屋久島に、なくなった本屋の主人を訪ねる(離島の本屋ひとり旅・8)

ウミガメ産卵地の永田浜にて。空はどんよりしていても、海の青さは伝わってくる

【連載】離島の本屋ひとり旅

2006年に創刊された『LOVE書店!』というフリーペーパー誌上で、『離島の本屋』という連載を15年続けていることは以前にも書いた。

2019年に発行された25号で向かったのは屋久島だった。きっかけは1938年に東京に生まれ、77年に屋久島に移住した詩人の山尾三省の『火を焚きなさい』(野草社)という本を手にしたことだった。山尾が描く素朴で豊饒な風景に惹かれ、屋久島の『書泉フローラ』という本屋を訪問したのだ。店主の川崎幹雄さんは本を売るかたわら果物や野菜栽培、養蜂までを手掛けていて、そのせいか店の前にはとれたて野菜や、屋久杉のお土産ものが並んでいた。

店頭に野菜も置かれていた書泉フローラ(2018年12月撮影)

取材当時、川崎さんは屋久島の南方新社など、ご当地出版社による本で気になるものがあれば直接注文していて、「ピタっとハマって売れると気持ちがいい」と語っていた。その姿から、本を売ることに矜持を持っていることがよくわかった。

しかし訪ねてから7カ月後の2019年7月、書泉フローラは閉店してしまった。私はそのことをSNSの友人の投稿から知り、すぐに川崎さんに連絡をした。すると取材当時も語っていた「店を開いてからずっと苦しい」売り上げがここ数年さらに落ち込んでいること、さらに妻の君子さんの体調が思わしくないことから、閉店を決めたと語った。

「また会いに行かせてください」

そう伝えてから約4カ月経った2019年12月、私は再び屋久島を目指した。

福岡から屋久島に向かう機内から、鹿児島の開聞岳がよく見えた

1年前に訪ねた時は雨がザカザカ降っていたが、この日は曇り。空港に到着すると民宿の主人が迎えてくれていた。出身は千葉でもうすぐ孫が生まれる、といった話をしているうちに宿に到着。荷物を置いて川崎さんに連絡をすると、民宿の前まで来てくれた。以前は店に行けば良かったけれど、今は訪ねる場所がないからだ。

川崎幹夫さん。自宅敷地内のポンカンの木の前で

お茶でも飲みながら話そうとしたが、喫茶を掲げている場所はどこもクローズしていた。ランチはやっていても、アイドルタイムは客数が読めないから閉めてしまう店が多いそうだ。

「旅行客に『屋久島はコーヒーが飲めるところがないですよね』と言われるんですよ」と、川崎さんは少し笑った。結局、ご自宅にお邪魔することになってしまった。

幹夫さんと君子さん

「40年やっていたけれど、あっという間でしたね」

グアバやいちじく、グレープフルーツなどを挟んで、幹雄さんと妻の君子さんと向かい合った。目がフルーツ(好物)にくぎ付けになってしまったことを川崎さんご夫妻にさとられないよう、冷静に上品に口に運ぶ。

若者のフルーツ離れが嘆かれる昨今だが、若者ではないのでフルーツは大歓迎である

「閉店するときは驚かれましたけど、2019年の1月ぐらいから島内にアナウンスしていたので、在庫処分に困ることはありませんでした。返品できなかった本はないし、本棚も貰い手がついて。もう支払いのことを考えなくていいから、肩の荷が下りて楽になりました。役割を終えました」

現在屋久島内には1軒書店が残っているものの、多くの島民がネットで注文をしているのが現状だと語った。
「店を閉める時に『またひとつ、島の文化の火が消えた』と言っていた人もいましたが、買う方は便利さを求めてしまいますよね。本屋は本という1つの商品で業種が成り立つ商売だったけれど、今はそういう店はなくなりましたよね。その最後が本屋だったのかもしれない」(幹雄さん)

