寮での経験が自分の強みに 元寮生の朝日新聞記者〜私と東大駒場寮(第6回)

宮崎さんが暮らしていた東大駒場寮の部屋

東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。私は、2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集を再制作するにあたり、写真の使用許可を得るため、過去に取材した元寮生を探している。今回は、当時部屋の写真を撮らせてくれた元寮生のひとりで、現在は朝日新聞の記者である宮崎亮(みやざき・りょう)さんを訪ねた。

宮崎亮さん

いまは社会部記者だが「社会問題に対して、意識が高くはなかった」

――いまはどんな仕事をしているんですか。

宮崎:朝日新聞社の東京社会部の記者です。 文部科学省の担当がメインの仕事なのですが、子どもや若い人の現場取材がいまも好きで、続けています。12年間過ごした関西でも学校とか若い人がいる場所に入り浸っていました。

大阪の堺市にある、作文教育に力を入れている安井小っていう公立小学校を1年間取材して、新聞の連載と本にしました。(『こころの作文~綴り、読み合い、育ち合う子どもたち~』かもがわ出版/勝村謙司さんとの共著)ここは、毎月自由題で作文を書かせるんです。特徴的なのは、友達の作文を題材に授業をやるということ。2~3人の作文を前に貼り出して、みんなで感想を言ったり、議論をしたり。これを全校あげて、もう15年くらい続けてる学校を見つけまして。子どもが自分の気持ちを見つめて作文を書き、それをクラスメートや先生たちが一生懸命読んで、気持ちを想像する。「生活綴方」って言うんですけど、分断や排除とかいう言葉が目立つ、いまの時代だからこそ大切な教育だと思って書き続けてます。

――なぜ新聞記者になろうと思ったんですか?

宮崎:もともと文章を書くのが好きでした。1年目から確実に「書ける」仕事って、新聞記者しかなかった。野球や相撲がすごく好きなので、新聞のスポーツ面は食い入るように読んでいたけど、社会問題に対しては、意識が高くはなかったです。

駒場寮にあった宮崎さんの部屋
宮崎さんの部屋の間取り図(2001年作成の写真&インタビュー集より)

「不法占拠者」という単語を見た瞬間に「面白そうだな」と思った

――改めて、駒場寮に入った理由や経緯などを教えてください。

宮崎:大学に入学してすぐ、オリエンテーションがあって、いろんなチラシをもらった中に、駒場寮についてのチラシがあって。「大学が認めてない寮である」という趣旨のことが書いてありました。

はっきり覚えてる単語があって……「不法占拠者」って書いてあったのを覚えてるんですよ。それを見た瞬間に、面白そうだなと思って。寮生に「実際、寮ってどういうところなんですか?」って聞きに行きました。

当時は、大学と寮生が裁判で係争中で、「出て行ってほしい」とは確かに言われてるけど、出て行かないといけない法的な理由はなかったはず。「不法占拠者」っていうのは、大学側が勝手に言ってるだけだったということがわかって。「寮をつぶす強制執行を差し止めてくれ」っていう裁判を起こしていて、まだ結果が出ていないんだから、出なきゃいけない道理はない、って思ったんですよね。

宮崎さんの部屋の壁に描かれていた絵「友達の彼女が描きました」

――宮崎さんは、いわゆる寮運動(駒場寮存続運動)にも参加していたんですよね?

宮崎:寮運動って、すごく真面目に取り組んでる寮生たちがいる一方で、友達を呼んできて酒飲んだり麻雀したりという寮生もいて、僕も明らかに後者だったんですよ。もともと、裁判関係の資料とか難しい資料をコツコツ読み込んだりするのが苦手なタイプで。でも人付き合いは好きで……。

ただ、寮運動をしていなかったわけではなく、ビラ配りとか、授業の前に「先生ちょっと5分だけください」って喋るやつがあったんですね。それを「クラス入り」と言うんですけど。当時、そこで自己紹介もあまりせず、いきなり「我々は、このようなことを主張しています!」みたいなことを言っちゃう寮生も、中にはいたりして。

学生の支持を得ないと戦えないのに、これは良くないな〜と思って。僕は自分のキャラを考えると、一般学生にシンパを増やすほうが向いてるなと思ったんです。「クラス入り」でも、あえて、所属していた軟式野球部のユニフォームで行ったりとかして。僕は別に怪しいものじゃないですと。というか、学内にあるんで便利ですよっていうのと、あとは経済的に厳しい学生でも入れるとか、そういう自分で理解できる範囲の意義はちゃんと言うようにして。

あと、僕は、まったく寮運動のことを知らないのに、入学してすぐに、いきなりそれを自分がさぞ知ってるかのように強く訴える活動をすることには、ちょっと抵抗があったんです。

