何事も身につくまで時間がかかる「ザ・潜伏期間」の大切さ(談慶の筋トレ道)

(撮影:齋藤大輔)

新型肺炎が流行ってきています。いやはや水際対策だの、感染者の隔離などいろんな情報が飛び交っていますが、そんな中で「潜伏期間」という言葉がキーワードとして挙がってきています。

これは「病気が発症するまでの密やかな期間」という意味で、じわじわと体の内部で病原菌が進行してゆく様子がその4文字に凝縮されているような気がしますが、我々談志の弟子たちは、この言葉を全く別の意味で教わってきていました。

「ひょっとして談志は俺を呼んでいる?」自分を買いかぶったあの頃

あれは今から29年前。入門したばかりの頃でした。

いきなり歌舞音曲の必要性を説き始めた談志でありました。

「落語家は、踊れなきゃ、唄えなきゃだめだ」。

それまでは「古典落語50席覚えれば二つ目、100席覚えれば真打ちにしてやる」と談志は宣言していました。独演会のマクラでもそのように実際言っていましたし、何より、談志が立川流創設から2年後に書いた『現代落語論パート2』にはきちんと文字として記されていました。

あの頃、大学の落研で落語をやり始めだった自分にはそれは罪な本でした。またサブタイトルの「あなたも落語家になれる」という一文が魅惑的で、「ひょっとして、立川談志は俺を呼んでいるのかもな」とさえ買いかぶったものでした。

「なんだ古典落語50席なら、簡単だ。入門する前に30席覚えておけば、入門後1年間で月2席ずつ覚えればいいんだ。残り20席なんか楽勝だ」。

今思うとほんと浅はかでした。ま、落語家になろうという気持ち自体が浅はかなものなのかもしれません。そういう浅はかさというか軽さがないと、とても飛び込めるような世界ではありませんもの。

あの頃は、「前座修行は無駄だ」という認識しかなかったかのように思います。「修行期間が短い=若くして売れる」みたいな図式に完全に囚われていました。大学卒業後3年間ワコールに入社しての25歳での入門は、令和の今でこそ40過ぎの落語家志望者が門を叩くのが当たり前にはなりましたが、平成3年当時はやはり珍しがられたものでした。そんな年齢的なハンディキャップをクリアするには、前座修行を短くするしかないと痛切に考えていたのです。

またその頃は、志の輔師匠がブレークしていた時期でした。28歳で入門し1年で二つ目、その後数年弱で真打ち昇進という華々しい出世がとてもまぶしく見えてたものです。

そんな志の輔師匠との彼我の差を考慮することなく、「じゃあ俺も、目指そう」みたいな甘い考えしかないまんま談志の門を叩いた私でありました。

師匠が語った「潜伏期間」その意味とは

談志は「俺は人を見る目だけはあるからな」といつも自負していました。

天才から見たら、当時の自分の人工甘味料のような甘い考えなんてお見通しだったのでしょう。

そしてさらに、後年から晩年に至る際に主張し続けることになった「江戸の風」の萌芽を自らの体内にも感じとってもいたのでしょう。私の入門直後から「落語家は唄えないとだめだ」「寄席の踊りができないと!」と古典落語50席に新たにその基準を付加させようと座標軸を大きく転換させようとしていたのでした。

回りくどくなりましたが、そんな折、談志はこの「潜伏期間」という言葉を用い始めたのです。

つまり平たく言うと「歌や踊りなどの芸事は、身に付くまでに時間がかかる。すぐに表には出てこない。だからと言って、何もしないでいると、何もしないという歴史が加わるだけだ。病気の潜伏期間と全く同じだ。病気だって大丈夫だなと思っているうちにその間に密かに病は進行し、表に出てきた時には『時すでに遅し』ってなってしまう」という意味なのです。

要するに「いきなりうまくなんてなるわけないのだから、今のうちからコツコツ踊りや唄の稽古を積み重ねておけ」ということだったのです。

さすが天才らしい、鮮やかな論理です。今落ち着いて振り返れば、芸の習得に関して医学用語まで用いだす類まれな感性にときめくばかりなのですが、当時はそんな深い意味では捉えてなどいませんでした。「また小難しい理屈が始まったなあ」などというような認識しか正直ありませんでした(ほんとバカです)。こんな危機意識の低さこそが、私が前座修行を9年半もやることになってしまった要因でもありました。振り返ってみてあとからしみじみ気づいたものです。

サボる日が続くとデブへの「潜伏期間」になる

さて、話はいきなり筋トレへと飛びます。

筋トレこそ「潜伏期間論理」で成り立つスポーツなのかもしれません。

談志の理屈をあてはめてみます。

「すぐに結果が出てこない世界の象徴が筋トレである。実際どんなハードなトレーニングを施したにしても1回でつく筋量はたった7グラムと言われている。明らかな筋肥大という『表に出て来る』ようになるまでには信じられないほどの長い時間が必要となる。だからと言って何もしないと、やはり何もしなかったという歴史がそこに刻まれるだけだ。人はいきなりマッチョのなるわけでもいきなりデブになるわけでもないのだ」。

談志は筋トレとは無縁でしたが、その理論を代入してみると、恐ろしいほどまでに核心を突くような感じになります。

「ああ、今日はスクワットと有酸素運動か。めんどうくさいなあ」と思って、サボる日が続くと、それがデブへの潜伏期間になるのです。

「つらいけど、我慢して今日も頑張るか」と意識を切り替えて取り組むとそれはマッチョへの潜伏期間になるのです。

要するに「表に出てきた結果」とはすべて自分の積み重ねなのです。それが筋トレなのです!

これは、何も筋トレばかりではありません。表に出て来るものを「目標」として置き換えてみると仕事も含めたすべてにつながります。仕事も、筋トレも、芸事も、一朝一夕に結果として表出してくるのではないのですから。

こうして考えてみると、談志から教わった「潜伏期間論理」は、真理のようにすら思えてきますよね。おそらく若き日の談志は、自ら構築したこの論理を実践し続けてその地位を得たのでしょう。やはり天才は天才的に努力家だったのです。

新型肺炎に対してケアすることももちろん大事ですが、こういう具合に改めて「潜伏期間」という発想をあらゆる場面に用いてみてはいかがでしょうか?

すべてに通用する万能論理だと確信します。デブになるのもマッチョになるのもビジネスで失敗するのもうまくいくのも、すべてあなた次第なのです!

 

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