町工場の可能性を拡張せよ――。〝けんかゴマ〟で白熱の「コマ大戦」 創設者の思いに迫る

コマ大戦協会の初代理事長の緑川賢司さん(撮影・斎藤大輔)

製造業の職人たちが本気で作ったコマで「けんかゴマ」をする、そんな大会をご存じでしょうか。その名も「全日本製造業コマ大戦」。創設者である緑川賢司さん(52)が飲み会の帰り道に思いついて始まった大会は、今では世界大会が行われるほどの一大イベントに。直径20mmの金属製のコマに込められた町工場の人々の思いに迫ります。

全国で繰り広げられる職人たちの熱き戦い

コマ大戦の試合の様子。試合は直径25cmの土俵の上で行われる(提供・全日本製造業コマ大戦協会)

「はっけよーい、のこった!」。行司のかけ声とともに土俵に投げ込まれる二つのコマ。激しくぶつかり合い、片方がはじき飛ばされると、会場からは大きな歓声ーー。全日本製造業コマ大戦(以下、コマ大戦)の試合の様子です。

2012年に第1回大会が開催されるとすぐさま評判となり、今では全国各地で行われています。さらには世界大会も開かれるほどの盛り上がりになっています。

ルールはいたってシンプル。コマの材質、重さ、形状は自由。行司の「のこった」のかけ声を合図に直径20mm以下、全長60mm以下のコマを回し、土俵の外に出るか、止まったら負け。製造業の職人たちが本気でけんかゴマをする、それがコマ大戦です。

「重量が重ければ当たり負けしにくくなりますが、回転が悪くなって持久力が落ちます。土俵との摩擦をどう減らすか、重心をどこに置くかなど、小さなコマの中にもたくさんの知恵と技術が詰まっているんです」。そう解説するのは、コマ大戦の創設者であり、自身も木型工場を経営する株式会社ミナロの代表取締役・緑川賢司さんです。

緑川さんがコマ大戦を始めたきっかけは何だったのでしょうか。「製造業の仲間との飲み会があり、参加者が噂(うわさ)のコマを持っていたんです」。その〝噂のコマ〟とは?

〝噂のコマ〟がすべての始まり

コマ大戦を思いついた背景には「東日本大震災などで疲弊した町工場を元気にしたいという思いがあった」と振り返る緑川さん(撮影・斎藤大輔)

それは、精密切削加工を得意とする神奈川の企業が、パリの展示会でノベルティーグッズとして配った小さな金属製のコマでした。

「言葉が通じないフランス人に自社の技術力を伝えるためにコマを作って配り、それが会場で評判になった噂を耳にしていたんです。実際に回してみると、3分以上も回転する精度の高いコマで、アイデアも技術も素晴らしいと感心しました」

その日の夜、ふと〝噂のコマ〟が頭に浮かんだ緑川さん。「あのくらいの小さなコマなら、どこの町工場でも負担なく作れるんじゃないか。それで町工場同士がけんかゴマで対決したら面白いんじゃないか。そんなことをひらめいたんです」。

さっそくフェイスブックで参加者を募ると、すぐに10人ほどが集まりました。その反応を見て「これはイベントになる」と確信したそうです。

世界大会で優勝したのは…コマなのか?

直径20mmの小さなコマだが、町工場の英知が注がれている(撮影・斎藤大輔)

第1回大会は、横浜で開催された工業製品の総合見本市でブースを借りて行いました。参加したのは21組。試合が始まると、すぐに人だかりができたそうです。

「テレビの取材も来て大盛況でした。翌日以降、テレビを見た人から問い合わせが殺到し、そんなに反響があるならと翌年にまた開催したんです」

第2回大会は全国で予選を行い、参加チームは200組に。さらに2015年には世界大会が行われ、会場には6000人が詰めかけました。ベトナムや韓国など6カ国から海外チームが参戦し、決勝戦ではインドネシアと日本が対決。その結果、優勝したのは日本企業の合同チームでした。

