「ブランドに頼りたくなかった」ヨーロッパ企画を飛び出した山脇唯さん〜ひとりでやる第3回〜

(撮影・萩原美寛)

俳優の山脇唯さんは、京都を拠点に活動する人気劇団「ヨーロッパ企画」に所属し、看板女優として活躍していましたが、32歳のとき、突如、劇団を辞め、上京。それ以降、事務所に属さず、ひとりで営業もマネージメントもこなしている、ひとりプロデュース女優です。なぜ、人気劇団を辞め、上京し、ひとりでやるという選択肢を選んだのでしょうか。じっくりお話を聞いてきました。

――まず、なんで劇団を離れてひとりでやろうと思ったんですか。

山脇:劇団を辞めたのは32歳になる年だったんですけど、所属していた劇団は、京都に拠点があって、「京都でやってほしい」と言われていたんです。京都は独特の文化とコミュニティがあって、東京よりも優れていると京都の人は思っているところもあって、私たちもそれを信じてやっていたんです。

でも、何度か東京に客演として行くことがあって、そのときに、層の厚さを実感したというか、同世代やちょっと下の世代の俳優さんを見て、この人たちがこのまま成長してきたら、ヤバイって焦っちゃったんですね。それで東京に行きたいという思いが凄く高まっていったんです。

(撮影・萩原美寛)

――でも「ヨーロッパ企画」というブランドを捨てるのには勇気がいったんじゃないですか。

山脇:ヨーロッパ企画や、京都というブランドに頼っている自分が好きじゃなくなっちゃったんです。このままじゃ、ブランドに頼ったしょぼい30代になっちゃうんじゃないかって。「『ヨーロッパ企画』の山脇さん」ということだと、仕事もいっぱいもらえるし、ちやほやされるけど、実力もたいしてないのに、そういうふうにされるのが、すごく嫌になって。

それで、上田誠さん(ヨーロッパ企画の主宰)や社長と本当に色々と話し合って、東京行きを決意しました。また、東京では、新しい演劇の潮流が来ていて、とても新鮮に感じたんですね。ヨーロッパ企画はコメディだったけど、東京ではポスト・パフォーマンス的なものが主流で。

――上京したら、東京の事務所や劇団に属そうとは思わなかったんですか。

山脇:2013年の5月に(ヨーロッパ企画を)辞めるというリリースを出したんですけど、誘われるんじゃないかと思ってたんですよ。知ってる事務所もあるし。でも全然誘われなくて(笑)。それで拗(す)ねちゃって。じゃあ自分でやってやろうじゃないのって。

「30代は自立する年齢だったんだろうなって思う」

――独立してからは、仕事は順調だったんですか。

山脇:ブランドに頼るのはダサいと思って東京に出てきたんですけど、ヨーロッパ企画の看板が助けてくれることが多かったです。ヨーロッパ企画時代に仕事をくれた制作会社の社長やディレクターが、ラジオCMありますよ、とかオーディションありますよ、とか仕事をくれたりしました。ヨーロッパ企画にいたことが、ありがたかったです。だから、これからも売れ続けてほしいし、威光が消えないでほしい(笑)。私が出ていた頃を見てた人たちが、それぞれの組織で決定権を持つようになってきて。なので、おかげさまで、最初から(仕事が)途切れることはなかったです。

(撮影・萩原美寛)

――ヨーロッパ企画にいたときと、ひとりになってからの違いって何ですか。

山脇:寂しい(笑)。ヨーロッパ企画にいた頃は大家族で暮らしていたようなもので、毎週会議があったり、予定が勝手に決まってたりもして煩わしい部分もあったけど、みんなでご飯を食べたり、ベタベタはしてないけど、楽しかった。今、芸人さんと一緒にやっていても、芸人さんは相方がいるから、コンビに帰っていく。そういうとき、すごく寂しさを感じます。

きっと、ひとりになったら大人にならないといけないんでしょうね。大家族にいたときは、子供なんですよ。ガスも電気も親が払っていたから気にしないでいれたけど、ひとりになったら全部自分でやらないといけない。門限も言われないし、何をしても自由だけど、守ってもらえない。20代で大家族を経験できてよかったです。20代でしかできないことだろうから。

30代はひとりで自立する年齢だったんだろうなって思います。もう大家族には戻りたいとは思わないし、戻れない。それは大人になってしまったからですね。

(撮影・萩原美寛)

 

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