奄美の人々の血や汗を思う~沖縄・東京二拠点日記43

喫茶ルイにて、筆者

小説に描かれた史実に根ざした奄美

1月14日 洗濯をして、豆腐と納豆を喰って、さっそくラファル・ナバス氏の鉢でカフェオレを飲んで、散歩がてら牧志の公設市場通りにある昭和な雰囲気の喫茶店の「ルイ」に寄った。KADOKAWAが発行している文芸誌『ランティエを6冊持ち込んで伊東潤さんの『琉球警察』を通読。ネットオークションでまとめ買いした。「ルイ」では知花園子さんがアルバイトしていて、ちょうどまかないを食べていた。

この小説は日本が戦争に敗れたあとの奄美の青年2人の物語である。会話が方言を使わず標準語(日本語)で書かれているので読みやすいが、そのあたりが物足りなくもある。それにしても 『琉球警察』は小説家やノンフィクションの書き手に人気がある。

「前略)それぞれ独立した政庁が置かれていたが、この年の四月から奄美群島政府は、琉球政府傘下の奄美地方庁になった。

しかも米軍基地の建設ラッシュにより、空前の好景気となった沖縄には肉体労働の仕事ならいくらでもあり、奄美諸島から沖縄に出稼ぎに行く人が急速に増えていた。

元々、奄美諸島の料理資源は豊富ではなく、芋や魚介類を食べられるならまだましで、カエルやイナゴはもとより、ハブ、ネズミ、セミまで取って食べねばならないことさえあった。それらが取れない時は、蘇鉄から取れるでんぷんを粥(のり)にして食べるというぎりぎりの窮乏生活を強いられた。それゆえ誰もが十五歳を超えたら、本土か沖縄に出稼ぎに行くのが当たり前になっていた。

だが本土への出稼ぎの道が閉ざされた今、働き手は沖縄に行くしかなく、軍政下の沖縄への流入者は膨大な数に上っていた。流入のピークとなった一九五〇年から五二年にかけては、毎月一千名近い働き盛りの男女が沖縄に向かい、その累計が五万人余に達していた。最終的には、それが六万から七万に膨れ上がる。

沖縄の全人口が七十万余りなので、実に十人に一人が奄美人ということになり、多くの仕事を沖縄人から奪っていった。

それが原因で沖縄人は奄美人と敵視し、それが差別へとつながり、双方の軋轢は深まっていった。(後略)」

『琉球警察』は小説だが、このくだりは史実に根ざしている。沖縄の消え行く売買春街を記録した拙著『沖縄アンダーグラウンド』の裏側に流れているのは、じつは奄美の人々の血や汗である。

そのあと桜坂劇場で古本を見て━桜坂劇場スタッフの山田星河さんとしばし立ち話━モノレールで終点の「てだこ浦西」までいき、タクシーで宜野湾の真栄原「ブックスじのん」で天久店長と社会学者の打越正行さんと合流して、近くのセンベロの店からスナックへ流れた。そうしたらスナックのホステスさんが打越さんの『ヤンキーと地元』を読んでいて、びっくりしていた。思いがけない読者との出会いは物書きにとってこの上ないよろこびのひとつだと思う。

沖縄の街の風景

新刊と古本の軸が交差する豊穣な世界

1月15日 島豆腐と野菜の炒めものをつくり、昼までごろごろして、琉球新報社へ打ち合わせへ歩いていく。市庁舎の前で演説している数人がいる。しばらく聞いていたが中国への憎悪を煽るような陰謀論のことをえんえんと繰り返している。立ち止まって聞いている人はいないが、沖縄のネトウヨはフェイクニュースを垂れ流している。そういえば、沖縄で数年会っていない知人が「ネトウヨ」化して、人が寄りつかなくなったという話を聞いた。沖縄タイムスと琉球新報社が同時期にファクトチェックのキャンペーンを貼り、単行本を出したことは意味がある。沖縄にも、いや沖縄にこそ、デタラメな情報を垂れ流し、ヘイトを煽る連中が跋扈している。

