留学してフリーランスに『真面目にマリファナ』本の著者に聞く・前編

『真面目にマリファナの話をしよう』文筆家の佐久間裕美子さん(撮影・齋藤大輔)

大学卒業後、アメリカのイェール大学大学院へ留学、ニューヨークで通信社に勤務した後、フリーランスライターとして独立した佐久間裕美子さん。20年以上にわたり、ニューヨークと日本を行き来しながら幅広い分野で執筆活動を続け、現在は『真面目にマリファナの話をしよう』(文藝春秋)が話題となっています。そんな佐久間さんに渡米の理由、そしてフリーランスとなったきっかけについて話を聞きました。

「男の子になりたかった」幼少期

――社会の第一線で活躍している女性と言うと、年配の男性受けのする外見の女性を思い浮かべますが、佐久間さんはニュートラルで自然体の雰囲気が素敵です。

佐久間:幼い時は男の子になりたかったですね。今でもそうかもしれません。たとえば「男子のほうが女子より足が速い」というようなことに「女に生まれると1番にはなれないのか」と思ってしまった。小学校から女子校に通っていましたが、いつも「自分は間違ったところに来てしまった」という気持ちでいて。スカートに違和感を覚えて、青い服を着て短パンを履いていました。じっとしていることができない、先生の言うことができない、常に問題児だったと思います。常に属せないという気持ちを抱えていました。

その分、中学生時代から、読書をしたり音楽を聴いたりひとり課外活動に没頭するようになりました。

――大学は法学部の政治学科に進まれていますね。本や音楽が好きなら迷わず文学部という気がしますが。

佐久間:小学生の時の卒業文集には弁護士になりたいと書いていました。ただ、中学生になる頃には、司法試験のハードルの高さを知り、自分のような根性のない人間には、根詰めて勉強するのは無理だとあっさりその考えを捨てました。

大学では、法学部の政治学科に進学しました。「女の子なら文学部でしょ」というようなイメージが嫌で文学部は消去し、数学が苦手だったので経済学部も消去したときに、政治学が自分に一番近いような気がしたんです。小学生の頃から新聞を読むのが好きだったんで、抵抗がなかったというか。

――大学に入ってからはいかがでしたか。

佐久間:最初は大学に失望していました。入学試験まではあんなに真面目に勉強していた人たちが一所懸命にテニスをしていて、みんなテニスのために大学入ったのかとバカらしくなってしまって。一度は、大学時代に何をすればいいのか完全に見失い、半ば不登校になりかけたんですが、体調を崩したことをきっかけに「このままではマズイ、できることをしよう」と気持ちを切り替え、ちょうど勉強を頑張ると決めたとき、スタンフォード大学の短期留学の募集を見たんです。

就活は「真剣にやっている人に失礼」と止められた

3ヶ月間の留学で大きなカルチャーショックを受け再びアメリカへ(撮影・齋藤大輔)

――アメリカでの生活はどうでしたか?

佐久間:3週間という短い期間でしたが、これほど自分の生きる世界と違う場所があるのかと衝撃を受けました。もっとアメリカで時間を過ごしたい、と、日本に帰って来て、3年生からは厳しいことで有名だった久保文明先生(現・東京大学教授)のゼミに入り、アメリカ政治を勉強しました。

――先生のアドバイスで卒業後アメリカに留学されたとのことでしたね。

佐久間:生意気で面倒くさい生徒だったと思うのですが、あなたは留学したほうがいいよ、と背中を押してくれました。ゼミの卒論テ―マは「ニクソン時代のアメリカにおけるアジア外交」です。ゼミの勉強で政治学が面白いと感じていたこともあり、留学先のイェール大学では国際関係論を勉強しました。

――お母さまも留学を後押したようですね。

佐久間:母は建築士の資格を持ってコーディネーターなどのインテリア関係の仕事をしていました。元々は専業主婦だったのですが、働きたいと一念発起して私が中学生の時に資格を取ったんですね。自分も留学を望んでいたとのことで、娘がやりたいと望んだことはやらせてあげたいと思ってくれていたようです。私は母の生き方に影響を受けていますね。

――アメリカ行きを心配されていたのでは?

佐久間:もちろん心配はしていたと思います。ただ、大学院に行きたい、という明確なゴールがあったので、応援してくれました。留学は決めていたものの、自分の器を試したくて「就職活動をしてみようかな」と言ったら、母から「真剣にやっている人に失礼だからやめなさい」とビシッと言われたこともありました。

――大学院修了後はニューヨークで就職していますね。

佐久間:修士課程は2年コースですが、実際は9月に入学して翌年の4月には単位を取り終わったので1年半があっという間に過ぎてしまって。せっかくビザを取ってアメリカに来たのだから働きたいと。

――進路はどのようにして決めたのでしょうか。

佐久間:留学した当初は研究者という進路も意識していましたが、イェールの大学院に入って、自分の「脳力」の限界を圧倒的に思い知りました。世の中にはこんなに頭のいい人たちがたくさんいるんだと。

一方で、学生時代から簡単な翻訳のアルバイトや、Webサイトでの留学日記の寄稿などをやっていたので、こういうことを続けていきたいと思うようになりました。同時に、BBCの東京支局でインターンをさせてもらい、報道で修行をしようと思ったんですね。そこから報道機関に応募して、最初は日本の新聞社の支局の記者助手、その後アメリカの学術系出版社に2年いて、最後はマルチナショナルの通信社に勤めました。

フリーランスになったきっかけは「9.11」

――新卒時からフリーランスになることは意識していたのでしょうか?

佐久間:母親がフリーランスで働いていたということもあって、自分もいつかはと思っていました。常に会社はいつか辞めるという前提だったので、いつも同時進行でフリーランスライターとして2足のわらじを履いていました。

――副業はOKだったのですね。

佐久間:入社する時から「ライターの仕事を続けてもいいですか?」と会社に確認しましたが、どこも競合でなければOKというルールでした。当時は、アメリカのトレンドやライフスタイルを紹介するような仕事を中心にしていたので、問題なかったんですね。

当時は日本の雑誌にスーパーの商品紹介などのコラムを書いていた(撮影・齋藤大輔)

――2回転職をされていますが、きっかけは何だったのでしょうか?

佐久間:なるべく早くいろんな経験をして、独立したいという思いがありました。会社員には向いていないという自覚があったので。

9.11では行方不明になった友人の婚約者を捜索したことも(撮影・齋藤大輔)

――フリーランスになったきっかけを教えてください。

佐久間:2000年の末に通信社に入って、金融ニュースを配信する部署にいたのですが、2001年に9.11が起きて世界がひっくり返りました。 その時に、自分はずっとこの仕事をできないなと思いました。1日に何度も避難するようなこともありましたし、メディアに炭疽菌が届くような事件も起きました。アメリカは、そのあとアフガニスタンに侵攻し、世の中が変わってしまった。

歴史に残る大事件を通信社で目撃したことは、良い経験だったと思いますが、自分はニュースの速報よりも、そういうことに社会や芸術がどう反応するかのほうに興味があったんですね。いよいよ、独立するための準備をしようというときに、所属していた部署がそのままオーストラリアに移されることになって、それを機に退社しました。

後編:「当事者意識」が動かすアメリカ『真面目にマリファナ』佐久間さん につづく)

 

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