スポーツの素晴らしさ広めたい NYでマネジメント会社設立 中村武彦さん

「Blue United Corporation」社President & CEOの中村武彦さん

日本でも「スポーツビジネス」「スポーツマネジメント」が言葉として、学問として、ビジネスの方法論として浸透し始めています。中村武彦さん(43)は、2002年にアメリカに渡り、マサチューセッツ大学アマースト校の大学院でスポーツマネジメントを学んだ後、メジャーリーグサッカー(MLS)、リーガ・エスパニョーラ(スペインのサッカーリーグ)のFCバルセロナ(バルサ)などをはじめ、世界の最前線のスポーツビジネスシーンで活動してきました。15年に独立し、ニューヨークで「Blue United」社を立ち上げ、スポーツビジネス事業を幅広く手掛けています。

「あれをやっておけば」と思いたくなかった

――どんな事業を手掛けているのですか。

中村:「スポーツビジネスの商社」と言えば、理解してもらいやすいかと思います。事業は大きく分けて三つあります。まずは、スポーツ団体の海外進出の支援やコンサルティングです。Jリーグの鹿島アントラーズや大宮アルディージャのほか、(プロ野球パ・リークの試合動画を配信する)パシフィックリーグマーケティング社など。日本国外ではMLS、リーガ・エスパニョーラのセビージャFCといった団体がクライアントです。

二つ目は、ハワイで開催しているサッカーの国際大会「パシフィック・リム・カップ」の運営です。これは自分たちがライツホルダー(権利元)として一から作り上げたものです。

三つ目は、新たなスポーツビジネス事業への投資。例えば、プロのeスポーツチームの運営、スポーツ留学センターの運営といったものです。また、自分のライフワークとしては、教育事業にも力を注いでいて、青山学院大学の地球社会共生学部で非常勤講師としてスポーツマネージメントの授業を教えたり、本(「MLSから学ぶスポーツマネジメント」東洋館出版社)を書かせていただいたりしています。

――スポーツビジネスの第一線の現場を歩んだ後、独立に至ったのには何かきっかけがあったのですか?

中村:10歳までアメリカで育って、日本では16年、その後、アメリカに再び戻りましたが、その中で培った文化、言葉、商習慣の違いへの理解と知識をMLSでもバルサでも求められました。その経験を通じて、自分が売りにするべきものに確信が持てたことが一つ。また、リーグや一つの球団に所属していると、その組織の利益にならないというだけで、どんなにいいアイデアも価値がゼロになってしまいます。独立していれば、アイデアをそれぞれの組織に合った形で提供できるし、いろいろな人と仕事ができるので、その方が楽しいと思いました。

もう一つは、ハワイの大会(2008年にMLS国際部に在籍しながら手掛けたサッカーの国際大会「パン・パシフィック・チャンピオンシップ」で、09年の第2回大会で終了)を復活させたいという思いがありました。もともとは大学院の卒論を基にした事業で、思い入れも強くありました。投資が必要で、リスクも伴う事業ですから、自分でリスクを負ってやるしかないと思いました。

あとは、日本に帰るとなったときに「やっておけばよかった」と絶対に思いたくないという事柄が七つほどあるのですが、その一つが独立起業です。

社会にインパクトを与えるために

――独立して、今の課題はどんなことですか?

中村:スポーツビジネスは、端的に言えば権利ビジネスです。まず球団、リーグといった権利元があります。例えば、個人が権利元に赴いて、仲介業、コンサル業で入ったりと、実は参入障壁は低いんです。権利元で働いていたときに、そういうビジネスをしている人をたくさん見てきました。

そこでは新しいコンサル、新しい技術、発想がどんどん出てくるのですが、古くからやっている人たちは、新しいものを排除して自分を守ろうとする傾向があります。自分はそうなりたくないと思ったのと、そもそも権利元に切られてしまえば、事業自体が終わってしまいます。そのため、スポーツビジネスで事業を中長期的に維持するには、何か盤石なものを持たないといけないと考えていました。

その一つの解決策は、自分たちが権利元になることです。独立した当初はひとりですから、コンサル業をがむしゃらにやりました。コンサルは足し算で上に重ねていくものなので、それだけでは社会、スポーツ業界にインパクトを与える事業にするのは難しい。会社としてもブルーユナイテッドが個人のブランドを超えないと、僕のキャパだけで終わってしまいます。

特に昨年から今年にかけては、会社、事業を大きくするために、自分がガツガツいくのではなく、どうやってスタッフを力づけ、励まして、グループとしてどうやって前に進めるべきかを課題として考え始めました。

パシフィック・リム・カップのような権利元となっている大会を、みんなの知恵、アイデアを取り入れて、掛け算を生んで大きくしていくこと。さらには、新しいアイデアを生み、事業を開発していくことも必要です。そのために、今まで所属した先の上司に言われてきたことをまねして「自分のドリームプロジェクトを作ろう」とスタッフに言っています。1日が100だとしたら、20は自分のプロジェクトを進めるために使ってほしいと。

eスポーツチームや留学センター、セビージャFCの日本での海外進出の手伝いは、スタッフが発想して始まった事業です。前例がないことが多いのですが、その場合は自分たちでやってみて、前例にするしかないわけです。何を達成したいのかを明確にしておけば、過程はいろいろな方法があります。そして、それは歴史を作ることだと、伝えています。

ひとりだから思ったこと

――経歴を拝見して、前例がない、誰もやっていない、日本人で初といった、ひとりの状況が多かったのではないかと思います。

中村:日本を出る時、あまり知られていない分野に飛び込んで、留学中も日本人ひとりだったし、MLSでもバルサでも日本人ひとりという状況でした。ひとりだったからこそ、制限を受けずに、自分の発想に素直でいられたように思います。なので、今もニューヨークにあるMLSのオフィスをひとりで訪れたり、ひとりで車を運転して母校の大学院に行ったり、原点に返って自分を見つめ直したいと思ったときは、ひとりになって考えることがよくあります。

ひとりの状況は、いろいろなことを冷静に見ることができるという利点もありました。「日本人で初めて」とは、つまり、外国人として働くことが多いということです。その立場から見ると、アメリカ人がいかにMLSを誇りに思い、カタルーニャ地方の人たちがいかにバルサをシンボルとして誇りに思っているかよく分かりました。

スポーツが、国や地域の人たちにもたらすものの大きさ、素晴らしさを知る機会になりましたし、僕自身、日本のスポーツを日本人が誇りを思えるために、経験と知識を還元するのが自分のやるべきことだと思えたのも、そうした経験があったからです。

――中村さんが日本のスポーツ業界へ果たすべき役割は?

中村:スポーツは言語と一緒で、スポーツを通してできることは本当にたくさんあります。今は、これまで培ってきた知識、新しい概念をきちんと論理立てて説明するのが必要だし、大会を作ったり、eスポーツチームを作ったり、留学させたり、実際にやってみせて「できたでしょ」と見せることが大切だと思っています。僕は、日本のスポーツ界は素晴らしいポテンシャルがあると感じているんです。

 

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