新報社の1階にある新報社の出版物を扱うところで、『沖縄から伝えたいこと━戦争体験・教科書問題・国会議員の日々を顧みて』という仲里利信さんの新刊を購入。しばらく積んどく本になるだろう。受付の女性が「藤井さんですか」と声をかけてくれて、琉球新報のぼくの月イチ連載「沖縄ひと物語」を読んでますよとのこと。うれしいなあ。

この連載も今年で2年目に入るが、2年分はもう仕込んである。文化部の面々とパートナーの写真家・ジャン松元さんにも混じってもらい、今後のラインナップを話し合っていく。なるべくぼくの沖縄での人間関係の中で取り上げたい人を候補にしていく。打ち合わせをしばらく続けていたら、ジュンク堂の森本店長、溶樹書林の武石さん、そして昨日会ったばかりの「ブックスじのん」の天久店長が連れ立ってくるという。新刊しか扱わないジュンク堂の一角で古書店が軒先を借りるかたちで沖縄関係の希少本を中心に売る。そのイベント「第3回 ジュンク堂 新春古書展」を「琉球新報」に告知にやってこられるのだという。

森本さんに言わせると、問い合わせてくるお客さんの中には絶版になっている古い本を求める人が多いのだという。だから、このイベントはしっかりとした需要があり、前回もかなりの売り上げがあったという。ぼくも去年、天久さんが仕切ったジュンク堂内のオークョンで島尾敏夫全集などを買ったことがある。ぼくも沖縄関係の古書をリアル古書店やネットでかなり買い求めるし、相互に補い合うこのイベントはじつはありがたい。知らない古書がわんさかと出ていて、楽しみである。

考えてみれば新刊書と古本の境がわからないし、ぼくもふだん買う本の3分の2は古本(か、古本屋を利用)である。「新刊」と古本の軸が交差して豊穣な世界となる。近年ますます新刊書店の閉店が目につくが、古本屋はもともと規模が小さいので個性をいかしてがんばっているところがところが多い。本好きの人は古本屋を目指す。これからはこうした本の売り方の変革期に来ていると思う。次回の訪沖のときは必ず「古書展」に顔を出そうと思う。

新報社の1階ではイベント準備中の「お笑い米軍基地」のまーちゃんこと小波津正光さんと久々に邂逅。彼も大病をしたのでお元気そうで何より。

沖縄の街の風景

と、小説家の真藤順丈さんが日帰りで沖縄で講演のために来ていて、近くの喫茶店に講談社の大久保杏子さんといるというので森本さんと行った。いきなりのぼくの登場に彼は驚いていたが、いろいろと情報交換。そういえば、『宝島』の影響なのか、沖縄を舞台に書かれていた小説の中には連載をやめてしまったのもある。『宝島』の小説としての力をあらためてすごさを思う。

そのあとはいつもの「串豚」にいき、「おとん」の池田哲也さんと、「おとん」の常連客の島村学さんと合流。店主が客に怒るときはどういうときか、と、いわば酒場のルールみたいなものについてあれこれ話して楽しい。最近、酒を少しだけ飲むようになったのだけれど、前みたいにたくさん飲まなくても十分になった。

1月15日 上原正三さんが2日に亡くなった。書棚から上原さんが一昨年に出した『キジムナーkids』という自伝本(少年時代)を取り出してページをあらためてめくった。シナリオライターとして「ウルトラセブン」や「怪奇大作戦」を書いた人だった。享年82歳。沖縄出身でぼくは当時すぐに買って読んだ。子ども向けに戦争や差別問題を作品にこめ、ぼくは小学生時代に上原作品を見まくっていたわけで、無意識のうちに感性をかたちづくられていたと思うと感慨深いものがある。

モノレールで那覇空港へ。午前中の中部行きに搭乗。昼には名古屋に着いたので、ホテルのカフェでひたすら原稿を書く。昨夜は熟睡できなかったせいか、チェックインできる時間になったら部屋に入り、寝てしまった。

 

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