コザまでひとりバスに乗って~沖縄・東京二拠点日記44

沖縄の街中で見かけた猫

満足できる沖縄の新しい飲食店

1月27日 普久原朝充君と深谷慎平君と連れだって、松川英樹さんが共同経営者として去年オープンした居酒屋「末廣ブルース」へ。松川さんのことはぼくもさんざん取り上げている沖縄の飲食業界の風雲児だが、改築中の牧志公設市場の斜め前にあたる場所に1950年から営業してきた「末廣製菓」が移転するため、物件が貸し出しに出ていていて、その三叉路の角という超好立地と建築物に魅了され、居酒屋をやろうと思いついたというのだ。

末廣ブルース

街が人を呼ぶ。建築が味を招く。そうやって街は脱皮していくのだ。彼が最初に栄町にオープンした豚モツの「アラコヤ」も古い雑居ビルの1階部分をリノベしたものだし、2軒目の「トミヤランドリー」も3軒目に出したおでん「べべべ」も古いスナックをリノベした。

それらも、沖縄でもどこでもない異空間に仕上がっているのだが、同時にまぎれもなく沖縄の歴史を感じさせる空間デザインのセンスなのだ。「末廣ブルース」の内装はそのあたりをもっと強調したかったと松川さんは言っていたが、上海フランス租界の世界だと思った。

末廣ブルースの松川英樹さん

広々とした立ち飲みをメインにした巨大カウンターが横たわる内装。『琉球新報』に公設市場界隈の店や人模様を連載している橋本倫史さんの「まちぐゎーひと巡り」にも紹介されていた。

新メニューにも驚いた。「アラコヤ」を踏襲しているのだけど、たとえば「豚ハツに生牡蠣の青唐タルタル」には刮目。「前から相性ばっちりだと思ってたんですよ」と松川さんは自信まんまんである。じつに美味しい。豚の腸をスパイシーな味付けにした「エキゾチック中身イリチー」も、こんな供し方があったのかと唸らされる。彼の故郷の味付けだという「まぐろ刺身宮古島スタイル」もいい。

いろいろ盛り合わせを出してもらったが、「今回は沖縄っぽくしてみましたよ」と言っていた以上の味があった。伝統の食をアレンジする変化球ぶりが抜群にセンスがいい。

末廣ブルースのメニュー。5種盛りがお得

深谷君が近くに和牛のセンベロ店が夜からしか空いてないので気になっていた、と言うので行ってみることにした。同じアーケードの商店街のビルの2階に「DENNY'S」はあって、ちょうどマスターの安里正人さんがチラシを配っていた。

ステーキの老舗「88」で働いていた彼の供する肉は和牛を薄くスライスしたものを炒めた野菜にのせたもので、ドリンク3杯がついて1000円。じゅうぶんにお得感がある。で、特別に2巡目の1000円で、1人2貫の和牛握りプラス3杯。そしてアグーのロース肉を単品で2回追加した。どれもじつに満足できる。有名店で喰うと、この満足感を得るには1人1万円はかかるだろう。栄町まで散歩して「りゅうぼう」で島豆腐を買い込んで帰宅した。

鉄板焼&居食屋 DENNY’S

玉城デニー知事にインタビュー

1月28日 名刺を切らしていることに気づき、午前中、栄町へ名刺を作りに行った。刷り上げまで「チルアウト」でガパオライスを喰う。オーナーのパートナーがいたのでゆんたく。で、近くの喫茶店をはしごして読書。そして名刺を受け取り、県庁へ。玉城デニー知事と待ち合わせた。

チルアウトのガパオライス

たっぷり2時間ほどインタビューしたあとは、栄町の「二階の中華」でドキュメンタリー監督の松林要樹さんと久々に会う。松林さんとよく仕事をしている深谷慎平君も合流して「アルコリスタ」へ移動。

松林さんが制作した「語られなかった強制退去事件」 (NHK・BS1スペシャル)が去年12月に放送されたばかり。第2次世界大戦中、日系移民6000人以上がブラジル政府の命令で強制移住させられた。その出来事は歴史の中に埋もれようとしていたが、松林さんは丹念に掘り返した。彼のライフワークともいえる沖縄からのブラジル移民の物語。実に大事な仕事に感服する。

ドキュメンタリー監督の松林要樹さん

「インド屋」の手作りカレー

1月29日 沖縄ではほとんどバスに乗ったことがない。レンタカーか、友人のクルマに乗っけてもらうか。今回はコザまでバスに乗って行ってみることにした。歩いて数分の距離に複数の安里バス停があり、コザに行けることは知っていたので、1時間以上揺られて胡屋十字路へ。

早く着きすぎたので手作り絶品ソーセージですっかり有名になったゲート通りの「TESIO(テシオ)」に顔を出して、若き創業者でオーナーの嶺井大地さんと久しぶりに挨拶。ぼくの脳卒中の病後と、店の空きスペースで何かイベントができないだろうかと相談。コザのソーセージ屋でトークイベントをやるってなんか粋だねと盛り上がり、企てにのってくれそうな人を当たってみることにした。

その後とは一番街からパルミラ通りなどをぶらぶら散策。で、中央パークアベニューへ。もう古くからある店は数軒しかないが、そのうちの「インド屋」へ。オープンは1986年。主のビクターさんがゲート通りのテーラーを出しているインド系の人たちとヒンディー語で話していた。

インド系の人たちは、米軍基地で通訳として働いていた人が多い。ぼくもゲート通りにある「ボンベイ・テーラー」という店でスーツを仕立てたことがある。ここはズートルックというかつてアフリカ系アメリカ人らが1940年代に流行らせた丈の長いスーツを仕立てることで有名な店だ。

「インド屋」では数年前からインド雑貨の他にビクターさん手作りのカレーも出しているので、食べることにした。サービスでチャイも出してくれた。レジの後ろに飾ってある手彫りの仏たちはビクターさんの神奈川県川崎市出身の妻の弟さん(故人)が彫ったものだ。「この店はぼくが死ぬまでやるよ」と笑っていた。ぼくはガネーシャ柄のハンカチを買って市役所を目指した。

インド屋のカレー

バスに揺られながら

市役所のすぐ近くに「嘉手納基地爆音訴訟団」の事務所があり、元市長・元県議会議員の新川秀清さんとお目にかかった。86歳とは思えぬかくしゃくとしたたたずまいで、「また会おう」と言われて胡屋十字路まで歩き、バスに乗った。

乗客はぼくひとりしかいないバスに揺られながら、昔『週刊ポスト』の記者として半契約みたいな形で働いていたとき、横田の米軍の騒音に対する損害賠償訟の原告の方の家に泊めてもらい、ごくわずかな時間でも米軍の飛行機のエンジン音を体験する取材したことを思い出していた。爆音と騒音。この違いはとてつもなく大きいし、爆音と騒音という言葉の意味合いの違いに敏感でいたい自分でありたいと思う。

バスがイオン・ライカム沖縄に停車して人が降りたので、発作的にぼくも降りた。やたらだだっぴろい店内をひやかしてくまなく歩きまわりたいという思いになぜかかられたのだ。まっすぐ那覇に帰りたくないなとも思った。歩きまわって眼鏡なんかをかけてみたりして、結局疲れてしまい、どこにでもある回転寿司で寿司をつまみ、インドのお香を買ってまたバスに乗った。

夜のバスに揺られる

 

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