お酒を楽しみ、蕎麦で締めるオトナのたしなみ

『蕎麦 春風荘』の「せいろそば」

生まれも育ちも名古屋の私。あまり大きな声では言えないが、寿司や天ぷら、うなぎなど江戸前の食べ物に対して憧れを抱いている。とくに蕎麦。これまで幾度となく食べてきたし、取材もしてきた。しかし、蕎麦前でお酒を楽しみ、蕎麦で締めるという東京ナイズされたたしなみは、もっと大人になってからだと思っていた。私ももう50歳。そろそろ解禁してもよいだろう。

趣のある外観

ってことで、今回お邪魔したのは、名古屋市中区千代田にある「蕎麦 春風荘」。私がまだフードライターとして駆け出しの頃から何度も取材でお世話になっている、名古屋を代表する蕎麦店だ。場所はJR・地下鉄鶴舞駅から徒歩約10分。散歩するにはちょうどよい距離である。

店主の鈴木健之さん

店主の鈴木健之さんは、蕎麦のみならず食に対して造詣が深く、旨いものがあると聞くと、日本全国どこでも足を運ぶほど。彼の情念ともいうべき食への飽くなき探究心に私はいつも刺激を受けている。

また、彼の下で修業をしたお弟子さんの店も名古屋には何軒かあり、そこを取材するといつも「これからも末永く可愛がってやってください」と書かれた、心のこもった絵手紙が届く。そんな鈴木さんの姿勢に私も影響されて、少し前から撮影した写真をプリントしたポストカードにメッセージを添えたお礼状をお世話になった方に送っている。

センスのよいお猪口やぐい飲みが揃う

さて、まず注文したのは、日本酒。すべて料理の味をじゃましないように、淡麗辛口をそろえている。本醸造1種と吟醸2種、大吟醸1種の計4種。すべて新潟の地酒だ。その中から店員さんに飲みやすい銘柄を聞き、「〆張鶴」(1000円)を注文した。

お酒はすべて新潟の地酒

「お好みのものをお使いください」と、店員さんはお猪口とぐい飲みが入ったケースを持ってきてくれた。大きいぐい飲みだとグビグビと飲んでしまい、早く酔いが回りそうなので、その中から小さめの、シンプルなお猪口を選んだ。こういった心配りも嬉しい。

豪華なお通し。これだけで十分飲める

お酒を頼むと、「お通し」が出てくるのもここの特徴であり、楽しみのひとつ。ホタルイカやトリ貝、マグロなどの刺身や煮穴子、茹で海老などお酒に合いそうなものばかり。名古屋の喫茶店の豪華なモーニングと同様に、メインであるはずのお酒のほうが霞んでしまうほど(笑)。酒の肴はこれだけで十分のような気もするが、やはり蕎麦前も堪能したい。

熱々のだしと大根おろしでいただく「玉子焼き 煮おろし」

で、オーダーしたのは蕎麦前の定番、玉子焼き。ここでは、たっぷりの大根おろしが入った熱々の和風だしをかけた「煮おろし」と大根おろしを添えた「染おろし」の2種類(各600円)を用意している。

この日は寒かったこともあり、私が選んだのは「煮おろし」。玉子焼きはほんのりと甘く、辛口の酒とよく合う。それがわかるようになったのも大人になった証拠か。年をとるのは嫌だけど、日本酒とのペアリングの楽しさがわかるのは悪くない。

「鴨焼き」と日本酒のペアリングは最高

もう一つ、定番の「鴨焼き」(1500円)も頼んだ。これも日本酒とテッパンの組み合わせだが、火を入れすぎてかたくなってしまった鴨肉もこれまで幾度となく遭遇した。家で食べるのならともかく、プロの料理人でも失敗するほどなのでよほど火加減が難しいのだろう。

絶妙な火加減で仕上げてある

では、実食。うん、醤油ベースのたれで味付けがしてあり、実に香ばしい。気になる食感だが、しっとりとしてやわらかい! 牛肉のように噛むほどにしっかりとした味わいと繊細な脂が口全体に広がる。それをお酒で洗い流す。完全にリセットされて、また鴨肉を頬張り、お酒を飲む。もう、無限に飲み食いできる。たまらんっ!

今の時季しか味わえない「ずわい蟹のかき揚げ」

「ずわい蟹のかき揚げ」

蕎麦前は板わさや玉子焼きなどのさっぱりとしたものから順番に注文して、鴨焼き、天ぷらへと移行するのが蕎麦屋の作法だと思っている。天ぷらを注文しようと思ったら、
「是非、召し上がっていただきたいものがあるんです」と、鈴木さん。それがこの時季しか食べられない「ずわい蟹のかき揚げ」(2000円)。

サクサクの衣の中にずわい蟹の身がたっぷり

箸で割ると中には蟹の身がゴロゴロ。何でも、この一品を作るために、京都北部の京丹後、間人(たいざ)港で水揚げされる幻のブランド蟹、間人蟹をわざわざ食べに行ったという。

「私は蟹のことをまったく知らなかったんですよ」と、鈴木さんは謙遜するが、自分の舌で確かめた最高級の蟹が味の基準となっているので、店で出すものも一切妥協していないと思う。

塩が蟹の旨みを引き立てる

まずはシンプルに塩で食べてみた。しっとりとした食感とともに塩によって引き出された甘みがじんわりと広がる。この「ずわい蟹のかき揚げ」に限らず、ここの天ぷらの衣の軽い口当たりにはいつも驚かされる。衣のサクサク感もまた蟹身の美味しさを引き立てているのである。

天つゆで食べても旨い

次は天つゆでいただくことに。天つゆの味に負けるかと思いきや、逆にカニ身の存在感が光る。飲み込んだ後も衣に染みたつゆの旨みとカニ身の甘みがいつまでも口の中に残る。名残惜しいが、それをお酒でリセットする。う~ん、幸せという以外に適当なフレーズが見つからない。

すべては美味しい蕎麦を食べるために

見た目も美しい「せいろそば」

心地良く酔いが回ったところで、いよいよ〆の蕎麦。やはり、ここは「せいろ」(1枚700円)だろう。見ての通り、ビジュアルも美しい。酔っ払ってシャッターを切ったので見切れてしまったが、写真の奥にぼんやりと見えるのは、鮫皮にのったわさびと大根おろし、七味。さらに鈴木さんはごま油と塩も持ってきてくださった。

香りとのど越しのバランスが秀逸だ

さっそく、少量のごま油と塩をつけて食す。噛むごとにふわっと広がる蕎麦の香りとごま油の風味が一体となる。塩がそれぞれを繋げているというか、調和させていて、とにかくイイ仕事をしている。ほかにも大根おろしと七味の組み合わせやわさびだけ、塩だけで食べたりして蕎麦そのものの旨みを存分に堪能した。

やはり、蕎麦が主役

そして、つゆに浸していただく。奥行きのあるだしの味わいと蕎麦の味、香りがひとつになってスッと消えるものの、余韻までもが美味しい。お通しからはじまり、玉子焼き、鴨焼き、松葉ガニの天ぷらと蕎麦前を食べまくったが、それらは序章にすぎず、すべてはこの蕎麦を美味しく食べるためのものだったのだ!それだけ蕎麦のインパクトが強いのである。またひとつ、オトナの楽しみを知ることができた。鈴木さん、ありがとうございました!

 

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