「ひとりの部屋が当たり前」の時代に寮での暮らしを選んだ学生たち〜私と東大駒場寮(最終回)

駒場寮の窓から見えた景色

東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。私は、2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集の再制作と、『DANRO』でこの連載をするにあたって、寮生の部屋の写真の使用許可を得るため、過去に取材した元寮生を探し出し、話を聞いてきた。

今回は、私が記録した、駒場寮の最後の時期――2001年当時がどういう時代だったのか、私自身はどう思っていたか、今までの連載と合わせて振り返ってみたい。

駒場寮の屋上から1号館方面を望む

駒場寮の最後の時期とは、どういう時代だったのか

私と、当時の駒場寮生が生まれた世代――1980年前後に生まれた世代は、小学校高学年〜中学生の頃には、個室の子供部屋を与えられていることが多かったと思う。家に自分の部屋、「自分ひとりの空間」があるのが当たり前で、各自の部屋にテレビを持っている人も多く、子供のときから「ひとり時間」を楽しむ人が多かったように記憶している。

そしてその時代の子供は、大学生になったら、家族と離れてアパートやマンションで「ひとり暮らし」をすることに憧れていたように思う。私もそのひとりで、周りの人もみんなそうだったので、誰かと共同生活をしようという発想がなかった。

寮や学生会館等に入り、「共同生活」をするとしても、個室が当たり前だと思っていた。

また、「学生運動」というのは、はるか昔のことだと思っていた。

2001年、初めて駒場寮の寮生や、その暮らしを見たときの、私の正直な感想としては、「21世紀にこんな人達がいるとは……」というものだった。

駒場寮の屋上から見える景色

当時、寮生たちは、東京大学(当時は国立大学法人化していないので、国)から提訴されていた。その他、大学当局からのありとあらゆる形での「説得」を受けていた。電気もガスも止まっていた。私が取材した時点では、学生間でも、駒場寮の存続を支持していた人は少ないように感じていた。第1回でも書いたように、私の同級生である東大の学生も、駒場寮生に対して、あまり良い印象を持っていなかった。

しかし、そのような状況のなかで、この寮に住み続けるということは、当時私とほぼ同い年の、20歳そこそこの学生たちにとって、あまりにも厳しい状態であるように思えた。なぜ、そこまでして、わざわざここに住み続けるのか? というのが、私の根本的な疑問点であり、当時の取材の動機であった。

駒場寮の屋上

実際に、寮生に話を聞いてみると、「なぜ駒場寮に住むのか」という理由については、ひとりひとり違うものだった。経済的な問題を理由にする学生が多かったが(第2回の酒造さん第4回の西さん第5回の原田さんなど)、違う理由の人もいた(第3回の中川さん第6回の宮崎さんなど)。

東大駒場寮をはじめとする学生自治寮というのは、かつては「いわゆる学生運動」の象徴だった時代もあり、寮生たちがなにかひとつの集団であるように見えていた人もいるかもしれない。また、2001年当時は、駒場寮廃寮反対運動は、端から見たら、時代錯誤な「学生運動」(左翼的な活動のための運動)に見えていたと思う。

しかし、私が実際に中に入って、いろいろ聞いてみた経験からすると、みんながみんな一律にそうではなく、むしろ思想は統一されておらず、ひとりひとりに「駒場寮に住みたい」という理由があって住んでいるんだなあと感じた。

今回、約20年ぶりに改めて話を聞いてみても、やはり、ひとくくりにはできないと感じた。

とにかく「空間として面白かった」のは確か

いま、大学生や若者をめぐる社会状況は大きく変わり、若者にはひとり暮らしよりもシェアハウスのほうが人気であるように感じる。その理由としては経済的理由が大きく、「若者のひとり暮らし」は贅沢なものになってしまったからなのかもしれない。

振り返って、現代の感覚で考えてみると、2000年前後の「若者ひとり暮らし全盛期」に、あえて「学生自治寮に」「集まって住む」という選択をしていた駒場寮生は、現代で言う「シェアハウス」文化の先取りをしていた人たちとも言えるのではないか。

また、建物の内部が、住居であると同時に、1階にはサークル部屋やカフェがあるなど、多目的に使われている空間であったことや、また寮生がやっていた「駒場寮カフェ」「寮祭」「寮内バー」などは、今で言う「住み開き」のはしりという見方もできるのではないだろうか。

駒場寮の1階にあった「駒場寮カフェ」
映画のチラシがベタベタ貼られたドア

……などと、考察しようと思えば、いろいろな方面からできるのかもしれないが、私の浅い知識や認識をもとに、安易になにかに言及することは避けたい。

私は、あくまで駒場寮の最後の時期に、偶然居合わせてしまっただけの部外者にすぎない。

私個人の思い出として、とにかく「空間として面白かった」のは確かである。駒場寮に対して「何らかの魅力を感じ取った人間」を、強烈に惹きつける空間であった。そして、集まった人間が過ごした「跡」が、建物に蓄積されていた。

寮にあった落書き
寮にあった落書き
寮にあった落書き

私はこれからも元寮生探しと、写真集づくりを続けていく

私には、まったくの偶然ではあるが、駒場寮の最後を写真とインタビュー集に残した者として、後世にこれを残さないといけないのではないか? という謎の使命感がある。私の持つ写真や、元寮生のインタビューなどの資料があれば、後世、必ずなにか誰かの役に立つ、という謎の確信を持っている。

当時、部屋の写真を撮らせてもらった寮生は、全部で12人。この連載では、当時撮影させてもらった元寮生のうち4人と、メールをいただいた中川淳一郎さんの部屋とインタビューを紹介した。

『DANRO』での連載はこれで最終回となるが、私は、これからも勝手な使命感をもとに、元寮生探しと、写真集づくりを個人として続けていく。

階段の踊り場にあった、割れた窓

 

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