夢や理想を語らなかった師匠・談志 その言葉は仕事にも筋トレにも役立つ!(談慶の筋トレ道)

(撮影:齋藤大輔)

談志の弟子になって今年の4月で29年にもなります。本人はもういなくなってから9年近くになるというのに、いまだに談志絡みの本を書いてくれとの依頼が立て込んできています。

なぜでしょうか?

カミさんは「あなたがこじつけがうまいからよ」と身も蓋もないことを言います(ま、確かにその通りではありますが)。それだけ深い言葉に、接し続けてきた恩恵をひたすら噛みしめているのみです。

普通だったら3年ぐらいでクリアする前座修行も、9年半近くかかってしまったのも、これも買いかぶりかもしれませんが、「お前は将来、きっと俺にまつわる本を書くことになる。だからこそ俺のそばにしばらくいろ。それがお前の仕事にきっと役立つはずだ」と見越していたのではと、そうとしか思えない状況であります。そうなんです、9年半という前座修行期間は、「作家としての談志リサーチ期間」だったのです。

そんな開き直りで、談志は絶対にやるはずのなかった筋トレについても、談志語録からアプローチしてみたいなと思います。

ダメな人ほど「夢」や「理想」を語りたがる

談志がよく言っていたのが「現実が事実」という言葉です。

振り返ってみたら、談志は「理想」「夢」などという甘ったれた言葉はひとつもつぶやかなかった人でした。

筋トレも落語も共通点を探ると、「終わりがない」という点でしょうか。「ここまでやったんだからもう大丈夫だ」という到達点がないのです。談志自身が、いまから40年近く前に「落語は人間の業の肯定」という歴史的な定義をしましたが、そのたどり着いた安住の地に居続けることなく、その後も「落語はイリュージョンだ」と宗旨替えのようなことを言いだし、それまで培ってきた内容を覆しかねないような演出の落語に切り替えたかと思えば、晩年は「江戸の風」と言い残しカットアウトするかのように去ってゆきました。

筋トレとてそうです。

「ベンチプレス100キロ挙げること」をさしあたっての目標に取り組んだとしたら、その目標が達成できたとしたら、そこで更なる目標を打ち立てないと、モチベーションがキープできません。逆にベンチ100キロ挙げたとしても、それ以上挙げる人は山ほどいますし、そこで満足してトレーニングを怠ったとしたら、100キロも挙げられなくなるほどシビアなのが筋トレの世界でもあります。

落語も同じです。ひとまず入門した時点での目標を「真打ち昇進」には誰もが掲げますが、10数年辛抱してその地位にたどり着いたとしても、そこからさらなる目標を設定し続けてゆかないと、芸は成長しないものであります。

筋トレも落語も常にアップデートさせてゆかなければならないものなのです。

真打ちの前の、二つ目に昇進した時、談志に言われたのが「到達点を目標にするな。日々の積み重ねを目標にしてみろ」という言葉でした。

ダメな人ほど、「理想や夢」を語りたがるものです。

自作の歌を作ったことのない人ほど、「武道館を満席にする」などと言うものですし、小説を書いたことのない人ほど「芥川賞を狙っています」などとSNSで誰も聞いていないのに宣言したりなんぞするものです。

実際、武道館を満杯にするようなアーティストは「まずは路上で歌い始めて、ライブハウスを借りられたらとにかくチケットを売るのに必死だった」と述懐していますし、芥川賞作家も「まずは商業ベースでの出版を目指し、書籍化されたら一軒一軒本屋さん回りをしていた」などと同じSNS上に書いていたりするものです。誰もが血のにじむような思いで現実と向き合っていた過去を持っているものです。

現実主義者でロマンチストだった談志の想い

「現実が事実」は、同じく口癖だった「評価は他人が決める」という言葉とセットになっています。いくら「俺は頑張っている」と自ら言っても評価するのは他人様だという厳しい意味合いがそこにあります。筋トレも、落語も、どんなに一生懸命やっていると言っても、「じゃあ、その証拠を見せて」と言われれば、一言でおしまいです。筋トレはその場で脱げば、落語もその場でやれば一目瞭然、共に結果は残酷なものです。

談志自身、16歳で落語界に身を投じ、亡くなる75歳までの60年間を、現実と格闘し続けた芸人人生を送ってきました。昭和27年に先代柳家小さん師匠の元に入門したのですが、その頃の寄席の楽屋などは、「思い出すのも嫌だ」というぐらいにすさんだものだったそうです。戦後のどさくさ臭が漂う最悪の環境の中ではありましたが、小さん師匠を始め、目標とする落語家もいたはずで、「俺は絶対天下を獲る!」と密かに思っていたのではと察します。そんな思いを増幅させて、そのおよそ30年後に更なる高い志を携えて作ったのが「立川流」だったのではないでしょうか?

そうなんです、スーパーリアリズムで現実主義者の談志は、実はかなりのロマンチストでもあったのです。「俺の弟子たちはちゃんとさせてやる!」という強い思いが二つ目、真打ちへの昇進基準の厳しさに反映されたとも言えます。結果が出るまでの辛さをきっとひとりでこらえていたはずです。自らの抱いた尊き理想と、現実とのギャップを必死に埋めようとしていた孤独な天才の姿がそこに浮かび上がって来るような気がしませんでしょうか。

「努力はバカに与えた夢だ」と唾棄していた談志でしたが、実際はものすごい努力家だったのです。

理想を単なる理想で終わらせないこと。それが筋トレも落語も、いや、どんな仕事にも当てはまるのではないでしょうか。

大事なのは「理想を目標に置き換えること」なのかもしれません。目標とは現実側の言葉で、そのように置き換えることで可視化されやすくなります。

筋トレならば、「夏までに逆三角形」という理想を「週3回ジムでトレーニングする」という「目標」に変換し、さらにその内容を、「ベンチプレス〇回、懸垂〇回、デッドリフト〇回」などとさらに数値化させてゆくことで、理想に近づいてゆくはずです。

つまり、筋トレとは、「理想を目標化させるには都合のいい訓練」であるとも言えます。そこで養成したノウハウはきっとほかのジャンルでも生きるような気がします。
ローマの道も一歩から。さあ、ダンベルを持ちましょう。すべてはそこからです。

 

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