乳がんの手術は延期。わたしが平成においてきたものは?(未婚のひとりと一匹と:17)

この写真は「平成においてきた」とき、一緒に撮影したもの

2019年の4月。日本は不思議な雰囲気に包まれていました。天皇の生前退位で5月から新しい年号になるのです。5月1日からは「令和」。この頃は「平成に○○を置いてくる」という言葉が流行っていました。

こんにちは。猫のくるみと人間のコヤナギユウです。都内でひとりと1匹暮らしをしています。わたしと猫の共通点は、メス・独身ということだけではありません。なんと2人して乳がんであることが分かりました。

わたしは「平成に乳がんを置いてくる」予定だったのですが、諸事情で手術が延期に。療養期間として予定を空けていたゴールデンウィークに、ぽっかりとヒマができました。

さて、平成になにを置いていきましょうか。

公園に置いていかれた猫(ブラックジョーク)

【連載】未婚のひとりと一匹と

いざというとき、母は強し

まずは実家のある新潟から、母が上京してきました。

母がうちへ来るのは2度目ですが、前回は上越新幹線が到着する東京駅のホームまで迎えに行きました。

わたしには年が9つ離れた兄がいるので、母は70歳を超えています。見た目には若く、新しいものも好きですが、目立つことと不慣れなことはあまり好きではありません(「新しいこと」と「不慣れなこと」の違いは本人にしかわかりません。ちなみに服装も派手な方なので目立つと思うのですが、それは大丈夫なようです)。

初めてひとりで上京してもらうときは渋っていたのですが、今回「わたしの入院準備の練習だと思って、ひとりでうちまで来てみてよ」と投げかけてみたところ、「わかった」と快諾。娘の有事には踏ん張りがきくものです。少し時間はかかったものの、迎えに行くこともなく、母はわたしの家まで来ることができました。

Googleマップを操れない母は、人に道を聞きながら来たと、ワケもないようにいい、いざというときの母は強し、と思いました。

また、もうひとつ懸念がありました。

母は猫が苦手なのです。くるみは同じ空間にいるだけならば、我関せずと肝の据わった猫ですので、相手が猫嫌いでもなにも問題ありませんが、世話をするとなると話は別でしょう。母の「慣らし上京」で、猫にも慣れて欲しかったのです。

でも、こちらも心配無用でした。わたしがTwitterで毎日猫の様子を投稿していたので、母にとってくるみはすでに「おなじみ」だったのです。やっとホンモノに会えた、といった感じで初対面で首をかいていました。

金髪とグリーンのツートンカラーの母。目立つのでは?

チキチキ! 乳がん触診当てクイズ

仕事関係の人に乳がんをどう話すかは慎重にしていましたが、友だち関係にはかなりオープンにしていました。

女性だけで集まる家飲み会なら、わたしは上半身を脱いで胸を露わにし「チキチキ! 乳がん触診当てクイズ〜!」とコールして友だちに胸を触らせていました。どうも貧乏性で、自分の身の上になにか起こったのならば、それをどうにか有効活用できないかと考えてしまうのです。乳腺症だと思っていたしこりが乳がんだと診断され、改めて自分で触ってみても分かりませんでした。

よく、乳がんの検診で「えくぼができる」とかいいますけど、それはがんができる場所によります。表層に近くなければくぼみません。また、女性は自分の胸に手を当ててみて欲しいのですが、乳首の近くって乳腺が集まって「芯」みたいになっていませんか? わたしの乳がんはほぼその位置だったのです。乳がんがある左胸と、乳がんがない右胸、普通に触っているだけではまったく違いがありません。

どうやって違いを知るかというと、かなり強く揉むのです。自分の乳ですら、そんなに強く揉んだら何か支障あるのでは、とためらいますよね。大丈夫。マンモグラフィーであんなに潰されても復活するのですから、女の細腕で乳を揉んでも無傷です。そのくらい強くむーっともんではじめて、「あ、左の“芯”は右より硬いかも」と思う程度です。

怖くないですか。わたしの乳がんはステージⅡですよ。リンパへの転移がないので「Ⅱ」で収まっていますけれど、大きさは3センチ近いのです。想像してみて下さい、3センチのスーパーボール。けっこう大きくないですか。そんな異物があるのに、それでも、自覚できないのです。

その事実を友だちに知ってもらおうと、よく両乳を出してもんでもらいました。正解率は0%です。みんな健診の重要性を実感しました。今でもいいことをしたと思っています。

猫の乳がんは毛に埋もれていて、わたしが触ってもわかりません

我々が平成に置いてきたもの

乳がんであることは周知の事実だったので、手術が伸びたことを気楽にグチっていました(前回からだいぶ消化できたので)。

すると、「じゃあ記念に今のおっぱいを写真に残そうよ」という提案がありました。時間ができたのもなにかの縁。中年のセミヌードなんてこんな機会がなければ撮らないでしょう。わたしは2つ返事で乗りました。

せっかくなので、誰か一緒に撮るかな、と誘ってみると3人の女たちが立候補。総勢5名でセミヌードを撮ることにしました。母も誘ってみましたが、さすがにヌードはNG。でも、一緒に撮影することにしました。

場所は鶯谷。ふだんは夜の嬢たちのプロフィール写真を撮影しているスタジオです。思い思いのヘアメイクを整えてもらい、女の裸を見慣れたカメラマンがシャッターを切ります。スタジオで撮影してもらったことは何度かあるのですが、パンツ一丁で撮ってもらうことは初めてです。しかも、女友達と、着衣した母と。

自意識と戦いがちな「撮影」という行為ですが、服を脱いでカメラの前に立つと、どうやら自意識さえも飛んでいくらしく、ただひたすらに笑い、ただひたすらに楽しい撮影になりました。

その日は奇しくも平成31年4月30日。平成最後の日です。

わたしたちはどうやら、平成に羞恥心を置いてきたようです。

スタジオのプロ用機材で撮影に挑戦する母

 

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