駒場寮にあった宮崎さんの部屋(窓側)
宮崎さんと駒場寮の関わり 参考文献:『東大駒場寮物語』(松本博文/KADOKAWA)、『学内広報No.1230』(東京大学広報委員会)「駒場寮問題の完結と将来の駒場キャンパス」

僕が中2の時……オオスキさんはそのとき中3だと思うけど、オウムの事件があったじゃないですか。(筆者注:1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」のこと。当時存在した新興宗教団体「オウム真理教」によって、営業運転中の地下鉄車両内で、神経ガス「サリン」が散布された同時多発テロ事件。死者を含む多数の被害者が出た)

あの事件は、特に社会問題にさほど関心がなかった僕にとっても衝撃で……それから「集団」とか「組織」とか、そういうものに、疑いと同時に興味を持つようになったんです。

オウムって、閉じられた集団の中にいて、外との接点がなくなり、信仰がどんどん深まって、純度が高くなっていって、事件を起こしちゃう、みたいによく言われていましたよね。そういうのはひとつの見方だと思うし、当時の雰囲気として新興宗教とか、特定の思想集団に対して、疑う心をみんなが持っていたみたいな……。

――確かに、1980年前後生まれの我々の世代は、学生運動アレルギー、新興宗教アレルギー、っていうのは、みんな持っていると思いますね。

宮崎:どっかの集団の考え方とか、自分がよく知らないことに対して無批判に従うっていうことに、すごく抵抗があったんですよ。大学に入る時点で。だから「不法占拠者」っていう、断定的な物言いを大学がしてきたことに反応したんですね。

宮崎さんの1ヶ月の収支(2001年作成の写真&インタビュー集より)

駒場寮は「漂白されてないもの」だった

ーーいまは、駒場寮について、どう考えていますか? また、京都大学で明け渡しが問題になっている、東大駒場寮と同じ学生自治寮の「京大吉田寮」の現状についてはどう思われていますか?

宮崎:ああいう、寮内外、学内外の人がたまれる場所っていうのは、すごく意義があったと思う。20代の本当の最初の頃をあそこで過ごして、いろんな価値観に触れたし、いろんなものへの偏見みたいなものも、多分気づかずにどんどん落ちていったんだと思う 。

駒場寮って、本当にいろんな人たちと、会うだけじゃなくて、一緒に住んでるんですよ。

……先輩や留学生、あと何か謎に8年とか10年とか大学にいるような人や、特定の政治組織に属してる人もいたし……全体では少数だったけどね。そういう人は。

ものすごく濃い時間を過ごしたし、もともと好きだった「人と濃く付き合う」ということが、さらに助長されたというか……記者として、いろんな人だったり、集団だったりに飛び込んでいけるっていうのは、自分の強みかなと思っていて。

そういう所は寮の経験がプラスになっていると思います。

宮崎さんの部屋の壁に書かれていた落書き 「’69年2月10日」の日付が

――そういった、いろんなバックグラウンドがあって、多様性がある環境で、いきなり一緒に住む、濃く付き合うという経験をしたことで、いろんな人への抵抗がなくなったから、ある種の「別の集団」にも抵抗なく飛び込める。

宮崎:そうですね。

開沼博さんの『漂白される社会』(ダイヤモンド社)を読んだ時に、駒場寮のことを思い出したんです。「漂白されてないもの」だったんですよ、駒場寮は。汚いし臭いし、ごちゃごちゃだけど、人が生活してるし、いろんなものがあったと思うんです。でもなくなっちゃって、原っぱになっちゃった時に、あれって「漂白」だったなあと……。

吉田寮の現状については……いま問題になっている大学入試改革、この経済格差・地域格差の問題は、入試だけじゃない。「自治寮潰し」っていうのは、経済的・地域的に恵まれない人たちのチャンスを減らしてしまうこと。仮に大学に入っても、バイトばかりになって勉強できなくなってしまう。

僕はいま、演劇の取材もするんですけど、関西の演劇人にとって、「吉田寮食堂」というのは特別な場所なんですって。一定以上の世代はみんな知っているみたいな。舞台やアートを発信できる場所としても貴重だと思うから、吉田寮は本当に残ってほしいと思います。今ああいう場所、吉田寮から出てきた若い子が、会社に入ってくれたら面白いなと思います。

東京大学駒場キャンパス内、駒場寮跡地にあたる駒場コミュニケーションプラザ中庭。(写真左手奥)駒場寮の建物の一部が残されている。(写真手前)地面に埋め込まれた四角い照明は、駒場寮中寮の建物の柱の位置を示している。

 

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