強制執行の後もひとりハンストをした元寮生は今~私と東大駒場寮(第5回)

原田さんが暮らしていた東大駒場寮の部屋

東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。私は、2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集の再制作と、この連載のために、写真の使用許可を得るため、過去に取材した元寮生を探している。今回は、当時部屋の写真を撮らせてくれた元寮生のひとりで、現在は元寮生が起業した会社で働く、原田元気(はらだ・げんき)さんを訪ねた。

現在の原田元気さん

抗議活動をしようと決めた日に「みんな寝坊した」

――元気さんも、(前回の西さんの話に出てきた)入学手続きの封筒に入っていた「駒場寮には近づかないでください」的な書類を見たんですよね? でも駒場寮に入った。

原田:駒場寮が当時作っていた入寮パンフレットを見たんだよね。あれが結構よくできてて、面白そうだと思って。でも、現実は……パンフと比べると面白くなくて。やっぱり、大学側からも書面が配られたりとかがあって、入る人も非常に少なくて。

――2001年の8月に強制執行があって、寮生は寮を出ました。そのあと、一部の寮生が残って「テント村」を建設しましたよね。そして、テント村にカフェができて……元気さんは、そのカフェで、ひとりでハンガーストライキをしていましたよね?

原田:そうそう、2002年の3月くらいまではテント村に住んでたね。で、3月1日にハンストをはじめて…3月7日で終わったから7日間かな。普通のハンストって、塩と水だけっていうのが多いんだけど、立てこもってるのがカフェだから、コーヒーと紅茶とか、お茶関係はオッケーで、ほかはなし、ってことにした(笑)

砂糖はダメ。エネルギーだから。でも、今考えたら、危険だよね、マジで。

その当時、カフェの目の前が生協だったんですよね。そうすると、生協の前に、僕も愛用してた、日清のカップラーメンの自販機があって。それを、みんな目の前で食ってるから、うらやましくてしかたがなくて。ハンストが終わったら、絶対あれを食うんだ! って思ってました。

駒場寮の元寮生による「テント村」建設の様子(西優さん提供)
写真左手前、ガードマンが立っている前の草地部分が「テント村」建設地(駒場寮・明寮の跡地)。その向かい、大学生協の前にカップラーメンの自販機があった。(写真右部分)2001年8月撮影

――そんな思いをしながら、ひとりでハンストを頑張っていたのに、「インパクトがない」と言われたと、「駒場寮同窓会会報」の記事にはありますが……。

原田:3月6日に、寮委員会で「ハンストしてるだけじゃインパクトが足りない。文科省前で抗議行動やろう」っていう話になったんだよね。でもさ、みんな、やっぱり寮生だから……寝坊して(笑)(筆者注:原田氏の話によれば、当時の駒場寮生は、時間を守らない人が多かった)

僕は、気がついたら、30人くらいの先生たちに、囲まれてて。「原田くん起きなさい!」って言われて。(笑)

――それで、結果としては、寝坊して先生に囲まれたことによって、そこが交渉の場となった?

原田:そう。「交渉にしましょう」って言って。キャンパスの建設計画とかを、大学側が勝手に決めるんではなくて、学生側と話し合って決める、委員会っていうのを作ろうっていう話になった。その活動場所として、大学側に、プレハブをひとつ提供してもらう。そして、寮の資料を保管するためのコンテナをひとつ用意してもらうってことで、話がまとまった。でも、僕は寝てただけで、その辺の交渉は、当時の寮委員長が全部やった。

――そのときに残った駒場寮の資料が、寮に残されたお金で買った一軒家に保管されている、っていう話を、『東大駒場寮物語』(松本博文/KADOKAWA)で読みました。

原田:そう。そういうことがあったから、その本もできたんですよ(笑)

大学の雇った解体業者が「テント村」を解体しているところ(西優さん提供)

現在はプログラマー「会社の理念は駒場寮の流れをくんでいる」

――今は何の仕事をしているんですか。

原田:今はプログラマーです。それも、紆余曲折あって……。

元寮生が作った会社なんですけど……大学関係の仕事が多くて、社会調査のお手伝いをしています。

社会調査をするのに、普通は、紙を送って、アンケートとって、回収して、っていうのを、やるんですけど。それをwebで代替してやるっていうようなシステムを主に作っています。

原田さんが暮らしていた部屋

――じゃあ、なにか寮にいたときにやっていたこととか、考えていたことと、今の仕事は、特につながっていない……?

