く、ガソリンもあとわずかで、1時間ほどいただけだった。

ヨシュア・トゥリー国立公園(撮影:喜久知重比呂)

3年前、もう一度あの木を探そうと「ヨシュア・トゥリー」へ。ロサンゼルスから車でひたすらハイウェイを走ると3時間ほどの場所にある。途中、風力発電の巨大な風車群が見えてくる。近くには、毎年ロックフェスが行われるコーチェラやパーム・スプリングスという避暑地がある。1994年に国立公園に制定され、東京都の約1.5倍の広さがある。

入り口にはゲートがあり、ここで入園料金を支払う。サファリ・パークにでも入る気分である。舗装された道路が続くが、どこが終着点なのか? どこを目指せばいいのか? その広さに少し不安になる。コヨーテ、ロングホーン、陸ガメなど様々な動物や植物が生息する。ところどころに植物について説明した看板が設置してある。キャンプやロック・クライミングを楽しむ人たちも多く訪れる。

ヨシュア・トゥリー国立公園(撮影:喜久知重比呂)

そして、U2以前からロック・ファンにとっての聖地である。1972年イーグルスがファースト・アルバムのアルバムの写真を名写真家ヘンリー・ディルツと撮影。また、この場所でのロック・クライミングをするのが好きだった「バーズ」でも活躍したグラム・パーソンズは、1973年近くのモーテルでオーバードーズで死亡。その亡骸は生前の希望通り公園内の岩の上で火葬にされた。彼の幽霊が出るという噂もある。

公園内でグッズも購入できる

ヨシュア・トゥリー国立公園で「あの木」を探したが……

ヨシュア・トゥリー国立公園(撮影:喜久知重比呂)

U2の撮影が行われた場所、あの一本だけ生えている木はどこにあるのか? 探し周ること3時間近く。秋だったが、日中はかなり気温が高く、車を降りて歩いていると倒れそうだった。2011年には、U2の撮影場所に行きたいと熱く語っていた夫婦が熱中症で亡くなったという事故も起きた。ガソリンも心配になってきたので、ベテランっぽい公園の係員に聞いてみた。しかし、その答えは衝撃的だった。

ヨシュア・トゥリー国立公園(撮影:喜久知重比呂)

「あれはここじゃないですよ。デス・バレーですよ」どうやらこの質問はよくあるようで、即答だった。

ジャケットの写真が撮影されたのは、この場所ではなかった。しかも北に4時間ほどいった「デスバレー」と呼ばれる場所。多くのファンの間で、「ヨシュア・トゥリー国立公園」は聖地として知られている。2回目にして、間違いを知ることになるとは……。後にアントンの写真集を見たら「デス・バレー」と書いてあるではないか。

ヨシュア・トゥリー国立公園(撮影:喜久知重比呂)

DVD『クラシックス・アルバムズ:ヨシュア・トゥリー』収められたアントンのインタビューなどで撮影の舞台裏が明かされていた。1986年11月、メンバーとアントン・コービンたちはアルバム・ジャケットの撮影をするため3日間、モハーヴェ砂漠やデス・バレーなどを周る予定で旅に出る。

初日の夜、アントンがボノに「とても気にいっている木がある。『ヨシュア・トゥリー』という木があるのを知っているか?」という話をする。翌朝、ボノは聖書を片手に「ヨシュア・トゥリーについて調べたよ。それはアルバムのタイトルになるべきだ」と言ったという。この時まで仮のタイトルは「二人のアメリカ人」。なぜ「ヨシュア・トゥリー」で写真を撮らなかったのかという疑問も消える。

そして、デスバレーを走っていた一行は、一本の木に出くわす。「ヨシュア・トゥリー」は群生することが多いが、この木は砂漠にポツンと一本だけ生えていた。車を降りたメンバーは冬の寒さの中、この木の前で20分間撮影を行う。奇跡の瞬間である。この奇跡の木は、2000年に自然に朽ち果てた。推定樹齢は200年だったという。その場所は熱狂的なU2ファンの聖地となっている。U2がビッグになっていく様と逆行するように、役目を終えたかのように弱って朽ち果てていった一本の木。なんだかおとぎ話のようでもある。

 

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