日本の技術力の高さを示す結果に、運営サイドは胸をなで下ろしたのではないかと思いきや「そうでもないんです」と笑う緑川さん。どういうことでしょうか。

「優勝したコマは最後まで『あれはコマなのか?』とみんなが首をひねったコマでした。形状が規定寸法ぎりぎりの直径20mm、全長60mmの円筒形なんです。最大限の大きさなので重量があり、なかなか倒れません。それでも決勝は接戦となり、どうにか優勝することができました。つまり、日本は『技術力』ではなく『アイデア』で勝ったんです。むしろ技術力の高さを見せつけたのは東南アジアの国々でした」

世界大会で優勝したコマ。電池とモーターで回転する。「電柱」「印鑑」と揶揄(やゆ)されながらも優勝した(提供・全日本製造業コマ大戦協会)

リストラされた仲間と始めた町工場

緑川さんは日本の技術力を過信してはいけないと言います。「ジャパン・アズ・ナンバーワンとうたわれたのは1980年代のこと。実際に東南アジアのチームは本当に精度の高いコマを作ってきました」。

実は、緑川さんは30代の頃、勤めていた木型工場の廃業に伴い、リストラを宣告された経験があります。だからこそ、日本の製造業の将来について人一倍、危機感を抱いています。

「リストラされた仲間と立ち上げたのがミナロです。マイナスから始まっているため、起業当初から会社が生き残るにはどうすればいいのかを考えてきました。例えば、当時では珍しかったLED照明を使った野菜栽培を工場内で行ったり、通常のBtoB業務に加えて、木型の原材料となるケミカルウッドをエンドユーザーに販売したり、いち早くインターネットを活用した営業を行ったり、製造業に新しい視点を取り込めないかと常に模索してきたんです。コマ大戦もそうした模索から生まれたイベントでした」

ミナロは、その道では精密な木型を作る会社として知られ、船や自動車に関連した顧客を多く持ちます。しかし、それに甘んじることなく、町工場の可能性を拡張するため、さまざまなアイデアを実践してきました。いったい緑川さんはどんなときにアイデアを思いつくのでしょうか。

「一人のときはいろんな空想を膨らませています。それが楽しいんです。空想はできるだけ大きいほうがいい。というのも、何かを始めると必ず障壁があります。モチベーションを保ち、障壁を乗り越えるためにも、最初に大きく膨らませて勢いをつけたほうがいいんです」

機動戦士ガンダムのデザイナー・大河原邦男さんがミナロのために描いた原画をもとに木型で作品化したキャラクター(撮影・斎藤大輔)

町工場の可能性を拡張するために

2020年2月、第2回世界コマ大戦が横浜で開催されます。東京五輪の年に何か大きなことをやりたいと構想を練ってきたそうです。

「今は顧問という立場で直接、コマ大戦の運営に関わってはいませんが、無事に成功することを願っています。日本の労働者の約7割が中小企業に勤めています。日本の経済を支える町工場に光が当たらなければ、技術の継承が途絶え、ますます日本経済は先細ります。少子高齢化が加速する中、今、手を打たなければ、日本は確実に衰退していくと危惧しているんです」

以前、コマ大戦に参加した工業高校生が、自分たちを負かした相手企業の技術力に感服し、卒業後にその企業に就職したことがあったそうです。「若者との交流や製造業者同士の交流が、コマ大戦をきっかけに全国的に広がっています。そうした事例を聞くと、コマ大戦を始めてよかったと感じます」。

今でも緑川さんは木型生産と並行し、廃材を利用したインテリアを販売したり、製造業ネットワークで培った資材調達ノウハウを活用して、ハーバリウムの製造販売を手がけたり、町工場の可能性を追求しています。

工場の一角ではハーバリウムの材料や作品を販売。町工場なのに一般の女性客が多く訪れる(撮影・斎藤大輔)

「自分の会社だけが生き残ることなんてありえません。だから、日本の中小企業が生み出す製品が世界に通ずるハイブランドになるように、コマ大戦で出会った仲間たちと中小企業の連合を作る活動も始めています。これからも町工場を盛り上げる取り組みを行っていきたいと思っています」

コマ大戦という一大イベントを生み出した緑川さんの発想力は、今もなお町工場の活況のために注がれています。第2、第3のムーブメントを起こすためにその挑戦は続きます。

「趣味もないから一人のときは妄想しています」と笑う緑川さんの次なるアイデアは?(撮影・斎藤大輔)

 

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