「離島の本屋」の遺伝子を探しに、栃木県益子町へ(離島の本屋ひとり旅・9)

奥の灯油窯で陶器は800℃で素焼きされ釉薬をかけられ、約1250℃の本焼きを経て形になる

【連載】離島の本屋ひとり旅

私が子どもの頃、実家は純喫茶を経営していた。祖父の代からあったその店には、ふかふかの絨毯に当時としては高級なソファがしつらえてあり、クラシック音楽が響いていた。しかし私が小学生になる頃には店を閉め、両親は違う事業に本腰を入れ始めた。私もきょうだいも皆、店を継ぐつもりはなかった。だから私が独立する頃には完全に商売をやめた。

本屋を継がないという人生

自分は違う仕事をすると思っていたのに、なぜか取材で本屋さんを訪れるたび、後継者について質問してきた。

よく考えたら本屋を継がない人生だって、あって当たり前なのだ。たとえば前回訪れた、屋久島にあった書泉フローラの川崎幹雄さん・君子さんご夫妻の娘は、栃木県益子町で陶芸作家をしている。その川崎萌さんに、会ってみたいと思った。自分を棚にあげておきながら、本屋を継がなかった理由が少しだけ気になったからだ。

ただ益子は電車でのアクセスが厳しく、ペーパードライバーのひとり旅にはハードルが高い。ゆえにこれまでも、行く機会を持てないままだった。そこで今回は、秋葉原駅からの「関東焼き物ライナー」という、茨城県笠間市を経由して益子に行く高速バスで目指すことにした。

萌さんと夫の栗谷昌克さんは陶芸作家として、互いに作品を作り続けている。住まいは工房も兼ねていて、2人はここで日々、土と火と向き合っているのだ。

萌さんは、高校卒業後に鹿児島の大学に進学するものの、3年生の時に中退している。在学中に陶芸教室に通い始め、かけもちするうちに物足りなくなったことが理由だ。中退後は鹿児島市窯業所に入所し、修行をスタートさせたと教えてくれた。

「卒業したら何をするのかと、大学生の時はずっと悩んでいました。でもある時、鹿児島の北埠頭の広場でのフリーマーケットにマグカップを出品したら、売れたんです。その頃から「陶芸で暮らしていきたい」と思うようになりました。それで窯業所に入ってみたらとても厳しくて。半年ぐらいは菊練り(土の気泡を抜くための練り方)を、次の半年はタタラ作り(板状に粘土を伸ばすこと)と手びねり修行をしていました」

「1日中作業していても飽きない。死ぬまで陶芸を続けていきたい」と語る、川崎萌さん。オフィシャルサイトhttps://kawasaki-moe.info/

益子への移住と独立

雑誌で益子焼のことを知り、3年間の修行後に益子を訪れた。ある窯元で「従業員募集」の張り紙を目にして、すぐに益子移住を決めたそうだ。1人旅どころか、1人移住である。

約5年間、益子焼窯元で修行兼仕事を続けたが、2005年に独立し、30歳で自分の作品を作り始めた。ちなみに夫の栗谷さんも、先に独立した同じ窯元の仲間だった。

「2人で棚や細工場(さいくば)を作ったり、お風呂のタイルを貼ったりして始めました。屋久島でも両親は自分の畑で野菜や果物を育てたりと、半分自給自足のような生活をしていましたから」

萌さんの作品には雫や葉、花びらのように見えるモチーフが使われている。これはサイズ違いの、印を押す技法で作っている。そのほかにも手描きのドット模様など、連続するパターンが特徴だ。

ひとつひとつドットを描いている「まるいもよう」シリーズのお皿は3300円。奥の益子の原土を使って制作した、焼き締めのカップは大7000円、小5000円

「同じ模様をつなげていくことや、ひとつの作業に没頭するのが好きで。アイデアが浮かんでくるのでそれを手作業で作っているうちに、色々なものができあがってしまうんです」

萌さんが手で成形し、中をくりぬいて形を作っているボウル。3000円

萌さんには弟がいて、彼も現在は屋久島には住んでいないそうだ。萌さんは工房で制作に没頭している方が性に合っているからと、本屋を継ぐことは考えていなかった。一方の弟は「屋久島で漁師になろうかな」と言っていたこともあるそうだ。

「でも弟も『やっぱり本屋は厳しいかな』と言っていました。島内にも、本好きなお客さんはいました。でも雑誌やマンガはスーパー内のブックコーナーで買われる方も多かったし、子育てしていると本を買いに出るのは難しいと思います」

こちらは栗谷さんが、自分の作品とは別に立ち上げた益子焼ブランド「ubusuna」のマグネット。1つ400円。柿釉や糠青磁など、益子焼の代表的な釉薬によって彩られている

本屋がなくなってもつながっていくもの

萌さんと栗谷さんの子どもは現在3歳で、元気いっぱいのお年頃だ。益子から屋久島に行くにはまず羽田空港に出るというひと仕事もあるゆえ、萌さんは1年以上帰省していない。もはや「ふるさとかなた」なのだろうか?

「これ、実家のポンカンの木を枝打ち(枯れ枝などを切って手入れをすること)して庭で燃やした灰を、約70%調合した釉薬で作ったんです」

差し出されたデザートボウルはまさに益子と、屋久島の遺伝子を受け継いだものだった。萌さんの実家の庭には確かに、枝を燃やすためのドラム缶が置かれていた。島で私が見ていたものがこうして、別の場所で別の形に生まれ変わっていたとは。本屋がなくなっても家族が離れた場所に行っても、つながりがなくならない限りは形を変えて、新しいものとして蘇ることができるようだ。

益子の土を使い、釉薬にポンカンの木の灰を約70%配合したデザートボウル。2500円
屋久島の川崎幹雄さん宅の、ポンカンの木

作家達の横のつながり

益子焼は人間国宝の、濱田庄司が発展を尽くした。現在作り手(窯元・作家)は、約400軒あるそうだ。それぞれ作風が違う益子焼作家の共通点は、益子で作っているということのみのように思える。

しかし作家たちは、ただバラバラに存在しているのではない。たとえば2011年の震災で倒壊した濱田庄司記念益子参考館の登り窯を復活させ、有志の作品を持ち寄り焼き上げた「登り窯復活プロジェクト」には、益子焼だけでなく笠間焼作家も参加した ことがある。横のつながりも、存在しているのだ。

濱田参考館に遺されている、濱田庄司の住まい

他県からの移住者や、若手作家がいるのも特徴だ。萌さん夫婦の作家仲間のひとり岩下宗晶さんは今年33歳だが、代々続く窯元の6代目にあたり、益子らしさを取り入れた作品を手掛けている。さまざまな属性を持つ人が自由に発想している。それが益子焼と言えるのかもしれない。

岩下さんの作品を販売する「古窯いわした」にも関東最大と言われる登り窯が展示保存されており、無料で見学できる。古窯いわした では陶芸教室も行っているので、益子詣での際はぜひ

益子駅前にレンタサイクルがあるので、高速バスでひとりでも行っても移動に困ることはおそらくないだろう。離島でも本屋でもないけれど、離島の本屋の遺伝子を確かに受け継ぐこの町にまたいつか訪れて、自転車で窯元巡りをしたいと思っている。

道の駅ましこには、地元の子どもたちによる吊るし雛と、雛人形が飾られていた
萌さんの作品は2020年2月26日から3月3日まで、丸善日本橋3Fにて開催されている「丸善・益子焼の世界」で栗谷さん、岩下さんの作品とともに展示販売されている

 

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