NYでJ-ROCKバンドとして活動、会社経営も 月元香太さん

ロックバンド「座・アスタープレイス」のボーカルとして活動する月元香太さん

子供の頃にギターと出会い、中学で仲間とバンドを作って音楽に熱中する……。ロック少年がたどる定番のコースをたどっていた月元香太(コウタ)さんは、大学に入ると中国語を学び、極めるべく上海に留学。そこで中国人や日本人とロックバンドを組んで音楽活動を始めました。その後、渡米。当初は「ヨソ者」として見られ、思うような活動ができませんでした。しかし、演出を自分たちなりに工夫して、次第に受け入れられるように。今ではアメリカだけではなく、ヨーロッパや中南米にも活動の場を広げています。

上海からニューヨークへ

中国に留学した2006〜08年当時、上海ではまだロックライブが盛んではありませんでした。そこで、月元さんは「ここでロックバンドのパイオニアとしてやっていこう」と考え、大学卒業後は上海のデザイン会社で働きつつ、プロのミュージシャンを目指しました。

すでに「中国語はペラペラ」(月元さん)。中国語や英語で歌詞を書き、曲を作り、ライブを中心にファッションショーなどのイベントにもバンド活動の場を広げていきました。

「日本は見ていませんでした。誰もやっていないところでチャレンジしたかった」

ところが、ひょんなことから08年秋にバンド仲間のひとりとニューヨークへ。寝室が三つあるアパートの部屋のひとつに2段ベッドを置き、中国から一緒に来たバンド仲間と2人でシェアするという、貧しいながらも夢のある生活が始まりました。

ミュージシャンとして活動するためのアーティストビザを取得してからは、ロックバンド「The Asterplace (座・アスタープレイス)」の活動のほか、アーティストマネジメントやローカルエージェンシーとしてのプロダクション活動、さらにバンを使った運送業まで様々なビジネスを起業しました。バンド活動を続けながらも、起業家としてニューヨークで活躍するようになります。しかし、アメリカで日本人バンドが受け入れられるのは容易ではありませんでした。

「ヨソ者」が受け入れられるには

ライブ中の月元さん(左、本人提供)

「人種差別を感じることはないですけど、日本人のバンドは必ずしもメインストリームではなく、どうしてもキワモノから出るのは難しい。そこにはスクールカーストみたいなものがある。だからこそ違う角度からやってみる。ここではヨソ者なので、ヨソ者の方法を取るというか……」

そこで月元さんが取ったのは、ライブ客をより早く乗せるデフォルメされた演出です。

「例えば、ここでお客さんをジャンプさせたいというときは『JUMP』と書いたプラカードを見せたりするんです。そうすると、お客さんは喜んでジャンプしてくれるんです。アメリカのバンドだったらこんな演出をしなくてもいいかもしれない。僕たちは、言葉はしゃべれても、やっぱりネイティブとは違うので」

月元さんが曲をつくり、ボーカルも務める「座・アスタープレイス」は、ワシントンDCやニューヨークで開催される「さくらまつり」や、イタリアやメキシコのコミコン(テクノロジーとポップ・カルチャーのイベント)、ドイツの「ヤパンタグ(日本デイ)」などのイベントに毎回出演するようになりました。

「例えば、あえて有名なアニメの曲をカバーしたり、ユーチューブで世界的にヒットした曲をリメイクしたりして少しだけ演奏する。お客さんがドカーンと盛り上がるような仕掛けをセットに取り入れています。こうしたライブの演出は受け入れられているという実感がありますし、日本人のバンドでやれているバンドは他にはいないと思います」

ひとりの時でもカッコよく

月元さんには二つの顔があります。ひとつは会社の経営者です。

「経営者の自分はけっこう大人です。だいぶちゃんとした社会人。自分が好きな表現を続けていくためには、経済的なバックグラウンドが必要で、そこを避けては通れませんから。ミュージシャンだからと甘えずに、経営者として責任を持って仕事を全うしています」

もうひとつは、もちろんミュージシャンの顔。作詞に関しては「ちょっと浮世離れした時間や情景がないと、いい作品が生まれてこない」と言います。その二つの顔を使い分けているところに月元さんの美学があります。

ところで、私は「ロックミュージシャンはカッコよくてナンボ」というベタなイメージを持っています。「“俺ってかっこいい”と思うのはどんなときですか」と月元さんに聞いてみると、

「ステージで演奏しているときは(自分は)最大級にかっこいいと思います。そうでなきゃ演奏なんてできないですから。最大限にカッコつけて、力の限りの情熱を見せないと、人の心には届かないと思っています」

と答えてくれました。さらに、

「ひとりでいる時も、だらしなくしないことがいいものを作るには大切かな。ご飯をちゃんと食べるとか、シャツにアイロンをかけるとか……。独り身の男って、だらしなくしようとしたらいくらでもできる。ラクなんですけど、それでは音楽も経営もかっこいい仕事ができないですから」とも。

誰かのためになる音楽を

これまでミュージシャンとして人生を駆け抜けていた月元さんですが、意外にも(?)、ここから先の人生もずっと音楽のみでいくのはもったいないと考えているそうです。

「半生を注いで来た音楽は、自分のコアであることには間違いはないのですが、それだけに囚われているのはもったいない。世界にはもっと知るべき知識や体験すべき事、それに見るべき景色がもっと多くある。だから音楽との付き合い方を変えていきたい。『売れたい』だけじゃなくて、社会の役に立つような活動の仕方や誰かをモチベートするような。そういうふうにシフトしていきたい。自分のための音楽ではなくて、誰かのためになるような音楽をやっていきたい」

海外での演奏旅行も多い「座・アスタープレイス」が、ひとつの集大成として発表した自身らのドキュメンタリー映画「Hands of the world」では、月元さんとそのバンドの楽しくも過酷なワールドツアーや赤裸々なインタビューが見られます。

そんな月元さんが次に目指すのは、アフリカ大陸だそうです。ロックに触れた事のないようなアフリカの村で演奏して、ロックを体感してほしい。音楽機材から発電機まで持ち込まなければならないので、クリアすべき課題も多いですが「まだほかのバンドがやっていないことをやりたい」と月元さん。大きなチャレンジになりそうです。

 

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