成人の日の思い出と相棒との出会い~元たま・石川浩司の「初めての体験」

成人の日の思い出を語る(イラスト・古本有美)

きょうは成人の日だ。新成人の多くは、成人式で新たな人生の門出を祝う記念すべき日だろう。僕にとってはもう40年近く前の出来事なのだが、あの日のことは忘れない。今回は僕の成人の日の思い出を振り返ろうと思う。

スーツはいつもレンタル

僕はきちんと正装するような式、パーティなどが昔から大の苦手だ。結婚式や葬式ですら、できる限り出たくないと思っている。仕事柄スーツを着ることもないので、58歳にして正装を一着も持っていないという有様だ。

どうしても出ざるを得ない親戚の葬式などがあるときは、慌てふためいてレンタルする。数千円でスーツから革靴まですべて揃っているので便利だ。正装をする機会が数年に一度しかない僕にとっては、保管やクリーニングなどの心配がないため、手間もお金もかからない。

そういえば話題となっている総理主催の「桜を見る会」にも、「たま」でメジャーデビューした当時に招待が来たが、速攻で断った。知らない人と堅苦しい話をして愛想笑いをするぐらいなら、家で友達と発泡酒を飲んで、サキイカをつまみに馬鹿話をしている方が、僕には余程楽しいからだ。

成人の日にライブに行く

さて僕が二十歳になった時だ。当時の成人の日は1月15日と決まっていて祝日だった。上述したように、僕は若いことから式が苦手だ。なので成人式には参加せずに、「今日はどうすべ~」と情報誌をパラパラめくっていた。すると、シンガーソングライターの斉藤哲夫の無料ライブが高田馬場で行われることを知り、「これだ!」と思った。

斉藤哲夫は、僕が高校生の時に初めてライブハウスに行ったときに見たシンガーソングライターだった。「いまのキミはピカピカに光って」のヒットで知られるが、当時はその曲がリリースされる前。「若き哲学者」という異名を持っていて、歌詞は深いが曲は馴染みやすい歌い手だった。

二十歳の成人の日、ひとりでトボトボと斉藤哲夫のライブに出かける。会場は満員の客であふれていた。そんな客席の最前列に見慣れた風貌の男がいることに気がついた。ライブが終わった後に声をかけた。

「大谷さん」

半年ほど前に別のライブハウスで知り合って、その後、何度か顔を合わせたことのある大谷ひろゆきという男だった。北陸育ちの朴訥(ぼくとつ)な感じながらも、「砂糖付き饅頭」とか「屁・屁・屁」などユーモアのあるメッセージソングを歌う人として好感を持っていた。ただその頃は、ただの知り合い程度で、きちんと話したことはなかったので、「さん付け」で声をかけたのだ。

石川「あ、そういえば大谷さんも同い年でしたね」
大谷「うん、昼間は沢田聖子さんの成人式に行って来たんだよねー」
石川「えっ、自分の成人式じゃなくて?」
大谷「田舎は富山で東京ではそんなに友達もいないから、
   大好きな聖子さんの成人式で晴れ着姿を見て来たんだよねー」

ゲッ、こいつストーカーか、と思ったが、それは言わなかった。

大谷ひろゆきと成人の日を祝う

「せっかくだから、一緒に晩飯でも食いませんか」と、僕は彼を誘った。いつもの定食屋より若干高めの洋食屋に入り、ひとりずつだった寂しい成人の日をふたりで祝った。

当時の僕らは駆け出しのミュージシャンだったが、実はその時点では、彼の方がはるかにメジャーデビューが近かった。フォーライフレコードのオーディションで決勝まで進んだこと、当時大人気だった深夜のラジオ番組「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」にもゲストで出演した話などを聞いた。

「すごいですねー」。僕はそんなものとはまだまだ無縁の駆け出しの「歌うたい」だった。同い年なのに随分先を越されている感じがして、ちょっとだけ劣等感を持った。

「・・・それじゃ、僕は高円寺なので、ここで」

別の街に住んでいた彼にそう言って、木枯らしの吹く寒風の中を体を縮こませて、ひとり帰路についた。

あれから38年が経った。

その後「大谷さん」は「大谷くん」になり、「大谷」になった。一緒にホルモン鉄道というユニットを組んで、今もふたりでパンツ一丁で腹太鼓を叩いたり馬鹿な歌をうたったりして、全国をツアーしてまわっている。

あの日、「ふたりだけの成人式」がなければ、別々の人生を歩んでいたかもしれないな。

 

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