「時代の流れとしては仕方ないけれど、しばらく経ったら書店の良さが見直されるようになるのかな」(君子さん)

幹雄さんは現在「やくすぎ屋」という屋久杉グッズの店で働いていて、君子さんは「体調は元に戻っていないけれど、認知症防止のためにあちこち飛び回っています」という。ご夫妻の「肩の荷が下りた」という言葉に含まれているものの重さを感じ、容易に返答ができなくなった。そこで来る時に気になっていた、庭にあった「あるもの」の話をした。「あるもの」とは、本屋の店頭に置いてある雑誌用の什器。それが庭に転がっていたのだ。聞けば燃料の薪からシロアリをよけるための、置台の支えとして使っているそうだ。

マガジンスタンドをリサイクルしている、ワイルドかつ環境にやさしい薪置き

「昔はお風呂も、五右衛門風呂だったんですけどね」

広い庭には養蜂用の巣箱やポンカンの木、金魚が棲む池などがしつらえてある。そして家はかなりの高床式になっているが、これは屋久島ではシロアリ防止、風通し、物置きとして、めずらしいものではないと教えてくれた。

民宿の夕飯でいただいた、トビウオの唐揚げ。パリパリしていて大変美味

翌日もまた、川崎さんにお会いした。屋久島訪問のきっかけになった『火を焚きなさい』を書いた山尾三省の家と書斎の『愚角庵』に行きたいと、図々しくもリクエストしていたのだ。

再び宮之浦という地区にある民宿前で待ち合わせて、車を走らせること約40分。一湊白川という山あいの集落に向かううちに、スマホの電波がどんどん薄くなり、しまいには「圏外」に変わった。

こんな景色が、屋久島ではあちこちで見られる

圏外になっておよそ5分。どことなく幻想的な景色の向こうに愚角庵はあった。出迎えてくれたのは山尾三省の弟さんの、明彦さんご夫妻だ。かつて横須賀でライブハウスを経営していた明彦さんだが、今は愚角庵の管理などをしている。兄の詩集が出版されると書泉フローラに直接届けに行っていたのも、明彦さんだ。

突然お伺いしたにも関わらずお時間をくださった山尾明彦さん

「フローラがなくなって、寂しいね」

明彦さんはそう語りながら、愚角庵に明かりを灯してくれた。部屋には眼下を流れる川の音がごうごうと響き、時が止まっていないことを感じさせる。そんな中で散らかった机の上を眺めていたら、山尾三省がいるのではないかという錯覚にとらわれてしまった。

今もスマホの電波が薄い場所だが、明彦さんの子どもが学生の頃は道に電灯も少なく、下校が怖い程だったという。不便な場所だからこそ、豊かで美しい言葉が生まれるものなのか。尋ねてみたかったけれど、残念ながら主人はもうこの世にいない。

山尾三省が今も座って詩作をしているのではないかと感じてしまう愚角庵にて

明彦さんご夫婦に別れを告げて、永田というウミガメの産卵地を見学したのち、フェリー乗り場に向かう。永田の集落で出会った川崎さんの知人の大牟田幸久さんから、収穫したばかりのポンカンをいただいてしまった。大牟田さんはウミガメ保護監視員もしていて、40年前から何度か屋久島に産卵のために上陸してきた、ジェーンというウミガメを保護、観察し続けてきたと語った。

大牟田幸久さん。大牟田さんとウミガメについては『ジェーン 屋久島、伝説のアオウミガメ』(南方新社)という本に詳しく書かれている

本屋に寄るだけで精いっぱいで、あまり島の人と話す時間を持てないまま戻ってくることばかりだった。しかし今回は、川崎さんのおかげであちこちで出会いに恵まれた。

本屋はなくなってしまったけれど、店主が繋いでくれた縁はこれからもきっとなくならないはず。私は川崎さんと別れた後、「またね」と言い残して島を離れた。

宮之浦港近くの「ヒトメクリ」というカフェでランチにカレーをいただく

 

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