原田:そうね〜……。特につながってないけども、でも今の会社の社長と役員が元寮生なので……人はつながってる。会社の理念は、確かに駒場寮の流れをくんでいる。「社会をよくしよう」っていう。「研究のお手伝い」っていうのは、「世直し」要素があるよね。

原田さんが暮らしていた部屋の落書き。駒場寮の歴史の長さを感じさせる
原田さんの部屋の間取り図(2001年作成の写真&インタビュー集より)

――元気さんは、わりに廃寮反対運動については、熱心にやっていた印象がありますが…

原田:形式的には、熱心にやっていた。やらされていた。僕は主体的にやっていなかった。

――つまり、廃寮反対運動を熱心にやっていた人にも、自ら主体的に考えてやっていた人と、すごくやっているけれども、特に「主体性はない」人がいたと。

原田:僕はね、昔からそういうタイプだった。今でもそうです。今の会社も、はじめは、今の社長と役員と、「(経営者として)一緒にやろう」って言われたの。でも、僕は別に労働者でいいし、っていう感じだったので。

大学卒業後は、着メロを作っていたんですよ。着メロの会社で。耳コピして着メロを作るっていう。でもその会社が潰れたんです。そのあとは、しばらく中国に行ってたんですよ。

中国には、西くんと元寮生が作った会社(連載の前回記事を参照)の仕事で、従業員じゃないけど、さみしいからついてきて、っていうので誘われて(笑)で、商品が出たら、分け前をやるっていう話だったんです。

そしたら、先にその会社の人は日本に帰り、僕は半年間中国にいたんですけど、結局商品が1個も出なかったので、分け前はなし。で、僕は貯金を全部溶かして、日本に戻ってきた。

その頃、その会社が入ってたビルに、その会社関連の変な人たちが、寮的な感じで集まってて。僕はそこで4人くらいで暮らしてた。そのときはスーパーで働いてて、夜に品出しをして、帰ってきて朝、酒を飲み、時々曲を書いて……っていうような生活をしてた。

そしたら、元寮生に、前の職場から仕事がもらえそうだから、一緒にやってみないかって言われて。それで、プログラマーになりました。

だから、今の会社は、「元寮生が結果的に集まってる」っていう感じですね。

原田さんの1ヶ月の収支(2001年作成の写真&インタビュー集より)

週末はオーケストラに夢中「結婚の『け』の字もない」

――学生のときは、東大オケ(東京大学音楽部管弦楽団)にいましたよね。

原田:駒場寮がなかったら、オケなんてやらなかったと思う。お金がなくて。今でもオーケストラはやっています。むしろ、今は、土日にほとんど練習をしていて、その合間に仕事をする状態なんです。(笑)

楽器はファゴットなんですけど、ファゴットって、なり手がいないので、結構どこのオケに行っても足りないことが多くて。で、人が足りないって言われて、お手伝いに行くと、そのオケで団員になりませんかって、誘われるパターンが結構多くて……。

――じゃあオケも、まだ熱心に続けているんですね。元気さんは独身ですか?

原田:完全独身です。結婚の「け」の字もない。大学時代に、もうちょっと頑張っておけばよかったなって……いやそれは学生の時から思っていたけれども……。

オケの友達と話していて……「(オケにいると)カタギの人とは結婚できませんよ」って言われて。土曜日も日曜日も練習に行ってるじゃない? その人も、付き合ってる人がいたんだけど、「花火大会行きたいね」「いつ開いてる?」って言われて予定見たら、土日が全部埋まってるわけですよ(笑)

僕は常に結婚したいです。お相手を募集中です!

東大駒場寮内のカフェ(「テント村」のカフェとは別のもの)で働く原田元気さん(2001年5月)

――最後に、京都大学で明け渡しが問題になっている、東大駒場寮と同じ学生自治寮の「京大吉田寮」の現状についてはどう思われていますか?

原田:やっぱり……残してほしい。面白いところなので。僕も何回か行ったことありますけど。東大は元々官僚的な雰囲気があって、お上の言うことには従え、みたいな感じなので、管理の面倒な自治寮なんて潰してしまえ、というのはいかにもやりそうだよね。他方で京大には、そういう魑魅魍魎を懐深く内包する余裕みたいなものがあって、それがとても羨ましかった。でも最近は、そうでもないみたいだから、なんか……ねえ……? なんか、京大もケツの穴が小さくなったなって。僕はそう思ってます。

 

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